第88話 郷に入っては

「とまあ、表向きはそうなっているが、実際はそんなに甘いものではないがな」


 自分で言っていて馬鹿馬鹿しいと思ったのか、クラベリナさんは盛大に肩を竦めてみせる。


「私と……不本意だがあそこにいる脳筋とで四方に手を尽くしてどうにか体裁を保っている実に危うい状態だよ……問題はあげればそれこそキリがない」

「そ、それで大丈夫なんですか?」

「大丈夫なもんか。だからこそ力がいるんだよ。例えばそう、君のような……な?」


 そう言いながら、クラベリナさんが俺への距離を詰めようとすると、


「ええい、そこ! 二人して何コソコソ話しておるのじゃ!」


 領主を前に内緒話をしていた俺たちに、リムニ様が机をバン、と叩いて声を荒げる。


「我の方は既に名乗ったのだぞ。そろそろ其方等の名を教えてくれ!」

「あっ、はい、失礼いたしました」


 リムニ様の質問に、俺は佇まいを正して背筋を伸ばし、誠心誠意を込めて自己紹介をする。


「その……私は浩一と言います。どうぞよろしくお願いいたします。領主様」

「ぼ、僕は泰三と言います。どうぞお見知りおきを」

「……ゆ、雄二です。そ、その……宜しくです」


 俺たちがそれぞれ自己紹介を終えると、領主様は理解したとばかりに鷹揚に頷く。


「コーイチにタイゾー、それにユージだな。しかと覚えた。私のことはリムニと呼び捨てて構わんからよろしく頼むぞ」

「えっ、ですが……」

「構わん。見ての通り私は若輩者だ。自分に威厳がないのは重々承知しておるし、それが一朝一夕で身に付くものではないのも理解している」

「そんなこと……」

「あるんじゃよ。皆が私を子供と思っておるのに、上辺だけ畏まられてもこちらの気が済まん。故に私を呼ぶときは、領主とではなく名前で呼ぶように伝えておる。ほれ、コーイチよ。試しに我が名を呼んでみるがよい」

「は、はい……そ、その……リムニ…………様?」

「何故疑問形になるのじゃ? リムニじゃ、リムニ!」

「リムニ………………様。駄目です。どうか様付けは勘弁してください」


 いきなり初対面の人物……しかもこの街で一番偉い人をいきなり呼び捨てろと言われても、上下関係がキチンとした社会で生きてきた俺にとっては、たとえ相手がお子様だとわかっていてもハードルが高かった。

 例えるなら、一国の王族……日本で言うなら皇族レベルの方を前にして気楽に呼び捨てろと言われてもできないのと同じだ。


「その……なんていうか。俺の世界では偉い人を呼び捨てることは非常に失礼にあたりまして……」

「むぅ……我としては様を付けられるより、親しみを込めてリムニと呼び捨てて欲しいのじゃが……ダメか?」

「はい、少なくとも俺には無理です」

「…………他の二人もか?」


 リムニ様の質問に、神妙に話を聞いていた泰三が頷き、これ以上、無礼な振る舞いはできないと雄二も無言でコクコクと頷く。

 それを確認したリムニ様は「はぁ……」と大きく嘆息すると、分かったというように手を振る。


「わかった。それでは不本意じゃが、様付けて呼ぶがよい」

「あ、ありがとうございます」

「よい……実はお主以外にも例外はあるからな」


 そう言ってリムニ様は一部例外だと思われる人物、クラベリナさんを見る。


「お前も何度言っても呼び方を変えてくれんな」

「当然です。私は領主様を心から敬愛しておりますから、名前でなく領主様と呼ぶのは自明の理です」

「本当かの……」


 何処までも奔放なクラベリナさんの態度に、リムニ様は苦虫を嚙み潰したような顔になる。


 だが、既にこのやり取りを何度か繰り返したからか、それ以上は余計な追求はせずに、リムニ様は本題を切り出す。


「コーイチにユージ、そしてタイゾー。異世界から来た自由騎士たちよ。改めて我がグランドの街へよく来た。我が名においてお主たちを歓迎しよう」

「ありがとうございます」


 代表して俺が頭を下げて礼を言うと、リムニ様は「うむ」と鷹揚に頷く。


「今回、お主たちに来てもらったのは、お主たちの今後についてじゃ」

「今後……ですか?」

「ああ、既にお主たちが自由騎士と呼ばれる理由については知っておると聞いているが、相違ないか?」

「はい、何でも俺たちにはこの世界で生きていく上で、何の制約もないとのことですが……」

「その通りだ。だが、いくら自由だといっても、それぞれの街にある最低限のルールは守ってもらう必要はあるというのはわかるか?」

「ええ、そうでしょうね」


 確認するように尋ねてくるリムニ様に、俺は深く頷く。

 もし、本当に一から十まで何でも自由になるというなら、それこそ俺たちは自由騎士ではなく、ただの侵略者に他ならないだろう。

 郷に入っては郷に従え。遠い離れた異世界にやって来ても、俺はその精神を貫くつもりでいた。


「勿論、僕も同じです」

「そういうルールに縛られるのっていかにも日本人らしいけど、そういうのって大事だからな」


 俺に続いて雄二と泰三も頷くと、


「うむ、よい心がけじゃな」


 リムニ様は満足そうに頷き、パンパン、と軽快に手を叩く。


「既に聞いていると思うが、この街に入るためにはある手続きが必要になるのじゃ」


 リムニ様がそう言うと、黒い燕尾服に身を包んだ老紳士が深紅の布がかかった平たい箱状の物を俺たちの前に持ってくる。

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