まほうがとけるまで/20:50

20時50分 茅場深澄(かやばみすみ)

◆うつぶし地区/建設現場/ナレーション:ドロシー


 うつぶし地区、港湾再開発建築部現場事務所のモニターは、かれこれ一時間半、つけっぱなしでした。

 現場主任の茅場深澄【50歳/男性/建設業】さんと、帰宅困難になった作業員のみなさんがドンヨリした様子で思い思いのことをなさっていました。

『最新の交通情報です。環状モノレールは終日運転を見合わせ、一般道はひいろ地区立体交差で、事故による通行止め。ハイウェイは事故処理のため30㎞の渋滞。迂回路も混雑しています』

「嘘だろ……モノレール終日運休になりやがった」

 部下のクーロさんと買い出ししてきたレトルトスープと合成パンを口に放り込む深澄さん。モノレールに乗れないと、完全にお家に帰れません。

 少し前に現場で盗難が発生した影響で、ショッピング街の現場はしばらく稼働できず、今日やっとお仕事が再開できたばかりでした。

 残業が終わって事務所に戻ったら、ニュースでは清掃人形の暴走事故で持ち切り。交通もマヒし始めていました。

 切り替えの早い人たちは、近場の無事なホテルに部屋を取りましたが、帰宅を諦められない人たちが状況の改善を待ち続けた結果、交通は完全にガタガタ、近くの宿泊施設は満員。帰れないままになってしまいました。

 何人かいた女性は警備部の仮眠室に泊めて貰うことにしましたが、成人男性が7人寝るには、幾らなんでも……

「この人数で夜明かしってヤバくねーすか」

 クーロさんが面白そうに尋ねますが、深澄さんはすっかり気落ちしてらっしゃいます。

「やべーに決まってるだろ。二十年前ならまだ行けたけど、この歳じゃキッツいわ」

「まあ、水上バスが臨時で出るかも、って言ってますし。帰れるかもですよ」

「水上バスで帰ったら何時だよ……まあ帰っけど」

「そんな帰りたいもんですか」

「うち、嫁と俺の母親と娘二人だから」

「あー」

「ウチのサンドリヨンは何もなかったから良いけど、外がこんなじゃ心配だわ」

 そこで、深澄さん、何かに気が付きました。

「お前、帰れるだろ」

 クーロさん、本来のご自宅と別に、工事の間は現場から歩いて二十分程度のマンションに部屋を借りています。

「だって、なかなかないですよ。こんなおも……貴重な体験」

「面白がるな」

 別のテーブルでは、ここで籠城するつもりの人たちがお酒を開けています。

「みんな、明日の仕事大丈夫だろうね?」

 深澄さんに言われた皆さん、笑顔でお酒の缶を掲げました。クーロさんと同じく、いつもと違う夜にソワソワしているのかもしれませんね。

 モニタでは、まもなくサンドリヨンの製造元であるヘイゼルの社長、アシュリー・グレイ夫人が公式配信をするというテロップが出ています。

「やっと社長出るか。原因とか分かったのかね」

「主任買い物してる間、情報工大の教授さん? だったかが、インタビューでハッキングじゃないかって言ってたっすね」

 お酒を飲んでいた作業員の方が深澄さんに答えました。

「はー……」

 家電については詳しくない深澄さん、生返事でモニタを眺めます。モニタの中では、グレイ夫人が自社ビルの広報スタジオで配信を始めています。

 サンドリヨンの更新データに脆弱性があったこと、そこを外部からハッキングに利用されたこと、暴走時のリスクについて注意を怠り事態の深刻化を招いたとして謝罪がありました。

 その配信を見ながら、ついにお酒の缶を開けたクーロさんが感心しました。

「すげえちゃんとしてる」

「ちゃんと?」

「言い訳に聞こえないように話してんですよね。見習わないとな」

 クーロさん、行く行くはお父さんの跡を継いで、この会社でトップに立ちたいんですって。

「配信なのも上手いっすね。言うこと言って終わりにできるもんな」

「本人かリスク管理チームが優秀なんじゃ?」

「仕事できそうだもんなあ」

「ウチの主任だってなかなか」

「なんだよ。褒めても何も出んぞ」

 ……この人たち、配信をおつまみにし始めましたよ。

『現在、不具合を修正した更新データを作成中です。社内で確認でき次第改めて更新データを配布するとともに、現在ハッキング被害にあっている機体については、全件点検、交換をさせていただきます。窓口については三日以内に設置し、全てのユーザーへお知らせ致します』

「ウチのやつも変えて貰えんのかな……お」

 配信中の画面上に、速報を知らせるテロップがかかりました。水上バスの臨時運行が九時半から始まるとのことでした。

「やった、やっと帰れる!」

「えっ主任ほんとに帰るんすか」

 酒盛りチームの一人が混ぜっ返します。

「帰るよ! 帰って三時間でもベッドで寝るんだよ!」

「あー……そしたら自分も帰りますわ」

 もう一人の若い作業員さんが、お酒の缶を飲み干して立ち上がりました。

 クーロさんはしれっと「俺は飽きたら帰ります」と、豆ジャーキーを齧っていたのですが、「あ!」とモニタを見て声をあげました。「犯人!」

『配信の途中ですが、市警から発表がありました。午後二十一時、みそら地区の分署に、サンドリヨンをハッキングした犯人だと言う男性が自首してきたとの事です。繰り返し……あ、お待ちください』

 分署前の監視カメラ映像が流れます。つば付きキャップを深くかぶり、更に上から黒いパーカーをかぶった人影でした。人相は分かりません。事務所がまた騒がしくなりましたが、モニタでは新たな速報が読み上げられていました。

『こちらも速報です。第02特区でハッキングによる動作不良を起こした清掃人形が、充電切れにより停止し始めました。えー、動かない清掃人形に対しては充電池を抜き取り、ヘイゼル社からの修正データが配布されるまで……』



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