第217話 頼れる師匠

 その後、俺は限界まで腕立て伏せをした後、腹筋、背筋、再び持久走……等々、行商人に言われるまま徹底的に体を酷使し続けた。


 どれも基本的な筋トレの延長なのだが、これまでやって来たメニューより量も質も遥かにキツく、膝が完全に笑っている俺は立っているのもやっとの状態だったが、


「…………つ、次はなにをしますか?」


 引き攣った笑みを浮かべながら行商人に次を促す。

 だが、


「……今日はここまでだな」


 既に店仕舞いをして帰り支度を終えた行商人は、俺の肩を叩きながら、相変わらずの抑揚のない声で話す。


「途中で投げ出すかと思ったが、よく耐えたな」

「は、はい……あ、ありがとうございま…………す」


 行商人へのお礼もそこそこに、俺はその場に突っ伏すように倒れる。


「コーイチさん!」


 俺が倒れると同時に、ソラがやって来て手を伸ばして抱き起してくれる。

 甲斐甲斐しく俺の世話をするソラを見て、行商人は肩を揺らして薄く笑うと、荷物をまとめて背負う。


「さて、私は帰らせてもらおう」

「あっ、はい、今日はありがとうございました」


 その言葉に俺は慌てて身を起こして挨拶相とするが、


「そういう約束だ。気にするでない」


 行商人は手で俺を制して、そのままでいるように指示する。


「それと、無理とは思うが今日はもう体を休めるんだ。それと、明日も休んでいい」

「えっ? 明日も……ですか?」

「その方が効率がいい。明後日から再び渡したメニューをこなせ。そしたら翌日にまた新しいことを教える」

「は、はい! ありがとうございます」

「……また、会おう」


 行商人は小さく頷くと、そのまま颯爽と集落から立ち去っていった。



 行商人がいなくなると同時に、俺の顔の汗を拭いていたソラが、頬を可愛らしく膨らませながら話しかけてくる。


「……コーイチさん、いくらなんでも無茶し過ぎですよ」

「ハハッ、でも、俺は弱いからこれくらいしないと……」

「そんなことありません。コーイチさんは弱くないです」


 ソラは俺の手を自分の両手で優しく包み込むと、自分の額に当てて絞り出すように静かに話す。


「ご自身では気付いていないようですが、コーイチさんは弱くありません。ただ、今はちょっと心が疲れて歯痒い思いをしているだけです」

「だとしてもだよ……俺は、ソラや皆を守れるぐらいには強くなりたいんだ」

「コーイチさん……」


 まるで自分が追い詰められたかのような顔をしているソラの頬に俺は優しく手を当てると、痛みに顔をしかめながらも無理矢理笑顔を作ってみせる。


「ソラ、これは俺がやりたくてやってることなんだ。なんて言うか……譲れない意地があるんだよ……男にはね?」


 だから、


「そんな思いつめた顔をしないでくれ。どちらかというと、心配してくれるより、笑顔で応援してくれた方が……その…………うれ…………い」


 自分で言っていてだんだん恥ずかしくなってきた俺の言葉は、後半が殆ど尻すぼみで声にならない声だったが、


「…………はい、わかりました」


 ソラには十分伝わったようで、彼女の顔に笑みが戻る。


「私も浩一さんの彼女として精一杯お世話させていただきますね?」

「えぇ!?」

「フフフ、冗談です。でも、行商人さんの前ではそう演じないといけないですからね」

「な、何だ……驚かせないでよ」


 そういえば、そんなことになっていたな。


 となると今後も行商人の前では、ソラのことを恋人として接していかないといけないわけか……。

 ソラのような可愛い子が俺なんかの恋人だなんてとても恐れ多いが、それぐらいの気持ちでいれば、心折れそうな時も耐えられるような気もした。


「コーイチの特訓、終わったのか?」


 疲労でまだ立てず、ソラに介抱してもらっている俺に、買った物を自室に置いてきたシドが俺へと手を伸ばしながら話しかけてくる。


「しかし……コーイチが強くなりたい気持ちはわかるが、どうしてあんな奴に頼むんだ?」


 そう言いながら俺を軽々と引きこ起こしたシドは、そのまま肩を貸すように支えてくれる。


「強くなりたいのなら、あたしが直々に鍛えてやってもよかったんだぞ?」

「ありがとう。でも、それじゃあダメなんだ」


 シドからの提案に、俺はゆっくりとかぶりを振る。


「シドは優しいから、きっと俺が無茶しないように気遣ってくれるだろ?」

「当然だろ? もし、コーイチに怪我でもされたら、強くなるどころじゃなくなるからな」

「うん、やっぱりシドは優しいね」


 だが、その優しさが不要な時もある。


「シド、俺はね? 一日でも早く強くなりたいんだ。確かに、シドに頼んでも強くなれるかもしれない。だけど、シドのやり方だと強くなるのに時間がかかっちゃうと思うんだ」

「あいつなら、その心配はないと?」

「それはわからない。だけど、あの人は俺が死なないギリギリを見極めて追い込んでくれると思うんだ」


 そういった見極めは、商人ならではの特技だと思うし、俺が強くなることで死体漁りスカベンジャーとしての活動をより活発にできるようになれば、行商人にとっても悪い話ではない。

 それに、行商人なら俺を仕事として鍛えてくれる。そこに一切の情は入らないから、最も効果的に鍛えてくれるはずだ。


「大丈夫。無茶だけはしないつもりだから。きっちり強くなって。シドのことも守れるぐらいにはなってみせるよ」

「……そうか。でも、特訓が無茶過ぎると思ったら、すぐに止めるからな」

「うん、まあ……それはお手柔らかに」


 そうは言っても、おそらくそのような事にはならないと俺は踏んでいた。


 シドとは別の意味で、俺は行商人のことを信頼していた。

 それは行商人が悪い人ではないといったソラの証言があったからではないが、実際にあの人の指導を受けて感じた率直な感想だ。


 あの人が地上で何をしているのかわからないが、あの人から協力を取り付けられれば、現状を打破する大きな材料になるかもしれなかった。

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