第73話

「私は、納得できません」


 私がリリルハさんの胸で泣いて、やっと落ち着きを取り戻した頃、少し離れた所から、レミィさんがそう口にした。


「レミィ」


 責めるように名前を呼ぶリリルハさんに対して、レミィさんは反抗的だった。


「アリス様は、竜の巫女に毒されています。それが、魔法によるものなのかどうかはわかりませんが、私たちを裏切る可能性はゼロではありません」


 レミィさんの言葉が私に鋭く突き刺さる。


「レミィ。そんな言い方……」


 咄嗟にリリルハさんが否定しようとしてくれたけど、私はそれを止めた。


「ううん。リリルハさん、レミィさんの言う通りだよ」


 リリルハさんは庇ってくれようとしたけど、多分これは、レミィさんが正しい。

 ううん。絶対にレミィさんが正しい。


 今でも私は、お姉ちゃんのことを信じているし、悪い人だとは思えない。


 それに、リリルハさんたちのことを心から信じられるのかと言われたら、自信を持って、うん、とは、まだ言えないかもしれない。


 そんな人のことを、信じて、なんて私にはとても言えなかった。


 私は、リリルハさんから離れる。


 名残惜しそうに私の手を掴もうとするリリルハさんの手をかわして、私はレミィさんの方を見た。

 すると、レミィさんも、真剣な顔をして私の方を見ている。


 そして、私はリリルハさんやレミィさんの方に向かって頭を下げた。


「ごめんなさい」


 謝ったって、許してくれるとは思えないけど、でも、悪いことをしたら謝らないといけない。

 それは当たり前のこと。


 レミィさんの反応が怖くて、中々顔を上げられなかったけど。


「レミィ。アリスはもう問題ありません。私が保証しますわ」


 リリルハさんは、そんな私を庇ってくれる。


 だけど、そんなリリルハさんに、レミィさんはものすごく不機嫌そうな溜息を漏らした。


「リリルハ様。あなたは甘すぎます」


 レミィさんの声は、心底呆れているようで、冷たいものだった。


「私たちは、エリザベート様より、大切な任務を任され、ここに来ていることを忘れていませんか?」

「それは、ちゃんと覚えていますわ」

「であれば、アリス様と共にいることは、その任務に支障をきたす恐れがあると、何故わからないのですか?」


 エリザベートさんという人のことを、私は知らない。リリルハさんたちの知り合いなんだろうということはわかるけど。


 どうやら、そのエリザベートさんという人から、何かお手伝いをお願いされているみたい。


 2人がここにいるのは、それが原因なんだ。

 それが、何なのか、今の会話ではわからなかったけど。


 とにかく、2人はここに、何か目的があって来たということだ。そして、その目的が、お姉ちゃんの邪魔をするということになんだろう。


 だから、信用できない私を、レミィさんは許せないんだ。


「アリス様は、竜の巫女のスパイの可能性があります。今だって、私たちの足止めが目的なのかも」

「レミィ。ふざけるのも大概にしないと、許しませんわよ」


 レミィさんの話に、リリルハさんはブルブルと拳を震わせていた。

 目付きはきつく、怒っているみたい。


「リ、リリルハさん。レミィさんは間違ってないよ。だって、私はさっき、2人にすごくひどいことをしちゃったんだから」

「いいえ、アリス。あなたは悪くありませんわ。頭の固い、レミィがいけませんのよ」


 リリルハさんは、私には優しい笑顔を向けてくれる。だけど、レミィさんの方を見た時には、また怒った表情に変わっていた。


「リリルハ様が、考えなしなんですよ」

「私は、アリスを信じているだけですわ」


 それから、2人の間に、沈黙が流れた。

 どちらの表情も、いつもと違って、怖い。


 風すらも止まって、まるで時間までが止まってしまったかのように、嫌な時間だった。


 私のせいで、2人はけんかをしてしまった。

 私のせいで。


「付き合いきれませんね」


 しばらくして、レミィさんがそう言った。


「レミィ?」

「愛想が尽きた、と言っても良いかもしれませんが」


 唐突に、レミィさんは私たちの方に背を向けた。


「仲良しごっこをしたいのなら、勝手にどうぞ。ですが、後悔するのは目に見えています」


 レミィさんは、今まで聞いたことがないくらい、冷たい声で私たちとは反対の方へと歩いていく。


「どこ行くんですの、レミィ」

「アリス様といては、竜の巫女に場所がばれるのも時間の問題です。私はアリス様と一緒にはいられません」

「わ、私を、置いていくつもりですの?」


 リリルハさんは、レミィさんを追いかけようと走り出した。

 だけど、レミィさんが振り向き、その目を見た瞬間、足を止めてしまった。


「ええ、その通りです。エリザベート様からは、いざという時は、リリルハ様を切り捨てても良い、というよう指示を受けていますので」

「なっ!」


 レミィさんの目は、まるで赤の他人を見るような興味のなくなった色をしていた。

 そんなレミィさんの目に、リリルハさんは驚いているようだった。


 足を止めたリリルハさんを一瞥し、レミィさんは私を見る。


「せいぜい、リリルハ様をよろしくお願いします」


 一瞬だけ見えたレミィさんの表情は、冷たくて、でも、どこか切なそうで。


 それだけ言うと、レミィさんは、魔法を使って、ビョンと何処かへと飛び去ってしまった。


「レミィ!」


 最後に響いたリリルハさんの声を置き去りにして。


 ◇◇◇◇◇◇


「あの、リリルハさん」


 しばらく呆然と、レミィさんがいなくなった方を見ていたリリルハさんに声をかける。


 リリルハさんは、私の声にハッとしてこっちを向いた。


「し、仕方ありませんわね。レミィも、そのうち頭を冷やすでしょう」


 やれやれ、といった様子でリリルハさんは苦笑いをする。

 だけど、その表情は、痩せ我慢してるのが、バレバレだった。


「ごめんなさい」


 私のせいで、2人をけんかさせてしまって。


「いいんですのよ。この程度のけんか、今までだって何度もありましたから」

「そう、なの?」


「ええ。長くいれば、何回かはね」


 リリルハさんは、苦笑いと懐かしさを滲ませたような顔をしていた。


「さて。それよりも今は、ヒミコたちから逃げないといけませんわね」

「う、うん」


 そうだ。私たちは今、ヒミコさんたちから逃げているんだった。

 正確には、追われているのはリリルハたちだけど、リリルハさんと行動するなら、私も同じになるよね。


「さあ、早く行きましょう」


 リリルハさんが、私の手を取って、歩こうとした瞬間、ゾワッと背中に嫌な予感が走った。


「危ないっ!」

「え?」


 ヒュンと、音が聞こえて、私はリリルハさんに飛び込む。

 いきなりのことで、リリルハさんは驚いていたけど、私に体当たりされ、そのまま後ろに倒れこんだ。


 そのすぐあとに、リリルハさんの立っていた場所に矢が突き刺さった。



「アリス様、何故?」


 矢の放たれた方を見ると、そこにはヒミコさんとキョウヘイさん。

 それに、隠れているけど、たくさんの人の気配があった。


 リリルハさんたちとの会話に夢中で、気付けなかったんだ。


「アリス様。足止めありがとうっす。あとは俺たちに任せるっすよ」


 キョウヘイさんが、私の方に歩み寄ってきたけど、私はリリルハさんの前に出る。


「アリス様?」


 ヒミコさんとキョウヘイさんは、驚いた表情に変わった。

 周りもザワザワとなったけど、私はそれに構わずに口を開いた。


「ヒミコさん、あのね。リリルハさんは悪い人じゃないんだよ? だから、1回、落ち着いて話し合おう?」


 ヒミコさんも、リリルハさんも、悪い人じゃない。だから、話し合えば、ちゃんとわかり会えるはず。

 そう思ったんだけど。


 ヒミコさんは、しばらく呆気に取られた顔をして、それから、フッと優しく笑いかけてくれた。


「なるほど、アリス様。わかりました」


 よかった。

 わかってくれた。



 そう、思ったのに。


「アリス様は、その女に脅されているのですね」

「え?」


 ヒミコさんの表情が、怒りに染まる。


「よくも、アリス様を」

「ち、違うよ! ヒミコさん、リリルハさんは……」


 もう一度説明しようとしたけど。


「アリス。今は話し合うのは無理そうですわ。逃げましょう」


 リリルハさんが、私の手を引く。


「う、うん」

「今度は逃がしません!」


 逃げようとするリリルハさんの足元に、無数の矢が撃ち込まれる。


「もう、逃がしませんよ」


 気付けば、私たちの周りにいる人たちは、数えきれない程になっていた。


「くっ。これは、流石に」

「さあ、今度こそ、仕留めます」


 万事休す。逃げ場がない。


 ヒミコさんたちを傷付けることもできないし。


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