第9話 The Juniper Tree

【今回のエピソードは配信先の価値観、倫理と相違する点がありますが、オリジナリティを考慮しそのまま書き起こしています】


いつかのどこかのお話です。

あるところに、第02特区という島がありました。

みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。

この島では、住民の皆が主人公。

そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。

今日の主人公は、新人ナースのこず枝さん。慣れない彼女の業務を、見守ります。


 P-PingOZ 『The Juniper Tree』 ナレーション/リエフ



「……夜勤申し送り以上です」

「ありがとうございます。お疲れ様でした。えー、本日の予定ですが、義肢オペが三件、五〇二号室の……」

 真剣な表情で朝のカンファレンスに参加する、淡い金髪をショートボブにした若いナースが、今日の主人公こず枝・ミコヤナさん【23歳/女性/看護婦】。去年入ったばかりの新人さんです。手足が長く、意志の強そうなブルーグレイの目をしています。

 彼女のお勤め先は実習の時から念願だった、第02特区医療大学附属病院……なのですが、希望していた外科病棟ではなく、ねずの木棟に配置になりました。

 ねずの木棟は入院病棟の5階にあります。代替医療の外科手術とその定期メンテナンス、悪性腫瘍への対処、医療用ナノマシンによって体調を崩された方の調整を主に行うところです。長く入院する方、術後の経過に注意が必要な方が半数を占めています。

「今日も一日お願いします」

「お願いします」

 こず枝さんの勤めるフロアでは、夜勤と日勤合わせて一日に十人程度のナースさんが二交代、最大三十人の患者さんを担当します。カンファレンスや情報取集を終えると、巡回の時間はすぐです。

 お仕事道具を入れたワゴンを押して、こず枝さんは病室を回っています。どのお部屋でも「こず枝ちゃん」と呼ばれ、ご挨拶以外にも世間話や昨晩の愚痴を聞かされたりしています。からかわれているのか、かわいがられているのか。

 それに相槌を打ちながら、患者補助AIによる朝の体温や血圧の測定値を業務タブレットのカルテに同期させ、点滴やモニタのチェックや患者さんの様子を確認していきます。処方の出ている方へ処方薬を渡すにも、ひとつひとつをしっかり確認しながら。

 メンターの先輩ナースがお昼過ぎまで研修で不在のため、今日は普段より緊張している様子です。最後の個室へ向かいながら、特に何事もなかったことを安心するよう、大きく深呼吸したこず枝さんです。

 最後の患者さんの個室では、古いディスコミュージックが控えめに鳴っていました。長く入院している方です。病室に小さなスピーカーを持ち込んで、音楽やラジオを聞いていらっしゃるんです。

「おはようございまーす。調子いかがですか?」

 病床の主、シアンさん【シアン・ソラール/26歳/男性】はタブレットで読書中。

「おはようございます」

 目の下に濃い隈を残して、シアンさんは目を細めます。「昨夜よりは楽ですよ」

 ご本人はそうおっしゃいますが、不眠と嘔吐でナースコールが数度鳴ったことは引き継がれています。

「よかったです。今は気持ち悪いとかないですか」

「大丈夫。朝ごはんも食べられそうです」

 シアンさんは、胃に悪性の腫瘍があります。医療用ナノマシンで進行を遅らせながら、再生医療によるクローン臓器の培養ケースが空くのを待っているところです。

「なによりです!」

 電子カルテに書き込みしているこず枝さんから窓の外に視線を移したシアンさん。

「……すっかり春だねえ」

「ですねえ。再来週ぐらいに、中庭でお花見しましょうっていう話もあるので、よかったらぜひ」

「そう」

 生返事のシアンさん、ほろりとこぼします。

「……クルマ乗りたいなぁ」

 運転が大好きなシアンさん、以前は駕籠屋【個人経営のタクシー運転手】さんでした。

「……えっと」

「ああー、ごめん。先生たち、今日いらっしゃるんだよね?」

 シアンさんが気を使って話題を変えてくれました。

「ああ……はい! 十七時予定です」

 今日はケースワーカーと担当医、ご家族の方も交えての話し合いです。

「そのことなんだけど」

 シアンさん、タブレット端末で音楽を止め、言いにくそうに切り出します。

「誰か男の人に同席して欲しくて」

「そうですね……」

 業務用タブレットでシフトを確認します。「大丈夫そうですけど」

 語尾に疑問がにじんだこず枝さんに、シアンさんが苦笑いします。

「明るい話じゃないんでしょう? 弟には言って聞かせますけど、万一があるんで」

 朝のお薬を準備していたこず枝さん、一瞬返答に詰まってしまいました。

 シアンさんは、病状の悪化で昨年の冬から長期入院をしています。

「わかりました。相談してみますね」

 笑顔を作って、こず枝さんは答えます。シアンさんには伏せていたのですが、今日はこのまま再生医療の順番待ちを続けるか、末期ケアに入るかのご提案をする予定でした。

「お昼の時にはお返事できると思います」

「助かった。忙しいのに引き留めてごめんね」

「いえ、全然。無理と我慢はしないでくださいね。失礼しました」

 こず枝さん、まだ、患者さんとの受け答えに慣れていない様子ですね。

 シアンさんはもともとお仕事中に起こした事故で外科病棟に入院していた方でしたが、胃の腫瘍を別の病院で治療中であること、そこで経口タイプの医療ナノマシンを摂取したことが分かったため、ねずの木棟にベッドが移った方です。

 医療ナノマシンと言っても、シアンさんのような悪性腫瘍に対して使うものは、言葉から想像されるような機械ではなく、薬剤を入れた、ナノレベルに小さなカプセルです。用途によって、経口摂取できるようにしたり、点滴や注射などを使用します。

 その、シアンさんに処方されたものが、特区の定める使用期限を大幅に超過したものでした。症状は改善せず、副作用による体調不良を押してお仕事を続けた結果……


【ガードレールに衝突する空色の車両の映像】


 痛ましいお話ですが、ままある事例です。

 お部屋を出てから、こず枝さんはシアンさんからのご要望を、しっかりカルテに残しました。

 シアンさんをはじめ、こず枝さんが担当する方は落ち着いて正直な患者さんが多いのですが、おそらくこれは先輩たちの配慮です。

 中には我慢しすぎたり、症状を過少に申告される方もいらっしゃるのですが、病院ではどんなに些細な変化でも正直にお伝えください。よろしくお願いします。


  👩🏼‍⚕‍


 ……十二時少し前。ナースコールが鳴りました。四人部屋、右足の代替医療手術を終えたブリタニー・ミラー【24歳/女性/猟師】さんのベッドです。

「はい、ナースステーションです」

 こず枝さんがタッチパネルを操作してコールを受けます。

『ミラーだけど、隣のカヤさんがおかしいんだ。すぐ来て!』

 こず枝さん、振り返って先輩たちを見ます。ステーションのナースたちに緊張が走りました。担当の先輩ナースがこず枝さんに代わって話を受けます。

「先に別の者がいきます。すぐ追いつくので大丈夫です」

 先輩はこず枝さんに病室へ向かうよう手で指示。こず枝さんが早足で病室へ向かうと、ブリタニーさんが、ただならぬ様子で手招きをします。

「話しかけても返事がなくて、つらそうなんだ」

 ブリタニーさんのお隣は、千萱ちかやマリア【23歳/女性/学生】さん。ブリタニーさんと同世代のお隣同士、仲良く話しているところを何度か見ていました。左手首から下を義手に置換したばかりの人です。

「千萱さん失礼しますねー」

 有無を言わせない明るさで、こず枝さんが仕切りのカーテンを開きます。

 こず枝さん、一瞬呆然と動きを止めました。

「看護婦さん、カヤさん大丈夫?」

 ブリタニーさんの呼びかけではじかれたように、メディカルコンソールからナースステーションを呼び出しました。

「ミコヤナです。急変です。三〇八号室千萱さん」

 報告の声が震えます。千萱さんはベッドで丸くなり、左手首を強く握っています。呼吸はあり、意識の確認をするため伸ばした手は、千萱さんに強い力で払いのけられてしまいました。

 筋電式の義肢との接続を密にするため使用されるナノマシンは、患部の疼痛、急性の拒否反応で発熱や痙攣の可能性があるため術後数日は油断ができません。

「千萱さん! 千萱さん聞こえますか?!」

 同室の患者さんに不安が伝わらないよう本人は頑張っているつもりなんでしょうけれど、場数を踏まないとなかなか難しいことです。

「千萱さん、すぐ……すぐ先生に診てもらいましょうね」

 ひるみながら、こず枝さん、なんとか千萱さんに声をかけ続けます。

「失礼しますねー。千萱さん大丈夫ですかー?」

 先輩たちが追いついてくれました。ストレッチャーや点滴の乗ったワゴンを引き連れています。

「拒否反応です。3から4」

 こず枝さんは、それだけ伝えるのがようやく、といった状態です。


「高いね。ショウさん、朝巡回は?」「バイタルは正常でした」「何も言ってなかったの」「はい」「先生すぐ診られます」「エレベーター来てます。受け入れもOKです」「こず枝さん」「あ、はい!」こず枝さん、先輩に促されて千萱さんの両足を抱えます。「いくよー、1、2、3!」

 ストレッチャーに千萱さんを移します。千萱さんに落下防止の固定バンドが手早く巻かれました。


「OK、あと引き受けるわ。こず枝さん戻って報告書お願い」「……はい」「大丈夫よ。頑張った。ありがとね」「はい」「千萱さん頑張ったねー! 先生のとこ行きますねー!」「すみません通りまーす!」「ミラーさんコールありがとう!」

 明るいつむじ風のように、千萱さんを乗せたストレッチャーと先輩たちは去っていきました。


 見送るこず枝さん、長い手足を持て余すように千萱さんのベッドを整理して、ミラーさんに改めてお礼をし、静かな緊張の残る廊下を、ステーションへ戻っていきました。

 ……十四時を少し回りました。千萱さんが持ち直すまでお留守番だったこず枝さんは、中庭のベンチで遅いお昼です。……あまり進まない様子。

 先輩たちからはねぎらわれましたが、それがかえって、こず枝さんを落ち込ませてしまったようです。

 パックのビタミン飲料を吸い込むこず枝さんに、痩せた少年の影がかかりました。

「こーずー枝ーちゃん」

 数か月に一度短期入院する、バオくん【未登録市民のため個人情報不明】です。半袖から、たくさんのアルファベットやトライバルのタトゥーがのぞいています。

「こんにちは。寒くないの?」

「ヘーキ」

 バオくんは芝生にあぐらで座ります。

「そっちこそ大丈夫?」

「なにが?」

 バオくん、片手で頬杖をついて、気づかわしそうにこず枝さんを見上げます。

「元気ないじゃん」

 バオくんは、右目が義眼の男の子です。義肢接合ナノマシンが眼底から散らばり、健康な関節を攻撃し炎症を起こしてしまう、症例の少ない関節炎を患っています。全身の痛みと発熱を訴えて来院したのが一昨年。それから断続的に対処療法を続けています。

「そうかなあ」

「そうだよお。いじめられてない? 俺喧嘩つえーから、何かされたら言ってね」

 屈託なく言うバオくんを、こず枝さんはたしなめます。

「ケンカはダメだよ。バオくん今日退院でしょ」

「へへ」

 そうしてバオくん、はにかみ笑いです。

「まあ、さ。なんか知らないけど。無理と我慢はいけないですよ」

 こず枝さんが巡回終わりに決まってかける言葉です。

「こず枝ちゃんが毎日言ってくれるから、俺ちゃんとできてたんだ。お世話になりました」

 座ったまま、上半身を折りたたむバオくん。

「それに……」言いかけたバオくんが、何かに気づいて急にうつ伏せに寝そべりました。

 振り返ると、こず枝さんのメンター、梁薙やななぎさん【梁薙ヒューガ/33歳・男性・看護夫》が上着片手に立っています。

「こら。ミコヤナさん困らせるんじゃない」

「あ! 研修お疲れ様です。あの私、大丈夫ですから」

「そうだそうだ。まだ何もしてない」

「じゃあなんで隠れる」

「ええ……? 習性……?」

 思わず笑い声を漏らすこず枝さん。こず枝さんに見えないところで、バオくんが梁薙さんに親指を立てました。

「なんで俺の居所わかったわけ。腕輪切ったじゃん」

 入院患者さんにはチップ入りのバンドが巻かれていて、業務タブレット端末で位置が分かるようになっています。

「ミコヤナさん探せばお前がいるんだよなあ。上着放ってどこ行くのかと思ったぜ」

 患者さんの腕輪と同じく、業務タブレットも位置情報が分かるようになっています。

「それより、こず枝ちゃんが落ち込んでるよ。いじめたらダメだよお」

「濡れ衣!」

 梁薙さんに小突かれて笑うバオくん。

「俺、また来るからさあ。元気でね、こず枝ちゃん」

「俺は」

すかさず梁薙さんが割り込むと、「言わなくても元気じゃ~ん」梁薙さんから上着をさらって羽織るバオくん。

「じゃあ、またね」

 振り返らずに手を振って中庭から出ていきます。

「おう、元気で再入院しろよ~」

「気を付けて帰ってね」

 しばらくしてバオくんの「たっか!」という声が聞こえました。請求書を見たのでしょう。

 苦笑いするこず枝さんに「悪いな。あいつ、かまって欲しいんだよ」梁薙さんが言います。

 バオくんは、入院時の保証人がいつもご家族以外の大人で、市民IDも携帯していません。割高な請求書は未登録市民だからです。

「何度か入院すっぽかしやがったんだけど、去年かな。真面目に治療続けたいって言って来てさ。理由聞いたら、友達ができたって言うわけ」

 寂しかったんだろうなあ、と、梁薙さん。

「次は夏ごろに来るはずだから、よろしくしてやってくれ」

「それはもちろんです」

 仕事の範疇で当然のこと、という雰囲気のこず枝さんに、あいつも可哀そうだな、梁薙さんは苦笑いです。

「それと、昼は悪かったな。俺いない間大変だったって?」

「いえ、ちゃんとできなかったのが、その……」

「悔しい?」

 こず枝さん、強くうなずきました。

「そっか。悔しいなら大丈夫だな。今度Vプロ【VR研修プログラム】しよ。休憩あとどのくらいよ?」

「えっと」

 業務タブレットで時間を見て「やだな。戻らないと」

「ありゃ。とりあえず食えるもの食っておいで。先戻るな」

 こず枝さん、慌ててパンを口につめて、食べながら立ち上がります。

 制服についたパンくずを払いながら、タブレット片手に先輩を追いかけていきました。

 ねずの木に埋められたら戻れないと、口さがない人たちは言います。

 そんな言葉たちを倒すために、こず枝さんたちは今日も働いていらっしゃいます。


【スタッフロール】ナレーション:リエフ/音声技術:琴錫香/映像技術:リエフ・ユージナ/編集:山中カシオ/音楽:14楽団/テーマソング「cockcrowing」14楽団/広報:ドロシー/協力:オズの皆様/プロデューサー:友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック



 P-PingOZ 『The Juniper Tree』 終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る