勝負の行方 そのご。

 

 怒りに任せて、こんなやつに恥を晒す必要はない。冷静になりなさい、アタリー。こんな見えすいた挑発なんかさらりと受け流してやるのよ。


 深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着きを取り戻す。そう、私はやればできる女だ。大丈夫、大丈夫。


 頭が冷え顔を上げると、まず目に飛び込んでくるのは奴のニヤニヤした笑い顔。


 …………うん、大丈夫、大丈夫、こんなことで一々イライラしてたら私が疲れるだけだわ。冷静になってアタリー。


「まあまあ座りなよ。こんなことばかりしてたら一向に話が進まないんだけど?」


 誰のせいだぁっ!!


 と、途端ぶり返した怒りからそう吠えたいのを飲み込み、表情筋が勝手に動き出さぬよう努める。内心で舌打ちを見舞うのはお愛嬌ということで。


 ――さっきブチっと何かが切れた音がした気がするけど、多分気のせいだろう。


 私のその態度にアデルはにんまりと満足げに笑い、手の中で弄んでいた帽子を投げてよこした。


「それで?アタリーは私にどんな挑み方をしてくれるんだい?今のところ噂を流して御両親の心証を悪くする、なんてことにはなっていないようだけど」

「たった二週間の間でいきなりあんたの地位をどん底まで貶められるような噂なんか流せないから」


 ただでさえムカつくほど評判はいいのだ(主に女性陣からの)。そんな彼にいきなり辛辣な悪評が流れ出したらどうなるか。……簡単にその後の顛末が予想できる。


 時として敵になった女性陣は恐ろしい。特に噂関連には男を寄せ付けない圧倒的な強さを誇るのだ。


 好きな男が不利になる噂なんか耳にしてみろ。すぐさま発信源が特定され、たとえ誰かを使っていたとしてもずるずると表へ引っ張り出され貴族社会から爪弾きに合ってしまう。


 まだ先の長い人生、そんな危険は犯せない。


「というわけで私はこういう方法に頼ることにしたの」


 とん、と腰に下げた鞄からついさっき受け取ってきた小瓶を取り出し、奴の前に差し出す。奴は光を反射してキラキラと輝く丸みを帯びた小瓶を手に取り「これは?」と口を開いた。


「魔術薬」

「…………まさか君、私の記憶をすげ替えてしまおう、なんて気じゃないだろうね?」

「それこそまさか。それじゃあうまく事は運ばないでしょ」


 こちらへ胡乱げに目をやるアデルに今度は私がニンマリと笑う番だ。


「惚れ薬よ」


 多分、その瞬間のことはこれから先絶対忘れないと思う。


 いつも余裕綽々で泰然とした態度を崩さないあのシャルル・アデルが初めて目を丸くし、絶句したのだ。


 それには思わず机の下で両手をぐっと握った。この表情が見れただけでしばらくは勝ち誇った気分に酔えるというもの。むふふふふっ。 

 口端がにやけないよう頬に力を入れ、そっとその顔をうかがう。奴の口端はひくっ、と引きつって、目元もぴくぴくと痙攣している。


 困惑した顔は次いで渋くなり、奴は頭痛を覚えたかのように眉間を揉んだ。


「………………あのさ、君、勝負は諦めたの?惚れ薬って意味は知ってる?」

「当たり前でしょう?知らないで使うわけないじゃない」


 たっぷりと間を溜めた後、まるで幼子に単語の意味を問うような口調で呟く。

 何を当たり前のことを、と私が首を傾げれば、奴ははあーっと大きくため息を吐き出した。

 それはもう大きなため息を。


「これ、私が飲むのかい?まあ、状況からしてそうなんだろうけど……あんまりお勧めはできないよ?」


 慎重にそう話すアデルはもしかすると、それを飲む事で奴が私を好きになるとでも思っているのだろうか。

 そうならとんでもない話だ。

 なんで関係を壊したいと思ってる相手に好かれないといけないのか。それならば癪ではあるが顔を見るだけで嫌悪感を抱かれるような薬を選ぶ。

 ――あ、そういう効能の薬でも良かったかも。


「早とちりしないで。惚れ薬は惚れ薬だけど、それを飲んであなたが私を好きになることなんて万が一にもないから」


 ふんっ、と鼻を鳴らすと、奴は怪訝そうに私を見やる。今やその黒い目は頭の悪い子を見る目だ。失敬な。


「あなたに好意を持っていて、未婚、もしくは恋人のいない妙齢の貴族令嬢が対象の惚れ薬よ。付け足すとある程度――つまり一定以上優しくしてくれた相手に惚れる、というものね」

「……一応ちゃんとした予防線は張ってくれてるようだね」

「だって、あのシャルル・アデルの好きになった相手が仮に幼女だったり老女だったり、もしくは同性だったらどうするのよ、大変でしょ?見てる分には楽しそうだけど」


 安心して、と肩をすくめると、見るからに奴はほっと息を吐いた。いくらなんでも不特定多数が対象候補の惚れ薬を飲むのは恐ろしかったようだ。

 ま、気持ちは分からんでもない。


「あ、誰かを好きになったらきちんと私に報告するようにされてるから誤魔化せないわよ。というか好きになった人を放って私と結婚する意味もないし、魔術薬は魔法で解呪できないらしいから、その点は心配してないけどね」

「へえ、抜け目ないね」

「一番手っ取り早くて簡単で、親が納得する理由といったらどっちかに恋人、もしくは好きな人ができることでしょう?」

「確かに。このご時世だ、そう簡単に縁談を推し進められはしない、か。それ以外だと口車に乗せられる可能性も出てくるからね。――これを飲んで私が誰かを好きになったら君の勝ち。ならなかったら私の勝ち。そういうことでいいのかな?」

「あってるわ」


 つまりはそういうこと。要は好きになるかならないか、その是非で判断するのだ。これでアデルに恋人でもできれば破談までとんとん拍子に話は進む。晴れて私は自由の身になれるというわけ。


 満足げに頷いていると小瓶を引き寄せた彼はでも、と私を見つめ、


「この方法はいささか卑怯ではないかな?私に不利がありすぎると思うんだけど」


 そう、そこなのだ。


 これはあまりに一方的で、アデルに不利がありすぎる勝負とは言えない勝負。

 魔術薬というのは絶対の効力を発揮するのだから、飲むことで誰かしらを好きになってしまうことは必須。これではアデルが抗う余地が微塵もない。

 そんな勝負の体を成していない勝負を受け入れてもらうのは土台無理な話。私もそこはきちんと理解してる。

 だから。


「そう言うと思って、ちゃんと妥協もしておいたから」

「妥協ねえ……」


 疑わしげな口調に、なんで奴の中で私の信用度がそれほど低いのかと内心唸りながら魔術薬の詳しい説明を伝える。


「ある程度優しくしてくれた人に、とはいえ必ずそうなるとは限らないわ。確かにそれも条件の一つではあるけど、優しくしてもらって、それに対して少しでもアデルが好意を持ったら、の話。その好意の定義までは関与してないけどね。どう、妥協したでしょ」

「それは妥協じゃなくて理不尽って言わないかい?」


 そうとも言う。


 よほどの捻くれ者でもない限り親切にされてほんのわずかでも好意を抱かない人なんていないからね。要らぬお節介は別として。

 それにどんな好意に対して効能が発揮されるのかは私にも分からないし、親切にされて些細でも好意を抱かないよう心を鬼にしてかかればいいのだ。


 あと気をつけることといったら一定以上優しくしてもらわないように気を配ること、くらいじゃないかな。相手にしてもらう前に自分から優しくしたり、それとなく控えめで気の回る子からは接触を避けたり。

 優しくしてもらうというのはうまく立ち回れば以外と避けられることでもある。


 なんにせよ、私に利があることに変わりはないが。


 勝負はこの時点から既に始まっているのだ。


 どう?と胸を張って見せると、アデルは呆れたような、疲れたような色をそのお綺麗な顔に貼り付け、大袈裟なため息を吐いた。


 こいつ、さっきから人の顔見てため息吐いてばっかりだな。


「わかった、私もそれで妥協してあげよう。うまく立ち回ればそれなりに回避できそうな条件みたいだからね。――それにしても、魔法の知識がないようだったから魔術についても知らないと思っていたけど、意外だったね。驚いたよ」


 ふっ、これでも勉強しましたから。


 ……まあほとんどがリリーの受け売りだけど。


 今は社交期間真っ只中。流石にアデルほど人気者となると一週間ばかりとはいえ外に出ず引きこもるわけにもいくまい。だからこその手ともいえるが。


 ――それに、一つ言っていないことがある。


 奴に好意を持つ令嬢の想いの度合い、つまり本気度が高くなるに従ってアデルが相手に惚れやすくなる、ということを。

 相手によって「ある程度」の度合いが変わってくるということを。


 人気者のアデルに想いを寄せる女性はそれはもう大勢いる。中には憧れ半分の子もいるだろうが、本気の本気で、それこそ彼でないとダメ!と、それほど真剣に想いを募らせる子達だって確実にいる。

 そんな子達にちょっとでも接せられてみろ。一瞬で陥落間違いなし!


 卑怯?はっ。なんとでも言うがいい。


 私は結婚したくない。アデルとは絶対したくない。絶対と言ったら絶対。だから自分が絶対勝つ勝負を持ちかけて何が悪い。


 別に詳細を隠してはいけない、なんて言われてないし、全部が全部吐け、とも言われてない。屁理屈だろうがなんだろうが勝つためなら汚い手だって使ってやろう。


 妥協したとは言ったが、この勝負、まず私が勝つ。


「さっ、早く飲んで。効き目は明日から一週間後までよ。ほらほら」


 説明不足を悟られぬうちにさっさと飲め、と煽る。はいはい、とアデルはうるさそうに手を振り、小瓶を手に蓋を開け中身を一気に煽った。と、


「ぅっ!、……あっま……」


 口に含めた瞬間、奴は不味そうに顔を顰め、手の甲を唇に押し付け呻く。今日の私はとんでもなくツいてる。またしても奴の意表を突けたのだ。


 嬉しさのあまり机の下で気づかれないよう小さく手を握った。


 初めてここで会った時、甘いものが苦手な素振りを見せていたからもしや、と思ったのだ。

 リリーに味の注文を聞かれたとき「とびきり甘いので」と頼んでおいてほんとうによかった。


 なにこれ、と睨みつけるように上目に問われたので、私はにっこりと笑いかけて、言った。


「いやがらせ」


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