第165話 明日のために

「なるほど……」


 俺の考えを聞いたシドは、暗闇の向こうで小さく溜息を吐く。


「確かにコーイチの言う通り、これは尋常ではない状況かもな」

「それってやはり……」

「ああ、何者かの作為を……悪意を感じるな」


 シドも同じ結論に至ったようで、俺の意見に同意してくれる。


「……だが、どうするのだ? 自警団に捕らえられていたら、救出するのは簡単ではないぞ」

「わかってる……けど、ネームタグが残っている間なら処刑されることはないと思うんだ」

「ネームタグ……か」


 ネームタグという単語を聞いたシドがおとがいに手を当てると「うむむ……」と唸り声を上げる。


「なあ、コーイチ。そもそもネームタグっていうのは何なんだ?」

「何だって……シド、知らないの?」

「知らない。ただ、いつの間にかそれがないと街の中で買い物ができなくなったから、名前だけは知っているんだが、現物を見たこともないんだ」

「そう……なんだ。わかった。そういうことなら……」


 そう言うと、俺はシドにネームタグについて自分が知りうる限りのことを話した。



「……死ぬほどめんどくさいな」


 話を聞いたシドの感想は、いかにも彼女のらしい一言だった。


 しかし、シドがネームタグについて何も知らないのは意外だった。

 これだけグランドの街に浸透しているシステムなのだから、この街だけでなく、イクスパニアでは当たり前のものだと思ったが、どうやらそうではないようだった。

 シドによると、ネームタグが登場したのは獣人への差別化がはじまったよりも大分後で、俺たちが来る一年ほど前に急に誕生したのだという。


 そうなると、ここで一つの疑問が生まれる。


 この魔法みたいな仕組みを誰が考案して、ここまで街に広めたか、だ。


「……しまったな」


 こうなると、もう少しネームタグについて聞かれた時、突っ込んだ質問をしておけば良かったと思い、俺は頭を抱える。


 何か質問はあるか? と聞かれた時、細かいことが気になっても後で聞けばいいや、と質問を後回しにしてしまうのは、日本人にありがちな悪い慣習だ。

 まあ、いまさらあれこれ後悔しても遅いので、その辺はこの件が一段落した後で改めて聞けばいいだろう。


 先ずはネームタグが消滅してしまう前に俺のネームタグを回収して、どうにかして雄二を釈放してもらおう。

 そして、俺をこんな事態に巻き込んだことに対して、死ぬほど謝罪してもらおう。


 方針を決めた俺は「ふぅ」と大きく息を吐いて頷く。


「シド……やっぱり俺、街に戻ることにするよ」

「そうか……」


 話の流れから俺の意思が変わらないと踏んでいたのか、シドの呆れたような声が聞こえる。


「コーイチがそう決めたのなら、あたしは止める理由はないよ」

「ありがとう。シド……」

「だが、その前に!」


 俺が次の言葉を言うより早く、シドの鋭い声がそれを遮る。


「お前、ずっと動いて休んでいないだろ? 安全な場所まで案内してやるから、とりあえず陽が昇るまで休め」

「でも……」

「でもじゃない。しっかり休まないと、いざという時に頭が働かなくて後悔するぞ」

「…………わかったよ」


 確かにシドの言うことも一理ある。

 今は極限状態を乗り切ったことで、アドレナリンやらドーパミンやらの脳内物質が大量に出ていると思われるから平気だが、これが切れた時にどうなるかわかったものじゃない。


 果たしてこの状況下で何処まで休めるかは未知数だが、ここはシドの忠告をありがたく受け入れることにしよう。


「それじゃあ、休める場所に案内してもらえるか?」

「ああ、こっちだ」


 そう言ってシドは俺の手を取ると、相変わらずの真っ暗闇の中を迷うことなく足早に歩きはじめた。




「……チ………………イチ!」


 誰かの声と、強く揺さぶる感覚に俺の意識がまどろみの底から戻る。


「コーイチ、起きろ!」

「むにゃ……むにゃ……あ、後、五分だけ…………」


 誰かが俺の名前を呼んでいるような気がするが、せっかく気持ちよく寝ているのだ。後少しだけこの幸せを堪能させてくれ。


「後、五分したら…………絶対に起きるから」

「何言ってんだ。本当に五分で起きるのか?」


 うん、起きる起きる……絶対に起きるから。


 しかし、それにしても……、


「ううっ……寒い……」


 このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。

 何か暖かいものはないだろうか。


「…………あっ」


 すると、俺の指先にとても暖かくて柔らかい何かが触れる。

 これだ。そう思った俺は、触れたものに手を伸ばして自分へと引き寄せる。


「うひゃっおう!? コ、コーイチ、何してんだ! 正気に戻れ!」

「……暖かい」


 耳元で何やら声がするが、暖かければ何でもいいや。

 俺は暖かくて柔らかいそれをしっかりと抱き寄せると、暖かさを確かめるように頬擦りする。


「ううっ…………おい、コーイチ。頼むから止めてくれ……」


 ああ、この感触……まるで子供の頃、母親に抱かれているような感覚を思い出す。


 …………………………ん?


 そこで俺は、何かがおかしいことに気付く。

 確か昨日は、シドの案内で地下水路内にある僅かな広間で寝たはずだった。

 一人でいいという俺に、万が一魔物が現れたら一人では危ないと、家には帰らず一緒にいてくれたはずだ。


「…………」


 では、たった今俺が感じている温もりは一体……、

 とんでもなく嫌な予感はするが、俺はおそるおそる目を開けてみる。

 すると、カンテラの仄かな灯りに照らされた涙目で、俺のことを見ているシドと目が合った。

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