第一章 9.月夜

 あれから何日経っただろうか。

 今夜も城の見回りを行っていたティスタは、一人夜道の森をとぼとぼと進んでいた。


 今夜はまるであの日のように、月が贅沢に輝く夜だった。


(……思い出すな、思い出すな、集中、集中しろ、ティスタ!)


 きらびやかに輝くこんな月の夜には決まってあの湖での出来事が思い出される。


 思い出すまいと思えば思うほど、思い出してしまうこの脳に繰り返し訴え掛ける日々だった。


 そんな夜も、いつものように湖の近くを通りすぎる予定だった。


 が、この耳が拾ってしまったのだ、その音を。


(ひっ! ……み、水しぶきの音っ! あ、怪しき者!? いやいや、せ、セーレ様だったらまた覗きに……いやいや怪しき者だったら……ど、どーする!?)


 足を止め、一瞬考えた。


(……怪しき者なら、行かなければ逃したことになる! ……オレは行く!!)


 そう心に決めたティスタは、前進をやめ、潔く湖の方向へ進み始めた。


 その時だった。


「おーい、お前誰や?」


「……!」


 振り向くと、背が低く痩せた男が一人立っていた。

 手には細くてすらりとした長めの剣を持っている。


「お前こそ誰だ……!」


 自身の剣を素早く抜き、身構えた。

 初めての実戦になるかもしれない、そう思うと額から冷や汗が滲み出し、心臓はバクバクと音をたて始めた。


「なんだお前弱そうやな、新人か? しっかしよー、こんなところにまで見回りしてるやなんて真面目やな。せっかくいい土産みやげ見つけたのによぉ」


「……土産みやげ?」


 すると、女性の叫び声が湖の方角から聞こえてきたのだ。


「ちょっとやめて! やめてってば! 離して!!」


「大人しくしろ!」


(あの声は……!?)


 ティスタは咄嗟に湖の方角へ駆け出したが、後ろの男が飛んできそうな勢いで追いかけてくる。

 だがそれどころではない。

 間違いなく今聞いた声は、先日目の前で無邪気に笑っていたあの女性のものだった。


「おい、待てや!」


 自身が置かれているこの状況に恐ろしくもあったが、それ以上にひどく恐怖を感じるのは王女を救えないことだった。

 そんなこと考えたくもなかった。


 湖の畔までたどり着いたティスタは、目の前にいるのっそりとした大男に素早く身構えた。

 王女は両腕を縛られている。


「おいお前! その女性を離せ……!」


「はぁ? なんで城の兵士がこんなとこにいやがるんだぁ?」


「あ、あなたは……!?」


「すぐに助けます! 少しご辛抱を!」


 ティスタに追い付いた痩せた男も背後から殺気を送ってくる。


「湖によぉ、いい女がいたんでよ~他国にでも売り込もうかと思ってるんだわ~、邪魔しないでくれる?」


「馬鹿な事はやめろ! 言う通りにしないのならば、容赦はしない……!」


「おいおい、わっけー兄ちゃんよぉ、そんな真っ青な顔して冷や汗も出てるぞ? 新人だな。そんな物騒な物出していいのか? こっちは二人だぞ? それでもいいってわけだな……!」


 大男は剣を抜いてティスタに勢いよく襲いかかってきた。


「……くっ」


 ティスタはその重たい剣をどうにか受け止めたが、その瞬間背後からあの痩せた男が襲いかかってくるのを感じた。


「こんのぉ!!」


 ティスタは目の前の大男を思いっきり突き放すと同時に、後ろの男へ素早く剣を回し入れたが、その痩せた男は後方へさっと飛び退いてしまった。


 次の瞬間、目の前の大男が自分の前へ飛び出し剣を瞬時に振り落としてきた。

 何度もその剣を力強く受け止め、反撃を繰り出すが幾度となく受け止められる。


(くそっ勢いに押されてる……!)


 その時だった。

 背中部分に燃えるような鋭い痛みが走ったのだ。


「いやぁぁ! もうやめてっ……、お願い、お願いだから……」


 セーレ王女の悲痛な叫び声が響く。


 そう、ティスタは背中を切られた。

 辛うじてこの地を踏みとどめていたが、全身から力が抜けていくようだった。


「うっ……」


「おっしゃぁ、仕留めたわぁ! はやく女持っておさらばしよや! どうせこいつは朝になったら死んどるわ」


 背後から剣を入れた痩せた男が冷たく言い放つ。


「それもそうだな、そのまま苦しんで死んでくれよ、新人さんよぉ」


「お願い……! 彼をこのままにしないで、お願い、お願い……!!」


 意識が朦朧もうろうとしている中で見えたのは、あの大男が王女を担ごうとしている姿だった。


「……ちょっと、待て、おい……その、その女性から手を、放せ……」


「おいおい、そんなガクガクでまだ戦うってわけ? 無理だろ。おいもういくぞ」


「……待て、って、言ってんだろ……!?」


 ティスタは膝の震えを必死に止め、二人の前へ飛び出し、剣を振り上げた。

 大男は剣を辛うじて受け止めたが、ティスタは死に物狂いでとにかく剣を押し込んだ。


「なんなんだ、コイツ……!?」


 剣をもう一度力強く打ち付ける。

 次の瞬間、大男の剣がきらびやかな夜空に舞った。


「くそっ!」


 背中が悲鳴をあげたい程激痛だ、それにドクドクと脈打つように熱い。

 目の前の視界もぼやけ始め、生暖かいものが後ろから流れ出ていることも分かる。


 だが、どうしても諦めきれない自分がいた。


「なめんなやっ!」


 痩せた男が剣を高く構え、唐突に飛び出してきた。


 ティスタは剣を強く握りしめ、大きく息を吸い、残っている力を全て使って、渾身の力で相手の剣を湖の中へ撥ね飛ばした。


「……この死にかけやろうが! くそっ!!」


 腰が抜けたように尻を付いた痩せた男が言い放つ。


「これ以上その女性に手を出すのならば……切る!!」


「分かった、分かったって……い、行くぞ……!」


「あぁ……くそっ……!」


 丸腰になった男達は成す術もなく森の奥へ駆け足で消えていった。

 そして涙目で真っ青になって座り込んでいる彼女の縄を優しく解いた。


「……大丈夫ですか、セーレ様……」


「ティスタ! もうそれ以上動かないで、お願い……」


「だ、大丈夫ですから、自分は……」


 すると何かが切れたかのように、急に力が入らなくなり、王女の体へそのまま持たれかかってしまった。


「ティスタっ……!」


 その時だった。


「……我は聖なる人ホリスト族のセーレ。白神ベロボーグよ、水の精霊よ。我に力を注ぎたまえ。そして、この者に癒しを……」


 背中から段々と痛みが消え、じんわりする。


 月光でキラキラと輝くその湖から数えきれない程に出てくる小さな雫達。

 セーレ王女の周りで輝き、とても楽しそうに踊っているみたいだった。

 そして自身をそっと包み込んでいる彼女はまるで水と共に寄り添う女神のようだ。


(綺麗だ……)


 陽だまりのようなこの暖かさと彼女の優しさに、ティスタは心の奥底から安堵するのであった。

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