そのいち。
この世界には魔法というものが存在する。
呪文や陣、特定の動作を媒介にして使用できる不思議な力だ。魔法を使える人は限られており、使える人より使えない人の方が断然多い。これは生まれ持った差なので努力でどうこうなるものじゃない。
淡い期待を抱き努力した後にこれを知ってショックを受けたのは今になってはいい思い出だ。
魔法は何もないところから氷や炎などを生み出したり、怪我や不調を治したりもできる。魔法を使える人の中でも使える魔法と使えない魔法なんかもあったりするらしく、その中でも怪我や不調を治す『治癒魔法』と呼ばれるものは魔法を使える人なら誰でも使える初級魔法とされている。
邸で魔法を使えるのは母と侍女長、あと侍女と侍従の二人、基本屋敷にいる人ばかりだ。
要するに何が言いたいかといえば、体調不良を訴えようがわざと怪我をしようが直されてしまうというわけ。
それはつまり。
「見合いが流れることはない」
思わず呟いてしまい、ベッドに突っ伏した。
ああ、イヤだイヤだ嫌だ嫌だっ。ぜぇったいに行きたくない。私が何をしたというんだ、何か悪いことをした覚えはないのになんでこんな嫌なことが起きるんだ。
両手をベッドに叩きつけて身を起こすと、ふと目についた窓に写っている自分の顔が酷いことになっていた。目の周りがどす黒く見えるようだ。口元もひんまがっておおよそ令嬢の顔には見えない。
突っ伏したせいでぐしゃぐしゃになった髪を掻きむしり、落ち着いてからなんとか手櫛で整える。半分ほど整え終わりまた窓を見れば、髪だけが大分ましになったさっきとほぼ変わらない酷い顔があった。
これじゃあ部屋から出られない。
ベッドに頬杖をつき窓に写る自分を眺めながら、気づけばさっきから繰り返しため息を吐いていた。
――一体全体何が悲しくてこんなことになったのか。
それは茶会の日にまで遡る。
ニ日前、シャンタルたちとの茶会の後夜会の招待状を選別し今期の社交期間中どこに顔を出そうかと考え計画を立てていた矢先のこと。父から思いもよらぬ一言を告げられたのだ。
「縁談を受けたんだ」
私は弟も妹もいない一人っ子。その父が縁談を受けたといえば相手は私以外にいないわけで。いやそもそも面と向かって私の目を見て言われたのだから私以外にあるわけがないわけで。
決心して一日も経たぬうちにのほほんとそれはもう嬉しそうに父からそう言われて思わず掴みかからなかった私を誰か褒めてほしい。
相手はシャルル・アデル公爵令息、歳は二十三。アデル公爵家の次男であり、国でも有数の優れた魔法使いと言われている名の知れた有名人。次期アデル公爵家は長男が継ぐため次男たる彼が公爵になることはないが、噂ではすでに国から功績を認められて爵位を貰っている、とかいないとか。
だが、彼が有名なのは経歴だけではなくその美貌にもある。
彼とは同じ公爵家の者同士ではあるものの実際顔を合わせたことはなく、私は実物を見ていないので噂でしか知らないがそれはもう美しい顔をしているのだと男女揃って口をそろえる顔の持ち主、らしい。
そんな美貌と経歴を持つ彼だが二十三になった今も婚約者の一人もいないらしく、同じく未だ相手のいない王太子と並び令嬢たちの優良物件注目株である。
普通ならそんな相手との縁談なんてとてつもない幸運が舞い込んだ、と喜ぶところだろうが、私的にはちっとも嬉しくない。私に普通を求めないでいただきたい。
第一に『親の決めた相手が嫌』という気持ちが……まああるっちゃあるが、それ以上にその男、私が近づきたくない奴の匂いがプンプンするのだ。
彼についての噂は大きく分けて三つある。
一つはその経歴。
一つはその美貌。
そして最後の一つは女性ならば年齢問わずまさに来るもの拒まず去るもの追わず状態にあることだ。
女をとって食うまでは流石にしてないらしいが、それでも寄ってくれば未婚既婚問わずに誰彼構わず状態だと聞く。情報源は彼に夢中な知り合いの素直なご令嬢たちなので嘘ではないだろう。
「この前お茶に誘いまして、屋敷でおもてなしをさせて頂きましたら流行りのお茶菓子をくださいましたの」
「次の社交期間に屋敷を訪れてくださると約束してくださいましたわ」
「夜会ではダンスのパートナーを務めていただきましたの。まるで夢のようでしたわ」
「飲み物でドレスが汚れてしまった時さり気なく助けてくださいまして。魔法を間近で拝見させてもらいましたわ」
「髪型を変えたり少し毛先を整えたりしただけですぐに気がついてくださるのでしてよ」
などなど、毎度毎度話題は尽きることのない色男ぶりだ。
年齢身分容姿の三拍子を全く気にせず全員を平等に扱うところはいやはや流石紳士的〜、と話を聞いたときには思った。これが選り好みしてるなんてことだったら思いっきり軽蔑してたところだが、差をつけない態度は、そ・の・態・度・に・だ・け・は・好感が持てる。
別に結婚してるわけでも婚約者がいるわけでもないのだし、女の子と噂を流そうが何をしてようが友人でもなければ知り合いでもない関わりのない私には無関係。そう、思っていた。
なのに、一体これはなんの冗談だろうか。
噂を聞き、関わり合いになりたくないと彼がいそうな場所を避けていた努力が一瞬で水の泡だ。
無関係だからこそ勝手にやってたら、と思っていたが、それが身近になるのなら話は別。そんなのとの縁談なんて無理。どうせこれも縁談なんて名ばかりで、結婚までまっしぐらだろう。『縁談』なんてのは大抵結婚がほぼほぼ決まった上での顔見せ、というやつで、皆がこういうのを『縁談』と言っているのは聞こえをよくしただけの飾りでしかない。
この国では恋愛結婚が主流になったとはいえ政略結婚が全くなくなったわけではない。特に高位貴族は他国との繋がりや信頼関係を構築するためにも未だに、とはいっても稀にだが政略結婚を行う(昔よりは本人同士の意思を尊重されるらしいが)。その場合には大々的に政略結婚だー、などとこのご時世に発表するわけにもいかず、ひそひそ噂されたくないという貴族の見栄から『政略結婚』を『縁談』とぼかして周りに言い、話を進めるのだ。そんな理由から『縁談』は『政略結婚』を意味する言葉として知られるようになった。
とはいえほんの一部しか知らないことだが。
父が今回のこれを『縁談』と言っているのには深い意味も何もなく、普通に裏のないただの『縁談』で、これは政略結婚などではないのだろう――あくまでも父の中では。
だが、決めた親がどう思ってようがそこに政治的な理由が含まれてなかろうが当人同士(あっちの当人がどう思ってるかは謎だが)を無視して話を進めている以上政略結婚とこれは何ら変わらない。そして私は政略結婚は嫌だ。いや、正確には親の決めた縁談が信用ならないので嫌だ。これが国からの、とかだったらしぶしぶではあるが了承しただろうが、親は信用できない。
だからこそこの縁談、全力で回避させてもらう。
とはいっても彼がいくら女を来るもの拒まず状態とはいえ、浮き名が流れているわけではない。あくまでもその行動は「紳士的」の範疇。悪い噂のあるわけでもない彼を理由に断るなんてことはできないのだ。親が決めたのだからこちらから断るというのはそもそも無理な話。だからといってこのまま結婚したが最後、女関係で苦労する未来しか見えてこない。ああ嫌だ、そんな相手と結婚秒読みな縁談なんて誰がするかっ。
だからこそ必死に言い訳を考えて父に考え直すよう遠回しに迫った。しかし尽くが撃沈し、最終兵器の「跡取り問題どうするの」はダメ男たちと違い私が唯一信用している従姉妹を養子にいれることになっていた。挙げ句の果てに「私も親の縁談のおかげでお前の母さんと出会えたのだし、きっと大丈夫、幸せになれるぞ」ときたもんだ。
だからそれが大丈夫じゃないんだって!いい加減にしろこの阿呆がっ!阿呆を信用できないしてないって言ってんだよ!と胸ぐらを掴んで思いの丈を叫んでやりたかった。
半分手を伸ばしかけたもののそれでも最後は引っ込めてしまう理性が憎い。
すでに顔合わせ――見合いの日にちも場所も決められていたらしく、当人抜きにポンポンと話が進んでいた。
この両親を説得するのは無理だ。そう結論が出てしまい、話に盛り上がる二人を残して部屋に戻った私はそれでもなんとかして縁談を無かったことにしよう、それならまずは見合いに行かないことから、と考えたが、行かなくていい理由として浮かぶのは「怪我」「風邪」「仮病」の三択。……が、仮病はまず現実的に考えて無理。風邪だって引きたくて引けるわけでもないし、冷水に浸かったり裸で寝たりして風邪を引けるほど柔ではない。たとえ頑張って引いたとしても魔法であっという間に治されてしまうだろう。怪我だってかすり傷程度で縁談に行かなくていいよー、などと言われるわけがない。
見合いに行ってわざと嫌われるように仕向けるか、とも考えたが本人にならまだしもそのご両親まで居合わせる場でそんなことをする度胸は残念ながら持ち合わせていない。
考えに考え抜いたがどれもこれも無理な案ばかりで実行に移せそうになかった。そしてあっという間に時はすぎ、とうとう見合い前日。
見合いは明日の午後からアデル公爵家にて行われる。
…………………いっそのこと腕でも折るかな。
腕を折ってしまえば行かなくてよくなる。貴族間では事前に決まっていた訪問を当日になって取り止めるのはご法度。それで不快感を表す人も少なくなく、それを繰り返していけば――上手くいけばこの話が流れるかもしれない。
魔法を使える人なら誰でも使えると言われる治癒魔法にも限度というものはある。他よりも優れている上級の魔法使いならまだしも普通の魔法使いは風邪や捻挫、かすり傷程度しか治すことはできない。上級とされる魔法使いは魔法を使える人の中でもそれこそ一握りしかいない。屋敷で魔法を使える人はごく一般的な魔法使い。骨折など、治せる腕の持ち主はいないというわけだ。
うん、折ろう。折るしか手はないじゃないか。それなら折るしかない。
部屋の中を見回して何かいいものはないかと探す。
椅子、は片手で持てないから却下。机の角に腕をぶつけても多分腫れて終わる。小箱、は壊れそうだ。花瓶も割れて終わる。
あ、これならいけるかも。
頑丈そうで大きさもちょうどいい小物入れをクローゼットの奥から見つけて引っ張り出した。机に腕を置いてから大きく深呼吸をし、思い切り振り上げて――いや、待てよ?
改めて考えてみたらいくら土壇場の訪問取り止めが厭われるとはいえ、父たちが既に従姉妹を養子にして次期後継者にするとまで決めているのだ。なのに簡単にこの話が流れるとは考えにくい、というか考えられない。だから今回がダメになっても絶対次がある。さすがにその度に毎回腕を折るわけにもいかないし……。
それに毎回毎回逃げられるなどとも思わない。結婚目前の縁談なのだから、必ずどこかで見合いは行われるはず。
うわーっ、ダメじゃんっ。なんでこんな簡単なことを思いつかなかった!?
「……いや、でもとりあえず先延ばしにすればいいんじゃ……?」
今はまだこれを破談にするための案がない。行ってしまえばもう逃げられないが、裏返せば行かなければ時間を稼げるということになる。
どうせ逃げられないならば、迎えうつ。そのためには見合いを先延ばしにすることで時間を作り、その間にこの縁談をなかったことにする策を練れば………。
そうだよ、腕なんて折る必要ないじゃない。それどころか折ったりすれば相手が優れた魔法使いなのだし、見合いついでに直してもらえ、なんてことにももしかしたらなっていたかもしれなかった。おお、こわっ。思いとどまってよかったぁ。さすが私の頭!よく思い出してくれたっ!
そう、これは敵前逃亡なんかじゃなくて意味のある逃亡だ。決してただ逃げるわけじゃあないのだ。
「ふ、ふふはははっ」
誰がいいなりになってやるもんか。私の目標は自分で相手を見極めてダメ男以外を婿に迎えること――あ、もう次期公爵じゃないから私が嫁に行くのか。ならええっと……そう、ダメ男以外を見極めて幸せな結婚をするのだ。
目指せ普通の旦那っ!
政略婚など断固拒否!
恋愛結婚万々歳っ!
右腕を突き上げるように掲げようとして、そのときになって腕を折るために小箱を振り上げたままだったことに気がついて、そっと元のところへ戻しておいた。
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