第74話 その前に
アリスたちが、絶体絶命の状況の陥る前、数日前のこと。
ウィーンテット領国内にて、とある動きがあった。
「お父様ぁ? いるかしらぁ?」
声をかけられたのは、ウィーンテット領国において、絶対的な権力者である、アドルフ・ジ・ヴィンバッハ。
威厳に満ちた風格は、大領主として、申し分ない威圧感を放っている。
がっしりとした体つきは、護衛の騎士たちにも負けず劣らず、強靭なもので、彼が大領主でなくても、その雰囲気に、大抵の人間は萎縮してしまうだろう。
しかし、そんなアドルフを相手に、こんな間延びした声で声をかけられる人物は、この国において、たった1人しかいない。
アドルフの実の娘、エリザベートだ。
今は会議中。
多くの部下が集まる、重苦しい空気の中を、美しい見た目と、軽い空気を纏ったエリザベートが、何食わぬ顔で入ってきた。
「エリザベート。今は会議中だぞ」
実の娘とはいえ、あまりにも無作法な行いに、アドルフは、顔をしかめて言う。
しかし、エリザベートは、特に気にした様子もなく、あら、ごめんなさぁい、と、反省の色を全く見せない。
そんなエリザベートに、アドルフは、さらに顔をしかめる。
2人の様子に、他の者たちは、視線を右往左往させるばかり。
しかし、それすらも、エリザベートには関係ないようで、そんな空気をものともせずに、さらに話を続ける。
「ちょっと、出掛けてくるからぁ、伝えておこうと思ってぇ」
まるで買い物にでも行くかのよう言い方に、アドルフが、呆気に取られた。
「出掛ける? 何処にだ?」
「ヤマトミヤコ共和国」
「っ!」
エリザベートの口から出てきたあり得ない単語に、辺りは一気にざわめきだした。
「ど、どういうことだ、エリザベート!」
当然、説明を求めるアドルフ。
しかし、エリザベートは、背中を向けて答えようとしない。
そのまま部屋を出ようとするエリザベートに、騎士団の1人が立ちふさがる。
「エリザベート様、危険です。ご自重ください」
そんなエリザベートの前に立ちふさがったのは、騎士団長のアインハルトだった。
騎士団長であるアインハルトが立ちふさがれば、いかにエリザベートとは言え、無理に行動はできないだろう。
「ヤマトミヤコ共和国は、現在、敵対していないとはいえ、友好的とは言えません。お1人で行くなど、正気ではありません」
「1人じゃないわ」
しかし、エリザベートは、ものともしない。
パチンと指を鳴らすと、部屋の中に、2人の男が入ってきた。
「何者だ?」
男たちの異様な気配に、アインハルトは警戒した声を出す。
「私の護衛よぉ。アインハルト。あなたならぁ、この2人の実力、わかるでしょう?」
アインハルトは、2人の男を見る。
ひょろひょろしながらも、隙のない佇まいの男。がっしりとした、屈強そうな男。
確かに、アインハルトの目には、2人の実力が高いことがわかった。
「しかし、こんな何処の馬の骨ともわからない者に……」
「私の目が信用できないのかしらぁ?」
エリザベートの声音は、いつものように力のない、おどけたようなものだが、その裏には、揺らぎそうもない、頑なな色が滲んでいた。
「勝手にしろ」
こうなったエリザベートは、誰の言うことも聞かない。父であり、大領主であるアドルフの言葉でさえも。
それを知っているアドルフは、エリザベートに言う。
「アドルフ様。しかし……」
「どうせ、ここで何をしても、結果は変わらん」
アドルフの言葉に、部屋の中にいる者は、アドルフの言葉に、納得してしまう。
エリザベートならば、何をした所で、結局、自分のやりたいようにする。
仮にここで、エリザベートを拘束した所で、それは変わらない。勝手に行動するだけ。
それは、ここにいる全員の共通認識だった。
むしろ、こうして申告してきただけ、まだ良心的だろう。
「かしこまりました」
結局、アインハルトも同じ答えに行き着き、エリザベートの前から退ける。
「ふふ。それじゃあねぇ」
「エリザベート」
満足そうに部屋を出ていくエリザベートに、アドルフが声をかける。
返事はせずとも、立ち止まったエリザベート。
そのエリザベートに、アドルフが1つだけ、質問をした。
「何が目的だ?」
当然の疑問に、エリザベートは愉快そうな笑顔で振り向き、口元に人差し指を添えた。
「内緒?」
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