第94話 その前に その一

 これは、アリスたちが、竜の巫女の町から脱出するよりも遥か前。

 リリルハとアリスが、共に行動をするようになった頃。


 つまりは、リリルハとレミィが、喧嘩別れをしてから、すぐの後の話である。



 アリスたちがヒミコと対峙している中、その光景を遠くで監視する1つの人影があった。


「もうしばらくは、様子見か」


 アリスやヒミコが、気付くはずもないような、ましてや、見えるはずもないような距離にも関わらず、男は、すべての状況を理解しているように息を潜めていた。


「魔法具か? 厄介だが、そう遠くはないか。好都合だな」


 リリルハが、ヒミコたちから逃げるために使用した魔法具の使用すらも関知し、男が呟く。


 そして男は、剣を抜き、ある一点を眺めた。

 そこにアリスがいると、確信しているかのように。


「今度こそ、仕留めるぞ。竜の巫女」


 男は、竜狩り。

 アリスを狙い、追い続ける者。


 今まで何度もアリスに逃げ続けられてきた竜狩りは、今回でけりを付けるべく、用意周到に準備をしていた。


 元々、魔法に対しても造形の深い竜狩りだったが、虚を付かれ逃げられることも少なくはなかった。


 そのため、魔法による逃亡を阻止するための魔法具を備えており、さらには、追跡するための魔法具も用意している。

 どちらも、かなり稀少な魔法具であるはずなのだが、執念深くアリスを追う竜狩りは、見事こうして準備を整えていたのだ。


 単純な実力では、アリスに勝ち目はなく、逃げ道を封じてしまえば、アリスが助かる可能性はない。


 少なくとも、アリスや、アリスと現在、行動を共にしているリリルハでは、勝つことも逃げることも不可能だと思われた。


「あの国の人間に、先に見つけられても面倒だ。行くか」


 竜狩りは、アリスに向かって走り出そうとした。



 しかし。


「何故、ここにいる?」


 予想していなかった事態に、竜狩りは微かに驚いていた。


「あなたの邪魔をするためですよ」


 目の前に現れたのは1人の女。


 一般的な感性で言えば、静かで心地よい声が響く。竜狩りにとっては、心地よくもなんともないが。


 しかし、その声の主に、竜狩りは見覚えがあった。それは先程まで見ていた限り、この場にいるはずのない人物だったはずだが。


「貴様は、あの女と決別したのではないのか?」


 竜狩りの言葉に、女は面白そうに笑った。


「そう、見えましたか? それなら、計画通りですね」


 フフッと笑う女は、この場には、まるで合わない雰囲気だ。


 竜狩りは、そんな女の態度に苛立たしげに眉を潜める。


「貴様、何者だ?」


 その問いかけに、女は恭しく手を添えて、頭を下げた。


「リリルハ様にお仕えします、ただのメイドでございます」


 そう言って、女は。


 レミィは、竜狩りに微笑みかけた。


「ただのメイドだと? ならば、さっさとそこをどけ。俺は急いでいるんだ」

「それはできません。主の危機を払うのは、メイドとして、当然の義務ですから」


 物腰柔らかそうなレミィだが、その実態は、竜狩りですら、警戒せざるを得ない、得たいの知れない圧力があった。


「あくまで邪魔をすると?」

「ええ」


 竜狩りの問いに、レミィは即答する。


「あそこで、別れたのは、俺の存在に気付いていたからか」

「ええ、そうです。そうして、油断させないと、ここまで近付けさせてはくれなかったでしょう?」


 そう言うレミィに、竜狩りは、表情には出していなかったが、内心、警戒を強めていた。


 確かに、普段であれば、ここまで気付かずに近付かれることなんてないだろう。


 まさか、アリスたちと離れたレミィが、自分の元に来るとは思っておらず、油断していた、というのもあるかもしれない。


 しかし、それでも、普通の人間が、自分にここまで近付けるとは、竜狩りには思えなかった。


 それはつまり、こうして気配を消してここまで近付いてこれたのは、紛れもなくレミィの実力。


 圧倒的な強者の片鱗に他ならなかった。


「あれは、演技だったと?」

「リリィが、甘いとは思ってますよ。でも、それがリリィの長所です。それに……」


 レミィは、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「アリス様になら、例え記憶がなくなっても、リリィを任せても大丈夫ですから」


 その笑顔が、どういう意味を含んだものなのか、竜狩りにはわかりようもない。

 が、何か後悔しているような、そんな感情だけは、竜狩りにもわかった。それが何に対してなのかは、竜狩りには興味なかったが。


「アリス様がいれば、竜の巫女相手なら、どうとでもなるでしょう。でも、あなたは、そうはいきませんよね? 何せ、竜の巫女の天敵なのですから」

「だから、演技までして、俺の前に現れたと?」

「ええ」


 剣を構える竜狩りに、レミィの雰囲気は変わった。


「あなたに、リリィやアリス様を追わせる訳にはいきませんから」

「ならば、押し通るまでだ」


 言うが早いか、竜狩りはレミィに斬りかかる。


「させませんよ」


 それをレミィは、右手で受け止めた。


 その右手は、人のものとは思えない黒い鱗のようなもので覆われていて、獣のような爪が生えている。


 禍々しい手に、掴まれた剣は、女のものとは思えない力で、軋む音を鳴らしていた。


「簡単には、通しませんよ」

「ちっ。目障りな」


 そうして、レミィと竜狩りの戦いが始まったのだった。

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