第90話 出し入れ自由

「あ、あの、もしかしてですけど……」


 犯罪の履歴がバッチリ残ると聞かされ、戦々恐々としている雄二は、小さく震えながらリムニ様に尋ねる。


「これって常に持っていないとダメなんですか? 俺、こんな小さいのすぐに無くしてしまいそうで怖いんですけど……」

「うむ、安心するがいい。そのためにこの板にはとっておきの魔法がかけてあるのじゃ」


 そう言ってリムニ様は、自分の右手を俺たちに見えるように掲げる。

 すると次の瞬間、リムニ様の手が光り出し、手の中からネームタグと思しき金属の板が現れる。


「このように、この板は所有者の体内に自由に出し入れすることができるのじゃ」


 ネームタグを手から取り出してみせたリムニ様は、今度は手の平にグッ、と押し込んで仕舞ってみせる。


「なっ? 簡単じゃろ。ほれ、ユージも試してみるがいい」

「ええぇ、体内に金属入れんの……」


 リムニ様からの指令に、雄二は戸惑いながらもネームタグを垂直に立てて手の平に押し込む。

 すると、ススッ、と音もなく金属の板が雄二の体内に取り込まれていく。


「おおっ!? マジかよ……まるでファンタジー世界じゃないか」


 いや、ここがファンタジー世界だよ。というツッコミを雄二にしたくなったが、正に魔法としか言い表しようがない不思議な現象に、俺はただただ驚くばかりだった。

 ということは、ブレイブが俺たちに宿屋の前で見せたネームタグは、最初から握り込んでいたと思ったが、実は手の平から実体化させたということだ。


 その後も雄二は、自分の名前が刻まれたネームタグを出したり、仕舞ったりを繰り返しながらその度に「おおっ」と一人で感嘆の声を上げていた。

 どうやらリムニ様の言う通り、本当に自由に出し入れできるようだった。


「ほれ、次はコーイチとタイゾーの番じゃぞ」


 雄二の登録が完了したのを確認したリムニ様が今度は俺たちにネームタグに血を垂らすように指示を出す。


「安心せい。これはお前たちを縛るものではない。ただ、皆が安心して暮らせるようにかける保険のようなものじゃ」

「まあ……」

「確かに……」


 このネームタグによる記録が常に行われていると思えば、わざわざリスクを冒してまでグランドの街で不埒な行いを起こそうとはしないだろう。

 日本では今一普及しているとはいえないマイナンバーカードも、ゆくゆくはこんな機能を持ったりするのかな? そんなことを考えながら俺は置いてある剣山へと手を伸ばした。




 五分後、俺と泰三も無事に自分のネームタグを作り終えた。


「…………不思議なもんだな」


 俺はネームタグが埋まっているはずの自分の手の平に指を這わせる。

 しかし、いくら触ってみてもそこにはネームタグの感触はない。だが、俺の目には、自分の手の平にネームタグが宙に浮いているかのように見えている。

 この宙に浮いているネームタグを触ってみようとしても、そのままでは触れることができないが、俺が実体化しろと念じると実体化し、他の人には手の平の中から現れたように見えるのだ。

 これが一体、どういう理屈で成り立っているのかは想像もつかないが、これが魔法ということなのだろう。


「ほれ、登録が終わったのなら、我の話を聞かぬか」


 いつまでもネームタグを出し入れしている俺たちに、リムニ様が呆れたようにバンバン、と机を叩いて注目を呼びかける。


「あっ、すみません」


 リムニ様の呼びかけに、俺たちはネームタグの出し入れを止めて一斉に彼女に向き直る。

 俺たちの視線を受けて、リムニ様は「うむ」と鷹揚に頷く。


「これでお主たちは名実ともにグランドの街の住人として認められたぞ。そのネームタグは、お主たちの命と同等の価値があると言っても過言ではない。ゆめゆめ無くすことのないようにな」

「命と……同等」


 思ったより重い言葉に、俺は急にネームタグが浮かんで見える右手に重さが増したように気がして、思わず表情が曇る。

 それは雄二と泰三も同じようで、それはそれは暗い顔をしていたのだろう。それを見たリムニ様は「フッ」と小さく笑って破顔する。


「…………とまあ、大袈裟言ったのだが、それぐらいの気構えが欲しいということじゃ」

「ということは?」

「心配せずともネームタグには、二重、三重の防護対策が施されておる」


 リムニ様によると、ネームタグを他人が持ち主の許可なく取り出すことは絶対にできないようになっているという。

 ただ、基本的に他人が関与することができなネームタグだが、唯一の例外がある。


 それは、持ち主が死んでしまった時。


 ネームタグは持ち主の生命力を僅かに拝借することで力を維持しており、力の供給が断たれると、自動的に実体化されるようになっている。

 つまり、ネームタグを他人に回収されるということは、その者が死んだという証拠であり、冒険者たちは死んだ仲間の遺体回収が困難な時、代わりにネームタグを回収して家族や親族に届けるようにしているという。


「また、ネームタグには他人に悪用されないように、様々な工夫が施されておるのじゃ」


 一度名前が刻まれたネームタグは、どうやっても上書きできないようになっていて、複製することも不可能だという。

 他人のネームタグを手に入れても当然ながら自分の体内に入れることもできないし、街の施設も利用しようとしても、ネームタグのデータが本人と一致しないので、施設に入ると不審者が来たとしてアラームが鳴るようになっているという。


「これは、第三者の悪意によって無理矢理ネームタグを没収されることによる対策じゃ」

「なるほど……」

「さらに、持ち主の意思によって実体化したネームタグは、持ち主から丸一日離されると自然消滅してしまうようになっておるのじゃ」

「ええっ!?」

「仕方あるまい。この街ではこいつがあるお蔭で、皆が安全に暮らせるのじゃ。それを手放す愚か者が悪いのだからな」

「それはそうですが……」


 確かにリムニ様の言う通り、ネームタグを手放すのは非常に愚かな行為だと思われるが、先程彼女が言った通り、第三者の悪意によって強奪されるという可能性もある。

 取り扱いを十分留意しなけばならないのは当然だが、最悪の事態というのは起こるべくして起こるものだ。


「リムニ様……ちなみにですが、万が一ネームタグを失った場合は、再発行はしてもらえるのですか?」

「うむ、無論じゃ。どれだけ注意を払っていても、不測の事態というのは起きるものじゃからな。そういう場合の救済処置は当然ながら、ある」

「そうですか……」


 それを聞いて安心したと俺は大きく息を吐く。


 だが、


「ちなみに再発行の手数料は、金貨二十枚で行っておる」

「ん?」


 さらりと言われた金額に、俺は眉を顰める。

 金貨二十枚……それがどれだけの価値があるのかは、この街で一度も買い物をしたことがない俺にはわからないが、決して安い金額ではないと思われる。


「あ、あの……ちなみにですが、それってどれぐらいの金額ですか?」

「どれぐらい、とは?」

「金貨二十枚の価値です。それだけを稼ぐためには、どれぐらい仕事をこなさなければならないのですか?」

「むむっ、それはのう……」


 その質問に、これまで淀みなく何でも答えていたリムニ様の表情が曇り、そのまま小さな声で何やらブツブツと独り言と始めてしまう。


「あ、あの……」

「…………」


 俺が声をかけても小さな領主様は、考え事に夢中になっているのか何の反応も示してくれなかった。

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