第一章  『セーレとティスタ』

第一章 1.もう一人の旅立ち

 それは、大粒の雨と雷が激しく鳴り響く夜だった。


 一人の剣士が死に物狂いで剣を受け止め、また剣を高く振り上げる。


 打ち付ける雨と耳を塞ぎたくなるような音と共に、稲光が夜空に走る。


 その光に照らし出された彼の顔は、まるで何かに打ちひしがれているようだ。


 その顔に次々と伝う雨と共に、彼の涙が流れているように見えた。


――


「……ちゃん、お兄ちゃん!」


「ん……?」


「朝だってば!」


 甲高い声で誰かが叫んでいる。

 重い目を開けると目の前には、憤慨している妹が自分の肩を揺さぶっていた。


「あーいおりか……」


「早く起きて! 今日何の日か忘れたの?」


「わかった、わかったって! なんか変にリアルな夢見てさー前も見たことある気がするんだけどさ……んーやっぱよく覚えてないな」


 今となっては曖昧にしか覚えていないが、とてつもなくへこむ気分になるような夢だった。

 寝起きは最悪だ。

 古い二段ベッドからのっそりと這い出るが、まだ頭がボーッとする。


「何それ? 変なのー。また寝癖がすごいよ!?」


 くりくりとした目で、自分の少し長めの黒い髪をぐしゃっと掴むと、寝癖が付いている部分をまるで脳内にまで押し込んでいるように押さえ込む。


「いてっ、いたいって! そんなに強く押したって寝癖は直らないって!」


 頭の上にある妹のぷにっとしてほっそりとした腕を掴んだ。


「もう、はやく準備してっ!」


 この頭からしぶしぶ離したその小さな手でカーテンをザッと開き、ベランダの窓を開けながら急かすように言ってきた。


 肩まで伸びるそのクセっ毛が真新しい白のワンピースと一緒に、新鮮な朝の風で優しく揺れている。


「その服、似合ってんじゃん!」


「あ、ありがと」


「なんだー照れてんのかぁ!?」


「もーやめてってば!」


 くしゃくしゃに妹の頭をなでていたこの腕を掴んだいおりは、はにかんだ笑顔を見せながらも少し寂しそうな顔を見せて少しうつ向いた。


「あ、もうすぐ兄ちゃんが出ていくからさみしんだろー」


「ちがっ……」

 

 妹は少し照れ臭そうにしている。

 そんな妹の兄である自分、瀬戸敬介は、今年二十歳になったばかりの男だ。


 今日十歳になった妹の瀬戸いおりと一緒にここで過ごしているが、この年齢のせいで、もういおりと一緒には暮らせない。

 

 なぜなら、二人が住んでいるこの場所は、田舎にある児童養護施設だからだ。


 ここで過ごすにはもう自分はギリギリの年齢だった。

 

 幼い頃、両親を交通事故で無くし、いおりとここへ来て共に生活し、寝食を過ごした。

 

 ――親がいない二人。


 この兄妹は誰が見てもきっとこの世の弱者だと思われるだろう。

 だがそんな弱者でもいおりと共に、ここで笑い合い、強く生きてきたのだ。

 

 妹は、両親の記憶はほとんどなく、もちろん寂しい思いもたくさんしたはずだ。


 そんないおりは自分にとってかけがえのない、唯一の家族だった。

 いおりがもしいなければ、今の自分はいないかもしれない。


 そんな自分は、二年間フリーターとして、決してがっしりとは言えないこの体で様々な力仕事のアルバイトをしたりしながら、お金を貯めて大学に進学して好きな外国語についてもっと勉強しようと思っていた。


 だが、この二年間で妹の進路なども考え、現実が段々と見え始めたのだ。

 この状況ではやはり進学は難しいと判断し、近くの運送業に就職することを決めた。


 そう、社会人への道を選んだのだ。


 だが、唯一の家族である妹をそれで支えていけるのであれば申し分ないと思っていた。


 何より妹が頼れるのはこの自分しかいないのだから。


「兄ちゃんが早くしっかり稼げるようになるからさ、いおりは余計な心配しなくていいからな! それにすぐ迎えに来るからさ、ちょっと待っててくれよな」


「……うん」


 いおりの頭をポンポンと優しく叩く。

 そんないおりの髪は、前髪から横髪にかけては真っ白だ。

 この白い髪のせいで、嫌な思いもたくさんしただろう。

 だが妹は、悲しい時でさえもいつも強がってばかりだった。

 いつも遠慮がちで、自分の思ったことや、してほしいことなど滅多に口にしない。

 そこが兄としてもとても心配なところだった。


「……ね、お兄ちゃん、本当は大学に行きたかったんじゃないの……? お兄ちゃんはこの選択でほんとにいいの……?」


「何言ってんだよ、急に。いいに決まってんだろ! オレとお前は二人だけの家族だぞ?」


「そうだけど……」


 妹は申し訳なさそうだった。


「そんなこといおりは気にしなくていいんだって。兄ちゃんはいおりの為だったら頑張れるんだから」


「ありがと……」


「なぁ、兄ちゃんをいつでも頼っていいんだからな。遠慮すんなよ。さって、今日はいおりの十歳の誕生日だ。何か願い事はあるか? 今すぐ叶えられるかは分かんないけどな、まー初給料で出来ることなら助かるけどな!」


「あ、あのね、お兄ちゃん、一つ大事な……、大事なお願いがあるの」


「お、なんだ言ってみろよ!」


「過去を……お兄ちゃんの過去の選択を終わらせて欲しいの……」


 いおりは下を向きながら、スカート部分をぎゅっと強く握り、少し震えた小さな声でそう言った。


「過去の選択……? どういう事だ? おいおい、なんで泣きそうなんだよ……」


 願い事の意味は全く分からなかったが、なぜかいおりの目には涙が溢れそうになっていた。



 ――その時だった。



「――我は聖なる人ホリスト族のイデア。白神ベロボーグよ、全ての精霊たちよ、我に力を注ぎたまえ……!」


 いおりが急に両腕を広げたかと思うと、突如、眩しく輝く光が放たれた。


 その瞬間、空間が伸びるように大きく開け、風や水、土や火、様々な自然の恩恵を受けた多くの緑が移り変わっていく。

 それはまるで、多くの時間と季節が過ぎ去っているかのようだった。



「……は?」


 目の前の光景に思わず呟いた。


 先程までいた古い六畳の部屋と打って変わって、なぜか壮大に草花が咲き乱れる大草原に突っ立っていたのだった。

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