戯言の上澄み

通り魔と

『今日未明、愛知県津塩市中区の住宅街にて帰宅途中だった二十六歳会社員の──さんが遺体で発見されました。遺体は何者かに数回刃物で刺された痕跡がありましたが、持ち物が漁られた痕跡はなく、暴行の痕も見られないとのことです。警察はここ数ヶ月相次いでいる通り魔事件との関連性があると見て捜査しています』

　時代錯誤なブラウン管テレビに映し出された夜のニュース。コメンテーターが事件を通して社会に警鐘を鳴らす。

「このままでは日本が」「教育の質を上げていかないと」なんて、事件とは関係もない自分の主張を、まるで正義みたいに振りかざしている。

　それが何だか滑稽に見えて、思わずチューハイを吹いた。

　最初に言っておこう、この事件の犯人は俺だ。そして、警察が関連性を疑っている、ここ最近の事件についても全て俺の犯行だ。

　理由という理由はない。強いていえば、ストレス解消。そんなところだろうか。あるいは、単に普通じゃ味わえないような刺激が欲しかったのかもしれない。

　以前読んだ本では、通り魔やストーカーと言った連中は、他人との距離感という概念を持ち合わせていないヤツが多いらしい。まあ、わからんでもない。

　友人だと思っていたやつが自分を嫌っていたり、好意を抱いていた人から、虫を見るような目で見られたり、そんなことはしょっちゅうだ。

　これは決して彼らが悪いというわけではなくて、彼らとの距離感を測り損ねた俺が悪いに違いない。

　でも、少なくともこのコメンテーターが言っているような、ある意味崇高な思想を持って犯行に及んだわけじゃない。たまたま刃物があって、何となくそれを持って外に出て、綺麗な女がいたから刺した。それが週に一回くらいあるだけ。たったそれだけの理由だ。

　この頻度で犯行を繰り返しているにもかかわらず、俺のところにたどり着く気配がないことを考えると、もしかすると俺には殺しと隠蔽の才能があったのかもしれない。感覚としては刺して、ちょっと触って、軽く証拠隠滅して、すぐに逃げているだけなのだが、意外と難しいことのようだ。

　おかげで今日も悲惨なニュースに他人面して、美味い飯が食えている。

「そろそろ行くか」

　かなり長めの枠を取っていた俺のコーナーが終わるのとほぼ同時にカップ麺が空になる。洗い物や片付けは後回しに、ダウンジャケットを羽織り、内ポケットに包丁を忍ばせて外へ出た。

　幸せとは、達成ではなく過程にある。偉い思想家か誰かの言葉。これは何も一般的な幸せに限らず、殺人も一緒だ。

　この手で暖かい臓器に触れている瞬間より、その温もりを想像しながら電柱の影に隠れている時の方が幸福なのが、その証明だろう。

　予想より冷え込んでいた夜の冷気に、体全体が縮こまるのを感じる。寒さで、あるいは興奮で、全身が強く震えた。安アパートを背に歩き出す。

　犯行時刻や対象は適当だが、流石に捕まりたくはないので、犯行場所はできるだけばらつきが出るようにしている。

　今日の目的地は、最寄駅から二駅ほど離れた住宅街。もちろん、足がつかないように徒歩で向かう。

　スマホで目的地付近へのナビを起動、イヤホンを耳にはめ、ポケットに突っ込んでご陽気な音楽をかける。

　その瞬間。全身を電撃が走り抜けた。

　カツカツと、イヤホン越しに聞こえる甲高いヒールの音。自宅から五分程度の距離。俺の少し前を歩いている女の存在に気がついたのだ。

　女性にしてはかなり高い身長、OL然としたスーツ、タイトスカート。街灯に照らされるたびに、艶やかな黒髪が光る。

　その姿に、縛り付けられたかのように目を奪われる。

　一般的な言葉を使うならば、これは間違いなく「一目惚れ」というヤツだろう。今まで殺してきた女は、美人だと思いこそすれ、恋や愛などという感情を抱いたことはなかった。

　しかし、この女は違う。

　全身くまなく見つめても、非の打ちどころのないプロポーション。歩き方や呼吸のテンポさえ魅力的に感じる。

　抱きしめて、愛を囁いて、滅多刺しにして、生き血を浴びたい。

　気づいた頃には、そんな醜くも美しい感情が全身を前へ前へと推し進めていた。

　理性を失いつつも、打算的な忍足で距離を詰めていく。女との距離に応じて心臓が際限なしに鼓動を早めていく。

　女の発見から数分後、じわじわと詰めた距離は、手を伸ばせば美しい黒髪に触れられるような距離になった。

　静かに内ポケットから包丁を取り出す。

　包丁を持った右の手先に全神経を集中させて、静かに呼吸を整える。

　グサッ……。

「え？」