第二章 8.罪

「……ティスタめ! 目障りな奴だ!」

 

 その奇抜な色の炎を、輝く剣と共に体当たりするかのように受け止め、このを噛み締めるその意思の分と相応に、力がみなぎるようだった。


 だがそうはいってもこの体が蒸発しそうな程に熱い黒魔竜こくまりゅうの炎の威力はとてつもなく凄まじい。


 隙を見せればこの熱風によって、一瞬で体を遠くへ飛ばされそうだ。

 どうにか抑えているだけで精一杯だ。

 

 ここを耐え忍んだとしても、それを受け止めているこの剣共々に今にも溶け出し、瞬く間にこの体は滅んでしまうのではないか。


 ――いや、考えるな、立ち向かえ。

 この覚悟を己自身にしっかり刻むんだ。


 ガタガタと震えながらも渾身こんしんの握力で握りしめているこのホリストこうの剣は、まるで暗雲の間からすり抜けて射す一本の光のように、強く輝きを貫き続ける。

 

 それに呼応するかのように、無数の雫が周囲に集まり始め、その水滴が自身の体を守ってくれているかのようだ。

 だからこそ、この忌まわしき炎に対抗できるのかもしれない。


 目をきつく閉じ必死に耐え続けていると、ティスタだった頃にセーレと出会い、あの月夜の湖畔で、決死の思いで彼女を助けた事を思い出す。

 

 ケガをしたティスタの背中を優しく白魔法で癒してくれたセーレ。

 陽だまりの中にいるような、とても心休まる時間だった。

 なぜかその場所がじんわりとくすぐったい。


 まるで二人を見守るかのようにふわふわと浮かんでいた、あの儚いもの。

 

 あれはそう、今、目の前に浮かぶ雫達だ。


「俺に力を貸してくれよ……セーレっ、水の精霊っ……!」


 目を辛うじて開けると、目の前で放たれている炎は次第に勢いを増していく。


 時折火の粉が入り交じった激しい火柱に、必死に抵抗しながら、両腕の血管が張り裂けそうな程にきつく握ったこの剣に全体重を預ける。


 まだだ、まだ、みんなを救えていない。

 

「くっそぉぉぉぉ……!!」


 その時だった。

 熱を持ったその手に冷たいものがはらりと舞い落ちる。

 それはこの渾身こんしんの思いで握りしめている真っ白な剣と同じ色だった。

 

 ――雪だ。


 冷たい粉雪が、はらはらと草原中に降り続ける。

 なぜか懐かしい感じがした。

 途端に周囲にまとっていた小さな無数の雫が、次々に美しい氷の結晶へ変化していく。


 それはまるでセーレから受け取ったこの剣にはめ込まれている、クリスタルのような透明の輝きを放っていた。

 

 すると白い光を放ち続けていたホリストこうの先端から、まるで氷が生き物となりその剣から勢いよく飛び出すかのように、黒魔竜こくまりゅうが出していた火柱を美しく凍らせながら、猛スピードであの牙先へ駆け登っていく。


 吐き出され続けたあの恐ろしき炎が、たちまちのうちにまるで生まれ変わったかのような輝かしい氷の柱に変化したのだ。


「なんだと……!? なぜこんな事が出来る……!? くそっ行けっ! ゴル軍、突撃しろ! シャーガよ、リンガー軍諸共あいつを踏み潰せ!!」

 

 怒り狂ったサガラを乗せたシャーガという黒魔竜こくまりゅうは、氷の柱を鋭いその牙でかみ砕き、ガラスのように飛び散らせると、地面に打ち付けられた氷をさらに踏み付け、砕ききった。

 散り散りになった氷が、宙をキラキラと儚く舞う。

 

 その中を邁進まいしんしてくるかのように、黒魔竜こくまりゅうを中心として、兵や魔物が勢いよく飛び出して来たのだ。


 とてつもない地響きと共に、次第にこちらへ近付いてくる。

 このままだと自分はおろか、エダー達も危ない。

 

 急いで後方へ振り向くと、兵達は皆、天を仰ぎ、驚き固まっていた。


 その時エダーが動いたのだ。


「備えろー! 盾を持て! 弓隊準備だ!! 槍隊は盾の後ろに急いで付くんだ! 砲撃隊もさっさと配置に付けっ!!」


 兵士達はその声にハッとし、慌てるように動き始めた。

 エダーのリーダー格には、同性の自分でさえもほれぼれする。

 言葉がきついところは難だが、あの口調で皆を一層引っ張っているのだろう。


 だが、状況は一向に変わっていない。

 段々と大勢の敵兵や魔物、そしてあの黒魔竜こくまりゅうがこちらに近付いて来る。


「考えろ、考えるんだ……!」

 

「おい、おいたちにまかせとけ」


 またあの不思議な小人だった。

 だが、先程とは何かが違う。

 ぼうっとした不思議な柔らかな光をこの小さな体から放っているのだ。

 

 そして気が付いた。

 その小人が無数にいることを。


 多くの小さき者達が、敵の前へのそのそとおもむき、まるでピラミッドでも作っているかのように、上へ上へと次々に重なり始めた。

 瞬きをする度に、どんどんと積み重なり、高く、大きくなっていく。

 

 すると黒魔竜こくまりゅうに蹴散らされ散らばった氷をみるみる吸収し始めた。

 無数の体を重ね続けた土色の小人たちは、まるで溶け合うかのように段々と上下左右の仲間達と融合をはじめ、その者達が薄く、さらに薄くなって横に段々と伸びていく。

 まるで極限にまで延ばされたチョコレートのようだ。

 今度は空高くまで伸びている。

 身にまとっていたあのぼうっとした光量も、次第に大きくなってきていた。

 それと呼応するかのように敬介が握るこの剣も光を増してきている。


 すると次の瞬間、まるで大きな荒波に変貌したかのように、勢いよく敵方向へ倒れ込んだのだ。


 向かい来る全てのものにが覆いかぶさった。

 土色の巨大な波しぶきが上がる。

 あの美しかった緑豊かな大草原一面が土色になってしまった。

 

 土色になった黒魔竜こくまりゅうが甲高い雄たけびを上げ、左右に大きく体を動かしながら、もだえ苦しんでいる。

 周囲の魔物や兵士達も息が出来ないのか、苦しそうなうめき声を上げている。

 だが次第に動きが少なくなり、無情にも静かになった。


 地上へ打ち付けた大波に変貌へんぼうした彼らによって、敵の前進は止まったのだ。

 

 その光景は、あの巨大な黒魔竜こくまりゅうを中心に、兵士達や魔物達が各々おのおののポーズで土色の像となり、立っているかのような異様な景色だった。


 それはひどく目を背けたくなるものだった。

 だが、今なら分かる。

 その行為がこのリンガー王国にとって、脅威にしかならないことを。


『おい、いまだ、つける』


 どこからか声が響くように聞こえた。


 すると後方から、威勢のよい掛け声が打ち鳴らされる。

 リンガー王国の兵士達が一気に飛び出してきたのだ。


「この好機を生かせ! 必ず! 仕留めるぞ!」


 大勢の兵士達と共にエダーもこちらへ勢いよく向かってくる。


 次第にリンガーの兵士から、なぎ倒される土色の像達。

 それは割れた陶器のようにヒビが入り、次から次に崩れ落ちるのだった。

 

 魔物も、そして人間達も――


(目をそらすな、これが今の現実だ。しっかり見るんだ。この最後を目に焼き付けるんだ……。それがこの戦闘へ参加するオレの覚悟なんだ……)


 この剣をもっときつく、きつく握る締める。

 

 すぐ近くで鼓膜まで響く爆発音が響いた。

 皆を窮地に追いやった真っ黒で巨大な体を狙った砲撃だった。

 

 命中した頭から、まるで大地に入った地割れのように大きなヒビが入った。

 鋭い爪を持つ足元に向けてその割れ目がピキピキと次第に走り、進んでいく。

 頑丈そうであった皮膚が無惨にも崩れ落ちる。


 すると、その瓦礫の中から一人の人間が這い出てきたのだ。

 

「く、くそ……、なぜだ、なぜ……我らはヒード様のために……」


 黒魔竜こくまりゅうに乗っていたサガラという痩せた男だった。


 その乱れ切った風貌と表情からは絶望がにじみ出ているようだった。

 辛うじて立ち上がったが、足元はふらふらだ。

 他の人間達は皆散ったはずだが、この男はなぜだかまだ生きている。


「我らは……勝たなくてはいけない、いけないのだ、お、おれは、勝たなくてはいけない、あ、あの子が待って……あの子が……」


 うわ言のような言葉を発しながら、こちらへゆっくりと一歩一歩着実に近付いてくる。


 まるで何かを求めるかのように。


 敬介は下を向き、目をゆっくりと閉じた。

 唇を噛み締める。

 そして深い息を吸うと、震える手で剣を強く握りしめた。



 一糸乱れず、打った――



 サガラの腹部から出てきた高貴で深い赤色の液体が、この純真な光を放つホリストこうへ伝う。


 心臓が打ちならされ、息が詰まる。


 だが、もう後戻りはしない。


 胸がつぶれてでも、張り裂けそうでも、いつまでも甘い汁ばかりを吸ってはいられないのだ。


 いつかこの罪の重さを知る日が来たとしても、それでも強く生き抜いていく。

 

 例え、この敵を待つ誰かがいたとしても――


 サガラはうめき声を上げながら、その場に倒れ込み、もの悲しげな目でこちらを見つめている。


 目から一粒、また一粒と雫がこぼれ落ちていた。


 だが、敬介は最後まで目を反らさなかった。


 彼から流れ出る血液に、涙に、この覚悟を胸に刻む。


 悲愴ひそうにまみれたサガラは、たちまちチリとなり夕焼けの空へ優しい風と共に消えていく。


 今日見たこの燃えるような茜色の空を、今後きっと忘れることはないだろう。

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