第2話 ぴっちぃ、始動

 家の人たちが留守のあいだに、ぼくは家じゅうの本の中から『家庭の医学』や、健康に関する本を手当たり次第に読んでみた。

 屋根裏に置きっ放しのダンボール箱は、本が入っているものだけでも十数個はあったが、いちおう全部タイトルに目を通し、手がかりがつかめそうな本をめくってみたりもした。


 それから、市民図書館や大学の医学部附属図書館へも潜り込んで調べてみた。このあたりまでくると専門的な学術書ばかりになってくる。英語やドイツ語の文献も、辞書を引きながら必死に読んだ。

 勝手にパソコンを使えないのが不便だったけど、一生懸命勉強して、ぼくはついに、ママの症状らしきものが書いてある論文を見つけた。


 いや、論文といえるほどの代物でもない。とある大学の哲学系学部の図書室を調べたとき、資料庫の奥で、きちんと製本もされていないコピーを綴じたものを、偶然見つけたのだ。

 研究者自身も、正当な学術雑誌に載せるつもりもなかったみたいだ。


 Damin-Gutara-Syndrome


 魂が全体性を失って無気力となり、知的活動能力が極端に低下し、やがて日常生活にも支障をきたすというやっかいな病気だ。

 治療法がないわけではない。薬物療法がある程度効果的だという臨床報告も出ているらしいが、それはあくまでも対症療法であって根本的な治療ではない。一生完治しない場合も多いらしい。


 ただ、この症候群の患者には、通常の人より〈イヤシノタマ〉値が低いという共通の特徴がみられ、〈イヤシノタマノカケラ〉を収集して魂に取り込めば、まあまあの確率でその値を正常域に戻すことができる、と書いてある。

〈イヤシノタマノカケラ〉は、どんなものでもよいわけではなく、その患者特有のものしか適合しないという。輸血とかではだめなのだ。


〈なんとかのカケラ〉なんていうと、なんだか割れたツボの破片のようなイメージだが、その論文もどきによれば、もっと抽象的なものだ。

 全体で一つを構成する重要な細胞であるとか、組織とか、あるいは血液中の成分のようなもの。

 即物的なものでも象徴的なものでもありうる。

 また、物質でなくとも、たとえば思想や観念でも〈あり〉だという。


〈こんなんじゃ、学会に発表なんてできるわけがないよな〉

 と思った。

 おそらくこの草稿の著者も、学者としては相当変わり者のアウトサイダーなのだろう。

 名称にしたって、学術的に日の目を見ることもなさそうだから、とりあえず〈イヤシノタマノカケラ〉と仮称をつけてあるだけだ。〈ファクターXYZ〉のように記号で表してもよいのだ。


 いささか頼りない根拠ではあるけれど、方向性は決まった。

「ママの〈イヤシノタマノカケラ〉を見つける」


 きっといくつも必要なはずだ。ママの魂は相当ボコボコに壊れていて、〈イヤシノタマ〉値はうんと低いはずだ。全部は無理だとしても、集められる限り集めてママの魂に戻してあげよう。

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