第94話 その前に その三
私には、産まれた、という感覚がありません。
気付いたら私はそこにいて、自分が魔人であるということを理解していました。
しかし、魔人が人間と違うということは理解しつつも、それがどういうことなのかは、まるで理解していませんでした。
ただ、私の姿が人間から見た時、明らかに異様なものであるということは理解できていました。
人は、自分と違うものを極端に嫌う生き物です。
私が生きていくためにまず必要なのは、力ではなく知識だと、本能的にわかっていました
だから私は、まず、自分の容姿を人間に寄せることにしたのです。
幸運にも私は、魔人の中でも魔力が特別に高かったようで、そう苦労することもなく、人間に溶け込める程度には、自分の姿を変えることができました。
だから私は、何も考えることもなく、人間の世界に溶け込めるものと考えていたのです。
今思えば、なんと浅はかだったのでしょう。
しかし、当時の私は、見た目さえ人間に似ていれば、労せず人間になりすませるものと思っていたのです。
実際、最初の内は上手く行っていました。
魔族に両親を殺され、命からがら逃げてきた。
そう口にするだけで、人間は私のことを簡単に信じてくれました。
魔人とは言っても、私には人間を襲おうという発想はありません。
自分のことを知るために、魔人のことを調べている内に、魔人は人間の敵であると認識されていることはわかりました。
ですが、高度な知能を持つ魔人は、他の魔族のように、本能のままに人間を襲ったりはしません。
もし襲うとしたら、そこには何らかの意図がある。もちろん、悪意も含めて。
とは言え、これは性格なのでしょうが、私はあえて人間を襲おうなどとは思っていませんでした。
それは、別に良心があったから、という訳ではありません。
今の生活に不自由がないのに、変な波風を立てたくなかったからです。
ですが。
そんな平穏な生活は、そんなに永くは続きませんでした。
私は魔人。
普通の人間に比べれば、遥かに寿命が永い。果てしない程に永い。
しかも、私の見た目は、魔法によって作られた偽物のもの。
私の近くにいる人間が、私に不信感を持つのは、時間の問題でした。
「化け物めっ! 出ていけっ!」
それが初めて、私が人間から受けた、悪意の言葉でした。
確かに、人間からしたら、何十年も変わらず、同じ姿をした人間なんて、気持ち悪くて、仕方がないのでしょう。
こうして、私は初めての居場所を失いました。
とは言え、そんなに悲観することもありません。
また新たな場所で、新しい姿で、同じように溶け込めば良い。そう思っていましたから。
ですが。
「いたぞっ! 魔人だっ!」
「くっ!」
世界はそんなに甘くはありませんでした。
初めの場所にいた人間が、私のことを様々な人間に言いふらしていたため、私の正体がバレ、追われる羽目になったのです。
戦えば勝てる程度の人間ですが、その数は驚異的なものでした。
数の暴力とは、何事にも勝る最強の力。
逃げても逃げてもやって来る追手は、私の精神を着実にすり減らしていきました。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は人間に危害など加えていません。
正当防衛しかしていません。
だというのに、人間は私を殺すつもりで追いかけてきました。
私の話など、聞く耳も持たずに。
ただ、私が魔人であるというだけで。
見た目を変え、少しの間どこかに潜んでも、すぐに見つかり追いかけられる。
昨日までは優しくしてくれていた人間も、私が魔人であるとわかると、手の平を返したように、騙していたのか、裏切ったのか、と、罵声を浴びせてくる。
正体を隠していたのは、確かに私だ。
打算的に優しくしたのは、確かに私だ。
でも、私はただ、平穏に暮らしたかっただけだ。そのための努力をしていたに過ぎない。
なのに、人間は、私を執拗に追いかけてくる。
私を殺すために。
人間の寿命は短い。
短いけど、人間の思想は受け継がれる。
私という存在を亡き者にするために、何世代にも渡って、私を追い詰めてきました。
いつまでも逃げ続けていれば、流石に精神的にもきつくなる。
信じられる他人など1人もいなくて、私は孤独の中、300年を過ごしました。
人間の中にも、時折凄まじい戦闘能力を持つ者が現れ、何度も死にかけましたが、なんとか生き長らえることができていました。
ですが、いつ襲われるともわからない、孤独な逃亡劇は、正直、二度と味わいたくない最悪な時代でした。
自分の声以外に聞くのは、私を罵倒する声、蔑む声、恐怖に染まる声。
どれもが負の感情でした。
私に向けられるそのすべてに、私はふと、思ったんです。
私は、何のために生きているんだろう、と。
だってそうですよね。
誰一人、私に生きていてほしくなんかなくて、求められているのは死のみ。私自身にも生きて、何かやりたいことがある訳ではなく、ただ追われるから逃げているだけ。
そんな毎日に、何の意味があるのか。
生きている意味なんてあるのか。
そう考えた時、私は、生きることがどうでもよくなったんです。
かれこれ何百年も逃げ続けて、これがあと、何百年続くのか。
だったらもう、そんな命、終わらせてしまった方が良いのではないか。
そう、思ったんです。
生きることに執着しなくなった私は、隠れることもせずに、日々を過ごすようになりました。
ですが、生きる必要なんてない。
そう思った途端に、私の気持ちとは裏腹に、私を追う人間がパタンといなくなりました。
運命とは、なんともタイミングの悪いものだと思ったものです。
ですが、自分で自分の命を絶つことは、したくなかったんです。
だから私は、ひたすらに隠れずに歩き続けました。
基本的に、魔人は何も食べずとも生きていくことができます。魔力さえあれば、生きていくことができます。
ですが、生きようとする気力を失った私は、魔力がほとんど残っていませんでした。
体内で作る魔力が、気力の低下と共に生成されなくなっていたのでしょう。
そうして私は、とある町で動くことすらできなくなり、1人で惨めに倒れてしまったのです。
ああ、このまま、誰にも気付かれず、寂しく死んでいくのも、私らしくて良いのかもしれない。
そんな風に思っていました。
これで終わりだ。
そう、思っていました。
それなのに、運命というのは、本当にタイミングの悪いものですね。
「あらぁ? もしかしてぇ、死んでるのかしらぁ?」
間延びした声が、私の消えかけた意識を呼び起こしました。
少しだけ目を開けて見ると、そこにいたのは、客観的に言って、美女と呼ばれるような容姿の女でした。
その女は、私が生きているのを確認すると、面白そうに笑い、近寄ってきました。
「死にかけかしらぁ。こんな汚い所でぇ?」
余計なお世話だと思いました。
数々の罵声を浴びせられた私ですが、それらとは少し毛色の違うものでしたから。
「仕方ないから、私の家に連れてきてあげるわぁ。立てるかしらぁ? 私、あまり重いものは持てないのよねぇ」
言う通り、その女の腕はか細く、力のあるようには見えませんでした。
逆を言えば、どうしてそんな華奢で、美しい女が、こんな汚ならしい所にいるのか。しかも今は深夜、こんな時間に外にいるなんて、不思議でした。
ですが、その答えは、すぐに頭に浮かびました。
ああ、この女も、私を殺そうと追ってきた人間なのだろう、と。
こうして、私を油断させて、捕まえようとしてるのだと。
そんなことしなくても、もう逃げる気力なんて残っていないというのに。
ですが、これでやっと終わることができる。
私は、起き上がるのにまるで必要のないその手を取って立ち上がり、女についていくことにしました。
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