24 請求書
午後六時になり、クロードが学校から帰ってきた。
既に使用人から連絡を受けていたらしく、帰ってくるなりルークの両親に挨拶をしている。そんな彼に二人も、深々と頭を下げながら挨拶を返している。家の違いを見せ付けられたように感じて、ルークは両親に不快感を隠せない。
挨拶が終わると親達は、せっせとバーベキューの準備を始めた。ここではマーカスやシーラが主導権を握って、クロードは軽く手伝うような形になった。
「お前のとこのおじさんやおばさん、やっぱり感じが良いよな」
ロックが、そんな親達の様子を見ながらルークに囁いた。子供達はゆっくりしていろとマーカスに言われたので、ルーク達三人は噴水を挟んだ塹壕側で集まっていた。
「ん、そうか? 俺からしたらクロードさんみたいに知的なのが憧れるけどな」
「僕が憧れるのは逆で、親らしい親かな」
「どっちも人間の親じゃねえか」
レイルがどうでも良さそうに口を挟む。
「レイルはどんな親に憧れる?」
ロックが軽い口調で聞くと、彼女は一瞬だけ考えるような仕草をして答えた。
「一緒にバーベキュー出来るような親」
彼女の皮肉により、空気が凍る。当の本人は軽いジョークのつもり――彼女はルークやロックにしか身内の皮肉は言わない――なのでどこ吹く風だが、ルークとしてはどう返したら良いかわからなくなる。返答に困っていると、隣でロックが口を開いた。
「僕は、レイルの言いたいことが少しはわかる。差別はいけないってことはわかるけど、どうしても『病気の親の考え方』や『権力者の親の考え方』ってのは子供にも移るんだ。これは僕が言うんだから間違いない。知らない間に卑屈になったり、強引になっている自分に気付いて……『親が普通だったら良かった』って思ったりする」
「そんなの――」
「――言い訳だ、なんて言うなよルーク。ロックがどんな気持ちで言ってんのかわかってんのか?」
下を向いたままのロックにルークが反論しようとした瞬間、ピシャリとレイルが言い捨てる。その一言でルークの頭は急激に冷える。
――『普通が良かった』か。
何もかもが普通ではない、広い意味での差別の対象だった彼に、自分はどれほど残酷な言葉を投げ掛けようとしていたのか。
「人は、失って初めて大切さに気付くんだ。私も母さんが病気じゃなかったら……それでもまだ、今ですら、大切さに気付いていないこともあるんだろうけどな」
そう言ってシニカルに笑うレイルは、ルークよりもよっぽど大人びて見えた。
「おーい! 焼けたぞー!!」
マーカスの大声が響いて、丁寧に手入れされた草木が少し震えた気がした。ほんの少しの距離なのに全く手加減の無い声量に、誰とも無しに笑い出す。
笑いながら向かってくる子供三人に、照れ臭そうに笑うマーカス。シーラとクロードは、一生懸命に野菜炒めと格闘中だ。
ホームパーティー用のどこにでもあるような鉄板の上で、色とりどりの野菜と肉が焼かれていた。どれもしっかりと火が通してあって食べ頃だ。
食べやすいサイズに切られた具材を、各々が紙皿に盛りつける。肉ばかり取って幸せそうなレイルの隣で、ロックはクロードに野菜中心の皿を手渡されている。
「息子さん、ご病気だそうですね?」
クロードにシーラが話し掛けた。彼女は手に持った皿にはまだ手を付けておらず、本当に心配そうだ。
失礼な発言かとルークはどきまぎしたが、クロードに気にした様子は感じられない。本心から心配した失言よりも、嘘だらけの整えられた言葉の方が相手を傷付ける。
「もう、この生活にも慣れましたよ」
クロードは笑ってはいるが、その顔には一年半分の苦悩が刻まれている。
「そうですか……」
目を伏せるシーラに、クロードはわざと明るい声を出す。
「息子のことは必ず治してみせますよ! どんな名医に見せてでもね!」
「確か世界中を回っているんでしたよね?」
暗くなった空気を戻す為に、マーカスも明るい口調で会話に交ざる。
「ええ、名医の噂があれば、世界中のどこにでも行きますよ! もちろん、研究も兼ねてですが」
後半部分はわざと小さい声で、わざわざ片手で口元を被う仕草までしてジョークを飛ばす父親に、堪らずロックは吹き出した。本気でないことに気付いた全員が、今度は大声で笑った。
「驚かさないでくださいよ! ほんとにもう。天才はジョークも上手い!!」
「うちの旦那とは雲泥の差だわ!研究は確か民俗学でしたよね? ジョークだとしても、少しは各国の文化に触れられたんではないですか?」
「ええ、それはもちろん。沢山の遺跡も訪問しました」
「遺跡ですかー。うちの商売では家しかやってないんですが、そういうのにも興味はありますなぁ」
「そうなんですか!? それなら先日、新しい遺跡が発見されたんですが、こちらとしては知識が足りなくて鑑定に困っていたんです。もし良ければ是非立ち合っていただきたいんだが?」
「そりゃもちろん。なぁ?」
「夫婦二人共、は日にちによっては厳しいですけど、こんなボンクラ旦那で良かったらいつでも使ってやって下さいな」
本気で喜んでいる両親の隣で、ルークはなんとなく嫌な予感に駆られた。レイルに目をやると、彼女もこちらを見ながら、親達の会話に耳を傾けていた。ロックは静かに車椅子の上で、愛想良い笑顔を振り撒いている。
ビジネスの話で一時間程時間が経ち、入り口の門からインターホンの音が響いた。レイルの父親が到着したのだろう。使用人が応対しに向かうのが見える。全員が集まる場所からは、植え込みが邪魔して使用人の姿は見えない。
だが、暫く待っても一向にその応対が終わる様子がない。疑問に思ったのかレイルが門に向かおうとしたので、ロックの車椅子を押しながらルークも付いて行く。
「いくらなんでも、私の親父ならあんなにモメないだろ?まさか、この屋敷が銃の携帯禁止な訳じゃあるまいし」
「皮肉か? 答えは一つだ。請求が来たんだろ」
「……だからわざわざ俺が押す役になった訳ね?」
門が近づくにつれて、三人は無言になる。
まだ、訪問者が請求に来たとは限らないからだ。
「……ですから、急に来られて請求書を突き付けられてもこちらとしては困るんです。御身分をおっしゃって貰わないと、旦那様に取り次ぐことは出来ません」
困惑したような、怖がっているような、しかし絶対に引かない意思を感じさせる使用人の言葉が聞こえてくる。どうやらビンゴのようだ。
「ローズ。下がっていてくれ。僕の客人だ」
植え込みの闇に紛れるようにして隠れていた三人だが、ロックの言葉を合図にローズの前に出る。
「ぼっちゃま? し、しかし、このような身形の人間がお客様だなんてっ」
彼女が狼狽するのも無理はない。門を挟んで対峙する相手は、明らかにアジア人の男だったからだ。インターホン越しにも危険な雰囲気が滲み出ている。
恰幅の良い体つきで、顔をサングラスとロングマフラーで隠している。編み込まれた黒の長髪は、残念ながら四人の好みにはマッチしていなかった。
「受け取りは、僕でも良いかな?」
門は開けずに、物を受け渡す為に設置している子窓を利用する。ロックが小窓を開けると、男は頷き請求書を渡して来た。ロックがそれを受け取るや否や、その男は足早に去って行った。
「あ、あれは誰なんですか?」
腰を抜かしかけている使用人に、ロックは微笑む。
「アジアの知り合いさ。父さんも知っているビジネス仲間だけど、今回は内緒でミリタリーごっこの装備を用意してもらったんだ。このことは父さんには内緒だよ?」
にっこりと笑うロックに、使用人は拍子抜けしたように頷いた。次の瞬間、門が外側から叩かれた。一瞬ビクッとする四人に、野太い男の声が降って来る。
「すみません。レイルの父のトレインですが、インターホンはどこですか?」
「横にあんだろクソ親父」
間の抜けた父親の呼び掛けに、レイルは心底呆れた様子で毒づく。
「すぐに開けますのでお待ち下さいませ」
使用人が丁寧な動作で門を開ける。トレインが礼を言いながら入って来て、レイルを見つけるとさっそく娘の頭を撫でる。
「ようこそトレインおじさん。いつも仲が良さそうで羨ましいです」
ロックが完璧な挨拶を述べ、トレインも警察官らしく敬礼しながら挨拶を返した。
「それでは、向こうでバーベキューを楽しんでいるので先に行ってて下さい。僕らは少ししたら行きますから」
「ああ、あそこだな? 君達はどうするんだい?」
「ドンパチごっこの片付けがちょっと残ってんだよ、親父」
「……そうかい。なら、先に行かせてもらおうかな」
トレインは何故か大笑いしながら親達が集まっている場所に向かう。
「君も、少しは楽しんだらどうだい?」
ロックが庭の中心を指差しながら、ローズに優しい笑顔を見せる。
庭の中心――丁度パーティー真っ盛りのその場所で、昨日庭師が徹夜で植え込んだ、夜にしか咲かない花の花弁が開こうとしていた。もうしばらくすれば見頃になりそうだ。
「ぼっちゃまがそう申されるなら、そうさせていただきます」
花の美しさに惹かれるように、使用人も嬉しそうに庭に向かう。
「さて、人払いも済んだ」
「ここでちょっと見せてくれねえ? どれくらい金掛かってるか、俺も知りたい」
「ほんとに安いぜ?」
「お前の安いは私らの十年分の小遣いだがな」
「悪かったよ。どうなってるかな?」
そう笑いながら二つ折りになった請求書を開くロックの体が、硬直した。横から覗き込むレイルも絶句し、ルークも目を疑った。
その請求書には、ロック達の頼んだ機材以外にも、沢山の重機の請求が記載されていた。
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