第205話 シド先生の授業

「…………はぁ」


 何度かの深呼吸の後に、どうにか落ち着きを取り戻した俺は改めて冒険者の死骸へと目を向ける。


 それは、全身が擦り傷だらけで両手足が折れてあらぬ方向に曲がり、さらに腹部の一部が溶けて骨が見えている人間の男性の死骸だった。

 一体、何をどうすればこんな死に方になるのだろうか。

 そう思っていると、


「これは……下水道の虫に殺されたようだな」

「虫?」

「ああ、デルビートルという巨大な甲虫に轢き殺されたのだろう……ここを見てみろ」


 そう言われたら仕方がないので、俺はおそるおそる近付いてシドが指差す場所、ぽっかりと穴の開いた腹部を見る。

 そこは何か強力な酸がかけられたのか、体を守るはずの皮の鎧がドロドロに溶けていた。


「どうだ。体の一部が鎧ごと溶けているだろう?」

「あ、ああ、うん。そうだね……」

「奴は人間の内臓しか食べないからな。こうして体の表面を溶解液で溶かした後、口を突っ込んで内臓を食べたんだ」

「ふ、ふ~ん……」


 熱の籠った口調で説明してくれるシドだったが、俺としては体の一部が溶けてしまっているという光景だけでも衝撃的なのに、内臓が食われていると聞かされて、まじまじと見たいとは思わない。


 すると、


「コーイチ……」


 シドの咎めるような静かな声が、俺へと投げかけられる。


「確かに胸糞悪くない光景で、目を逸らしたくなる気持ちはわかるが見るんだ」

「そ、そうは言っても……」

「これから死体漁りスカベンジャーとしてやっていくのなら、死体に見慣れる必要もあるし、どうやって死んだかを学ぶことは、自分が生き延びるためにも必要なことだぞ」


 その声は何処までも真摯で、本気で俺のことを想って注意してくれてるのがひしひしと伝わってくる。


 そんな本気の態度を見せられたら、応えないわけにはいかないじゃないか。


「…………わかった」


 俺は大きく息を吐くと、意を決して死体へと目を向ける。


「うっ、うわあぁっ!?」


 その瞬間、大きく目を見開いた苦悶の表情を浮かべた死体と目が合ってしまい、俺は堪らず仰け反る。


「しまっ……」


 このまま仰向けに倒れそうになるが、


「……よっと」


 それより早く、シドが手を伸ばして来て俺の手を取って後方に倒れるのを防いでくれる。


「言ったろ? ちゃんと支えるって」

「あ、ありがとう。助かったよ」


 シドは唇の端を吊り上げてニヤリと笑うと、俺を引っ張って立たせた後、倒れないように背後に回って支えてくれる。


「さあ、コーイチ。授業の時間だぞ」

「……は、ははっ、お、お手柔らかに……」


 不潔極まりない下水道の床に尻餅をつかずに済んだことに安堵の溜息を吐いた俺は、改めて死体へと目を向ける。


 今度はシドの熱を近くで感じることができるからか、死体と目が合っても心穏やかに動悸が早まることもなかった。

 俺が落ち着いて死体を見れることがわかったシドは、床の死体から続く血の痕を指差す。


「どうやらこの死体は、ここから三メートル離れた、あの位置で轢かれ、ここまで運ばれたようだ」

「……ああ、確かにあそこから引き摺ったような跡があるね」

「だろ? デルビートルは、体を覆う硬い鎧の所為で視界が狭く、視力も余り良くないと言われている」

「じゃあ、どやって獲物を認識しているんだ?」

「単純な話だ。その巨大な体で体当たりを繰り返し、当たった奴を手当たり次第に喰らうのさ」

「…………」


 何だそれは。と思わずにはいられないが、魔物の生態にとやかく文句を言っても仕方がない。

 それより大事なのは、デルビートルにエンカウントしてしまった時の対処法だ。


「……ちなみにだけど、デルビートルと出会ったらどうするの?」


 俺の疑問に、先生モードになっているシドは「いい質問だ」と頷きながら答えてくれる。


「奴はデカくて素早いが動きが単調だ。横に軽く飛べば、それだけで回避はできる」

「そうなんだ……でも、それって飛べたらの話だよね?」


 俺たちがいる通路は、二人並んで歩くのがやっとの広さだ。

 デルビートルのサイズがどれほどのものかわからないが、正面から突撃されたら轢かれるか、奇跡的に生き残ることを信じて汚水まみれの水路へと身を投げるか。

 ただし、後者の場合、死なずとも体に何かしらの後遺症を抱えるような事態になりかねない。


「もしかしなくても、ここで出会ったら逃げ場所なくないか?」

「そうだな。だからコーイチの力を頼りにさせてもらうからな」

「あ、ああ……わかってる」


 ついさっき確認したばかりなのに、何だか急に心配になった俺は、目を閉じてアラウンドサーチを使って周囲を索敵する。

 逸る気持ちを押さえながら脳内に広がる波を凝視するが、


「……よかった。やはり近くに反応はないようだ」


 幸いにも、デルビートルと遭遇する危険性はなさそうだった。


「そうか……」


 授業は終わりだとシドはパン、と手を一つ叩くと、死体から装備を回収するように指示を出す。


「なら速やかに装備品を回収して立ち去るとしよう」

「わかった」


 特に異論はないので俺は頷くと、装備品の回収用に渡された折りたたまれた麻袋を取り出す。

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