第三章 8.ホリスト聖堂

 それはゴツゴツとした岩肌に囲まれたとても広い空間だった。

 しかし頭上には何もなく、変わりには満天の星空と丸い月が輝いている。


 その月明かりの下には、空間を埋め尽くす程の大きな水面が広がり、真ん中には幹や葉までも真っ白な大木が力強く聳え立っていた。

 

 それは、とても神々しいたたずまいだった。


 一目でこの大木が白神ベロボーグだということが分かった。


 そしてその根本にはぐったりとしているリラが横たわっていたのだ。


「リラ!」

 

 エダーと駆け寄ろうとした時だった。

 

「あんたたち……術を解いてきたのね……ふふっ、楽しかった?」


 上空からの声を辿ると、真っ白な大木のその太い枝に、一人の女性が足を組み腰かけている。


 サラリアだった。


 目を閉じたまま不気味な笑みを浮かべこちらを向いている。


「お前は……黒魔法使いだな……、リラを返してもらう!」


「そ、ご名答。黒神チェルノボーグ様と契約したのさ。黒魔法の力と永遠の命をもらったわけ。ここにこの私がいる限り、女は返せないね。ま、最後はこの木と一緒に燃やしちゃうんだけど」


「燃やすだと……!?」 


 怒りが溢れ出すかのようにエダーが問いかける。

 

「そうさ。バーツにでこの白神ベロボーグも、王女も一緒に燃やしてもらって、障壁も消滅、リンガー王国はおしまいってわけ。けど、先にあんた達が着いちゃった。もう、バーツのせいだからね」


 そう言うと、またあの美しくも残酷な歌声が空間中に響き始めた。

 

「ケイスケ、耳を塞げ! またあの術が来る……!」


 エダーの言葉通りに耳を防ぐが、これでは剣も使えない。


「くそっ、このままじゃ駄目だ! どうすれば……」


 この状態ではリラもあの白神ベロボーグも、この国さえも救えない。


 また前世でののような惨事を繰り返すのか。


 また見ているしかないというのか。


 そんなの絶対に嫌だ。



 ――もう二度と失いたくないんだ。



「……いや……戦うんだ、自分と……!」


 サラリアを強く見据え、耳からこの手を離した。

 次第に脳内に届き始めたあの歌声が、この心をまた段々と弱らせていく。

 

「あの時、ティスタと約束したんだ……! 自分に負けてばかりじゃ、目の前の敵には決して勝てない……!」


 剣を素早く持ち直した。


 己と戦いながらでも目の前の敵と戦う覚悟をこの剣と共に掴む。


「ケイスケ……お前……」


 エダーが驚いた顔で何かを言いかけてはいたが、既にリラの元へ走り始めていた。


 段々とサラリアの歌声も大きくなっていく。

 過去の苦しみ、悲しみ、怒りまでも、様々な思いが込み上げてくる。

 目から出た雫がこの頬を伝っている。

 

 ――だが、ここで己自身に屈するわけにはいかないんだ。


 握り締めている剣が段々と白く輝き始めていく。

 水が張っている場所まで辿り着いた。

 かなり浅いようだ。

 リラがいる白い大木の根元まで疾走する。



 もうすぐ、もうすぐだ――。



「ティスタの生まれ変わりめ、女を助けさせるわけにはいかないよ……!」


 途端に、上空から素早く水面に下りてきたサラリアが行く手を阻んだ。

 それと同時に、何かが頭上から振り落とされるのが分かった。


 間一髪で避けると、足元から大きく水しぶきが上がる。

 


 ――鉄球だった。


 

 その固く重い物と共に風を切ったサラリアの前髪の中には、あの黒い稲妻のような刻印が走っているのが見えた。

 そしてその中心には、自分の目を疑うものがあったのだ。

 

 ――目だ。


 一つだけあるその血走ったものは、一切目を反らさず睨むようにじっとこちらを見つめ続けている。


「上手く避けたね、ではこれはどう……?」

 

 サラリアは不敵な笑み浮かべながら、鉄球が付いたその鎖をビュンビュンと頭上で回し始めた。


 その鉄球の反対側には細く鋭い鎌がサラリアが握りしめる手からぶら下がっており、その恐ろしい武器はゆっくりと左右に動いていた。


 サラリアの武器は鎖鎌くさりがまだった。


 盲目のその目は閉じたままだが、額にある目はこちらを静かに凝視している。


 次の瞬間、また上空から鉄球が勢いよく振り落とされた。

 どうにか避けたが、同時にあの鎌が左から飛び込んでくる。


 隙もなく次から次に繰り出される攻撃に、避けて抑えるだけで精一杯だった。

 

 ――だが、囮にならなれるはずだ。

 

「エダー! オレがここを抑える……! ……リラを頼む!」


 エダーは一瞬困惑していたが、何かを決心したかのようにその表情を固くした。


「……くそっ、気を付けろ」

 

 攻撃を抑えるだけじゃダメだ。

 考えろ、考えるんだ――。


「早くっ、あんたの命っ、あたしにちょうだいっ!!」


 サラリアの攻撃がどんどんとスピードを上げていく。

 このまま抑え続けても自身の体力が消耗してしまうだけだ。


 エダーが後方から走ってきているのが分かった。


「女は助けさせないよっ!」

 

 サラリアがエダーを見据えて攻撃態勢に入った。


 このままだと二人とも戦闘に巻き込まれたまま、バーツが来てしまう。

 そうなると更に状況が悪化するのが分かった。

 彼をこの先に行かせるにはもうこの方法しか思いつかない。


「エダー! 必ずリラを助けろよ……!」


 剣を両手で突き上げ、振り落とされた鉄球の鎖をその剣に巻き止めた。


 かなり重たい。

 腕が小刻みに震えている。

 耐えられるかかなりギリギリのところだ。


 サラリアが次の攻撃を左から出した。

 あの鋭い鎌だ。



 ――体で受け止めた。



「ぐっ……」


「ケイスケッ!!」


 エダーの大きな声が後方から聞こえる。

 防具があるとしても、かなり無茶だ。

 分かっている。

 だが、この方法しかもう思いつかなかった。

 

 片手を剣から離し、急所もどうにか外れる様にもしたが、わき腹からどうしようもなく溢れる赤いモノは止めようがない。


 わめき散らしたいほど痛い。


 だが、おかげでサラリアの動きを封じる事が出来、逃がさぬようにサラリアの腕をこの手でしっかりと死に物狂いにきつく握り続ける。


「何さ、離しな! このまま死にたいようだね」


 サラリアが容赦なく傷口をえぐる。


「つっ……エダー、はやく、リラを……はやく……」


「くそっ!」

 

 驚き固まっていたエダーは咄嗟にリラのほうへ駆け出した。


 血を出しすぎている。

 視界がぼやけ始めた。

 だが、ここで倒れては元も子もない。

 鉄球が重くぶら下がった剣を握るこの手も、サラリアの腕を握り締めるこの手も、先程よりも酷くブルブルと震え始めた。

 力がどんどんと抜けていく気がする。


 耐えろ、耐えるんだ。


 エダーがリラの元へ到着した姿が視界に入った。

 リラを抱えている。

 彼女は眠っているようだ。


「そのまま、入り口、に……行くん……だ、リラ、が、無事……なら、オレは――」


 すると、聞きたくなかったあの音がこの夜空から段々と流れ始めた。


 そう、大きな鳥の羽音だ。



「あれーどうなってんのや? ケイスケ、血だらけやんか~」



 星降る夜から、黒魔鳥こくまちょうに乗ったバーツが純粋に満ちたその表情でゆっくりと舞い降りたのだった。

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