勝敗の行方 そのいち。
ゴホン、と二人の間に漂う微妙な空気を切り替えるように一つわざとらしい咳をしてみせたリリーは「じゃあまず」と切り出した。
「これはどのお客さんにも説明してることなんだけど――アタリーは魔術師と魔法使い、魔術と魔法の違いって分かってる?」
そう問われて、考えてみる。
魔術……魔法……、
――。
――――。
あれ。
――――そもそも私、魔法や魔術がどんなものか、全然知らないかも……。
唯一知ってることっていっても魔法が術や呪文、特定の動作を媒介にして何もないところから不思議な力を出すもの、っていう世間一般的な常識程度だし、魔術に関しては目の前に魔術師の友人がいるというのにからっきし。
捻ってもそれ以上は何も出てこず、私は素直に白旗をあげた。
「分からない、かな」
「まあ魔法が使えないと学ばないからね。知らなくても仕方ないことなのよ。使わない知識は必要ないでしょ?」
「確かに」
納得して頷く。
「今は魔術について知ってもらいたいだけだから、簡単に説明するわね。――魔法って何もないところから、たとえば呪文を唱えると炎や水なんかを出せるわね?」
リリーが宙でぐるり、と指を円を描くように回すと、その指先に小さな炎が灯る。これが魔法、と言い指を振って掻き消す。
「魔法はこういう風に、はっきりと目に見える形で起こるもの。対して魔術ははっきりと目に見えない形で作用するものを言うの」
「見えるか、見えないか……?なら魔術は何に対して作用するの?」
「それは術をかけられた人の内心に、よ」
立ていた指でトン、と胸を突かれる。そこに片手を這わせる私にリリーは少し意地悪そうに笑って、
「たとえばアタリーとシャルル様の婚約、ひいては結婚には政治が絡むため、これを破棄することは叶いません」
「えっ?」
「でもアタリーは男が嫌いです。だから将来苦労させられそうな女遊びの激しい最低な彼となど、死んでも結婚したくありません。――あ、これは別に私がこう思ってるわけじゃないから、私はむしろいい男だと思ってるから、勘違いしないでね。あくまでアタリーからみた彼の印象なんだから。……んで話を戻すけど、結婚は嫌だけど、今回の縁談は破談にできないほど大きな影響力のあるもの。避けて通れる道ではありません」
「…………」
「そこでアタリーは思いつきます。『そんなに嫌で耐えられないなら、いっそこの気持ちを無くしてしまえばいいのでは……?』と」
「…………つまり?」
なんとなく嫌な予感に駆られ、けど聞かずにもいられず、促してしまう。
リリーはニンマリとして、言った。
「相手は乗り気なんだから、アタリーが彼を好きになれば万事解決!」
「なわけあるかっっ!!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、机向こうのリリーに掴みかからんばかりに詰め寄る。
そんな私の肩を両手で押し留め、「まあまあ、本気にしないでよ。たとえばなしでしょー?」とリリーは呑気にのたまう。
いったい何を言い出すんだ。たとえでも嫌だ。無理無理。見てよこの腕。鳥肌がすごいんだけど!?拒否反応が出てるのよ?たとえばなしで!!そういうのはもっと心の準備ができてからにしてくれ。……いや、できてからでも絶対嫌だけども!
「でも、そうなったら平和的解決。でしょ?」
ケロッとそんなことを言うリリーにジト目を向ける。そんな視線を受け流し、彼女は要するにね、と話を続けて、
「そうやって嫌なものを好きだ、とか嫌じゃない、とか思い込ませるのが魔術なのよ。好き嫌いに限った話じゃないわ。他にもいろいろと。思い込ませる、刷り込み、そういったもの全般に魔術は作用するの。――魔術はね、魔法とは違って呪いとか、暗示みたいなものなのよ」
「……魔法では怪我が治せるけど、魔術では治せない、っていう?」
「そうそう。でも、全然痛くないー、とか、気にならないー、って思い込ませることはできるわよ。小さい子供は我慢ができないからねー。周りに怪我が治せる程度の魔法使いがいなければ、そりゃもう親は大変よ。そんな時が私の出番ってわけ」
特に貴族のボンボンは尚更よ、ちょっとの傷でもそうなんだから、と呆れたように肩をすくめた。それで儲けているとはいえ、些細なかすり傷なんかで頼られるのは微妙な心境らしい。
「最近の魔術の需要はそんなのばっかりよ。昔はもっと稼げたらしいんだけど」
「……あ。もしかして、政略婚が減ったから?」
察して訊ねると、リリーは首を縦に振る。
嫌なものを好きだと思い込ませる――それはつまり、嫌いな人を好きだと、嫌なことでも大丈夫だと、自分に思い込ませられるということ。
以前は好きでもない人と結婚しなければならなかった。素直に受け入れられる人もいただろうが、抵抗があった人も中にはいただろう。そんな時、さっきリリーが例え話に用いたように『その気持ちがなくせたら?』『好きになれたら?』と考えた人は多かったはず。
そんな背景を考えれば稼ぎが良かったというのも、年々魔術師が減少傾向にあるのも頷ける。
要は「需要がなくなったから」減ったのだ。
「魔術師と魔法使いは根本的には同じなのよ?魔法使いから派生して、魔術を生業にする者を『魔術師』って呼ぶようになっただけの話。だから魔術師も魔法は使える。……あ、でも魔法使いは魔術は使えないわよ。これはちゃんと専門に勉強しないとなんだから」
魔法使いが魔術を勉強しないのは、それも必要がないから、ということだろう。
リリーから、そこだけ間違えないように!と強く言い含められる。根本的には同じではあるものの、同じように扱われるのは嫌なのだとか。
「とまあ、二つの違いはこんなところ。………で、それを踏まえてどんな魔術をお求めで?」
私には今回のことで魔術を頼る、なんて頭はなかったし、というかそもそも魔術についての知識もなかった。だからどんな、と言われてもさすがにすぐには思い付かず、考える。
「――暗示、ねえ」
手っ取り早く縁談を断りたくなるような暗示にしてもらおうかなー…………、
……いや、でも待って。
私はもちろんのこと、お兄さん――じゃなかった、シャルル・アデルもあの時は見合いが嫌で逃げ出した、と言っていた。当然それは私の両親もそうだけど、あっちのご両親も自分の子供がそれほど嫌がった上での行動だと把握してるだろう。
なのに話は止まるどころか、サクサク進んでいく始末。
しかもどちらかがが無理を言っていて話を断れない、ではなく、両家とも、ときた。その両家の強硬な態度にはこれ本当に政治とか利益とか、なにかが絡んだ話じゃないんだよね!?と疑ってしまうほど、それほど何がなんでも私とアデルを結婚させよう、という執念を感じてしまうのだ。
となると、私と彼が「嫌!」と全力で意思表示しようが『まあまあ、嫌がるのはお互いを知ってからでも遅くはないんじゃない?』とかなんとか言われて、なし崩しになってしまいそうな予感がする。なし崩しにならなくとも両親を諦めさせるので時間を使い過ぎてしまって、結果的に彼と結婚しなくてもよくなろうとその間にいい人は皆早々に婚約や結婚してしまって、残ってるのは――――ダメ男たち……だけ……。
それでそれでっ、また私が結婚したくない、なんて言い出したら、話が再燃する恐れが……、
「いやいや、話が展開しすぎ」
いつのまにか口から漏れ出ていたようで、リリーが苦笑いしながら呆れたように顔の前で手を左右に振る。
「本当にあんたは男が絡むとダメになるのよねー」
そしてひょい、とわざとらしく肩をすくめる彼女にムッとして言い返そうとするも、「ちなみにこれはシャンタルも同意見だから」と遮られ、口を閉ざす。
なによ、二人して。友達にダメになるってひどくない?…………いや、確かにその通りなのかもしれないけれども。
「そんな面倒なことになるって思うなら、どう?ほんとうにアタリーがシャルル様に惚れてみるとか」
「絶対いや」
それは何度でも拒否するわ。
……なんでそんな残念そうにするのよ。てか友達が嫌がってることを勧めるな。
ブーブー文句を言っていたリリーを無視し、他にいい案はないかと思考を巡らせていると、唐突に「あ」と目の前から声が上がった。
また変なことを言い出すんじゃないかと警戒しながら顔を上げると、リリーは私の眼前に指を突きつけた。急に向けてくるのは危ない、と私はその指を掴んで逸らす。
「逆転の発想よ」
「え?」
訳がわからず眉を顰めると、そもそも、と彼女は私の手から抜き取った指をもう一度突きつけてきた。
のでまた逸らす。
「嫌で仕方ない相手だろうと、なんとも思ってない相手だろうと、誰かを好きにならせる薬は一概に『惚れ薬』でしょう?ややこしいことは抜きにして、アタリーがシャルル様に惚れたくないなら、シャルル様がアタリーに惚れるように仕向けるのはどうかしら」
名案じゃない?とその大きな胸を張るリリー。
まあ、確かにそうなれば結婚後も安泰だろう。口では結婚したなら私一筋になる、なんて言ってたけどそれが本当かは分からないわけだし、確証はゼロ。でも惚れ薬を使えばそれは確実に本当の言葉になる。そしたら遊び人じゃなくなるだろうし、私が心配してる彼を慕う女性陣から嫌がらせをされてもきちんと守ってくれそうだ。――でも。
でもね?
「リリー、まず私とあいつが結婚する可能性を頭から追い出して」
そんなものを使おうと、嫌なものは嫌。大体、こういった本心を捻じ曲げるのはたとえ奴が相手だろうといただけない。
というか、私最終的に余計逃げられなくなってるじゃないか。
あくまで私の願いはアデルとの縁談を破棄することにあるのだから。
そこのとこ、ちゃんと分かってる?
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