第一章 8.出会い

 ティスタはショックを受けていた。

 昨晩自分が犯した過ちに。


「はーーーー」


 自分が思っている以上にへっぽこ野郎だ。

 そんなどうしようもないこの自分を責めながらも、どうにか今日も昼間から城の門番警備を行っていた。


(オレってこんなに情けない奴だったのか……あの女性驚いていたな……)


 それもそうだ。

 下着は着けていたものの、裸同然の姿をどこのどいつかも分からない変な男に見られたのだ。


(まともにちゃんと謝りもしないで、オレは逃げた……)


 思い出せば思い出すほどに自分が情けなく、あの女性に対する申し訳なさが込み上げてくる。


「はーーーー」


 溜め息しか出ない。


(あの女性、どこかで見た気が……うわっだめ、だめだ……!)


 思い出そうとすると目に焼き付いているあの後ろ姿が思い出され、顔から火が出そうだった。


(……いかん、いかん! 集中、集ちゅ……)


 今日はどうにもこうにも集中出来そうにない。


 その時だった。


「こんにちは、門番兵さま」


 後ろからしとやかな声が聞こえた。

 振り返るとそこにはあの貴賓漂う女性が立っていたのだ。


「……セーレ様っ……!?」


 そう、絹のような金糸の髪と雪のように白い髪を優しく結い混んだ王女セーレ様だ。


 隣の門番兵が驚き慌てたように膝を付く。

 ティスタも続くように膝を付いた。

 だが慌てたせいか、かがむ際に足を滑らせよろめいてしまった。


(は、恥ずかしすぎる……!)


「大丈夫ですよ、そのままで。急に申し訳ございません。あのお願いがありまして……。今、庭で探し物をしていて……大事なものなのです。お一人手伝って頂きたいのです。あなたにお願いしてもよろしいでしょうか?」


 王女は微笑みながらティスタを見つめている。


「は、はいっ!」


 ティスタは声が裏返りながら返事をし、急に再度お目にかかるセーレ王女に心臓が飛び出しそうだった。

 尚且つ、自分にお願いをされている事が信じられない。心臓がバクバクと鳴っている。


(おっ、オレでいいのか!? ……いかんいかん、平常心、平常心……大事なお役目だ!)


「では、こちらに来てください」


 セーレはティスタにそう言うと、城の広い庭へ連れ出した。

 そんな軽やかな水色のドレスを着た王女の後を追うティスタは、無駄の無い綺麗な姿勢の後ろ姿に感激していた。


(なんて優雅なお姿だ……間近で見られるなんて……こんなに幸運な事ってあるんだな、白神ベロボーグ様ありがとう……)


 ティスタは今ここにある幸運に感極まり、先程まで落胆していた自分がどこかに行っているかのようだった。


 数分進むと、木々や草花が生い茂る庭の隅にまでやってきた。

 鮮やかな花が一面に咲き誇り、この優しいそよ風に呼応するかのように可憐に揺れている。


「あなたはあちら側を探してきてくださいませんか?」


「かしこまりました」


 そう伝えられた侍女は、あちらへ早々と行ってしまった。


 今、王女とティスタはこの色とりどりの草花に囲まれた場所で、向かい合わせで立っている。


 二人の間に暖かな風が優しく通り抜けていく。


(え、ふ、ふ、二人きり……!?)


 ティスタの心臓は爆発寸前だった。

 滅多にお目にかかれない聖なる人ホリスト族の王女が今自分と二人きりなのだ。


 こんな状況は想像さえしたことがなかった。


「な、何を探せばよろしいでしよう、しょうか!?」


 声が相変わらず裏返る。

 おまけに変な言葉さえ出る。


「ふっ……あははっはははっ、もう何それ! さっきからやめてってば! っはははははっ……」


「え……!?」


 目の前にいるセーレ王女が堪えきれないといった様子で爆笑している。


「もう、涙まで出てきちゃった。さっきから面白すぎるのよ! ティスタ!」


「も、申し訳ございません! ……って、え……!? な、なぜわたくしの名を……」


「以前から知ってるの。ごめんごめん、驚かせちゃったわね! 昨晩も」


「昨晩……?」


 先程から王女のこの言葉遣いさえも不思議なのに、意味の分からない言葉もあり、そしてなぜか自分の名前が知られていることに全くこの脳が追い付かない。


「黙っててくれて本当にありがと! 一ヶ月前も!」


  お礼を言いながら王女は、なんとティスタの両手をぎゅっと掴んできたのだ。


「へ!?」


 その手はとても柔らかく暖かかった。

 

 ティスタはこの王女の行動に頭から湯気が出そうな程だったが、その不思議な発言の整理で頭をフル回転させた。


(一ヶ月前……? 昨晩……? え、え? ……ま、まさか……)


「ま、まままさか、昨晩の……湖の……」


 口はパクパクしていて、身体中から血の気が引いているのが分かった。 

 昨晩出会った、月夜で照らされたあの女性の顔が瞬時に浮かんだのだ。


 そう、目の前のこの女性だったーー。


「え、気が付いてなかったの!? あちゃー早とちり!」


 ふんわりとした顔立ちで、左の目元に涙ぼくろがあるこの優しそうな印象の目。


 間違いなく彼女だ。


 そんな王女は悔しそうに、自分の頭を抱えた。


「一か月前ね、あなたに見つかった時、兵士名簿で門番兵の名前を調べたの。たぶん顔は見られていないかと思ったんだけど、念のためにね! まさか昨日もティスタに見られちゃうなんて…… これはもう直談判しかないって思って。でも私に気が付いてなかったのね……!」


「じ、直談判……!?」


「黙ってて、お願い! 私がこっそり外で泳いでること! って自分で言っちゃったことになるのかな?」


 あまりにも駆け抜けるこの勢いにティスタは唖然とした。

 一か月前、あの茂みに隠れていた女性はなんとこのセーレ王女だったのだ。


「せ、セーレ王女だったのですか…!? 昨晩はあのようなお姿を、の、のぞ、いや、覗いていたわけでは……! も、申し訳ありませんでした!!」


 頭を深く下げたティスタは混乱しかけ、一体自分が何を言っているのかよく分からなくなってはいたが、ただひたすらに謝りたい、それだけだった。


「ふふっ、いいのよ! 見回りだったんでしょ? まさか城から遠く離れてる湖まで見回れるのは計算外だったわ。私泳ぎたくて泳ぎたくて仕方ないの! 普段は泳ぐことなんて出来ないから……明るい月の夜にね、城を抜け出して思いっきり泳ぐの。 すごく楽しいの、水の精霊に呼ばれているのかも!」


 太陽に見つけられたかのように光に照らされ輝く彼女は、とても無邪気に笑っていた。


「これは私達だけの秘密ね!」


「ひっ秘密……!?」


 なんだか王女はかなりワクワクしているようだ。

 するとセーレ王女はティスタにぐっと近付き、小指を突き出してきた。


「そう、約束だからね!」


「は、はいっ…!」


 ティスタの目の前にある細い小指と王女の勢いに押され、自然と彼女の小指を握り返し、約束を交わす自分がいた。


(せ、セーレ様とふ、ふ、触れ合っている……! に、二度目…!!)


 顔から火が吹き出そうなティスタは、頭が追い付いていなくても体は勝手に動くものだ、とこの時初めて知った。


 そしてこの美しい庭できらびやかに笑う目の前の女性にまるで心が洗われるようだった。


 ――


「……おい、おい! お前!!」


「へ!?」


 呼ばれた気がして、振り向いた。


「なんて顔してんだよ! 次はお前の番だぞ!!」


「は、はい! すみません!!」


 今日も城の近くの森で大勢の兵士達と鍛練を厳しい積んでいるティスタはあれから数日経った今もセーレ王女との『約束』で頭がいっぱいだった。


(頭から離れねぇよぅ……はぁぁぁぁ)


 夢だったのかもしれない、そう思えてしまうあの日。

 憧れのセーレ王女と二人きりで会話をし、手を握られ、ましてや二人だけの秘密を持ってしまったのだ。


(しかしあんな約束をしてしまって良かったのだろうか……王女がこっそり夜一人で出ていくって大問題じゃないか……? いやいやいやいや! オレは秘密を守る男だ!!)


「だぁぁぁぁ!!」


 ティスタはこの問題を打ち消すかのように相手に強く立ち向かう。


(セーレ王女はどこから出入りされているのだろう……城の入口はオレが警備していたあの門しかないはず……もし別の入口があるのなら大問題じゃないか? 気になる、警備兵だけあって!)


「どりゃぁぁ!!」


 相手の木刀を思い切り空高く打ち飛ばす。


「次の方、お願いします!」


(……別の入口、王女に聞けば分かるのかも知れない……いやいや、オレは王女と会いたいわけではない、決してない……これは大事な城の警備に関わる問題だからだ! ……いや、会いたいのか……? オレってまさか会いたいのか? あの王女セーレ様に……!?)


 自分は不純な動機を持っているだけかもしれない、そう思った瞬間、戦っている相手に隙を見せてしまった。


「ふんっ!」


「あっ……」


 ティスタの木刀が高く宙を舞い、カランカランと音を立てながら地面に転がった。

 そんなしょぼくれた棒を見つめながら心底情けなさすぎる、そう思ったのだった。

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