コラボラシオン⑤

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 火を起こすのには火の魔素を使う小型の道具が使われて「シードルは熟練の冒険者だ」とあるじが喜んだ。


 どういうことかっていうと……その道具には勿論魔素銀まそぎんが使われているために高価で、熟練の冒険者でないとなかなか手が出せないんだとか。


 一般の冒険者は石を打ち合わせて火を起こす道具を利用することが多いんだってさ。


 ちなみにシードルさんは満更でもなさそうだ。


 褒められるの好きなんだろうな。


「ふう……それにしてもまだそんなに進んでいないのに寒いわね」


 あるじが両手を顔の前で合わせて息を吐きかける。


 その指先は赤く染まっていて、頬も始終冷たい空気に撫でられて熟れたアプルのようだった。


「じゃあちょっと失礼して……」


 俺は食事のあとに小さな鍋とテキラナで集めた諸々の『材料』を引っ張り出す。


「……それはなに?」


「俺はカクトリエルだから――こんなときは美味い酒! と思って」


 聞いてきたあるじにふふと笑ってみせると、焚火に薪をくべたシードルさんが薄紫色をした吊り気味の目を瞬いた。


「おっ、なんだキール! テキラーナか?」


「いやさすがにテキラーナほどの度数は出しにくいですよ……」


 魔物だっているかもしれないのに酔っ払ってましたーなんて笑えないし。


 ……まあシードルさんは【フィーリア・レーギス】もぱかぱか呑んでいたから平気かもしれないけど。


 胸のなかで呆れながらも俺は革袋から最後の材料である赤グレプ酒とスグリノ酒を取り出した。


 あるじはそこで俺の手元を覗き込む。


「あら……それスグリノ酒?」


「そう。テキラナにも置いてあったからよかった」


「赤グレプ酒とスグリノ酒を混ぜるの?」


「それだけじゃないんだ。今回はちょっとひと工夫するから見てて」


「……混合酒器ミクストを振るのは照れたのに見ていていいの?」


「うっ、それいま持ち出すかなあるじ……」


 俺が恨めしい気持ちで目を眇めると、あるじはクスクスと笑う。


 苦笑を返した俺は手早く赤グレプ酒とその半量程度のスグリノ酒を鍋に注ぎ、そこに赤ベルンの砂糖煮とライマ、最後にジンギベルンと呼ばれる独特な辛みと香りが特徴の生薬を漬けた糖液シロップをほんの少し落とす。


 このジンギベルンは根っこの部分を使うものなんだ。あんまり入れると赤グレプ酒の味が負けちゃうから俺としては隠し味くらいがいいと思ってる。


 体を温める効果があって、好きな人はなんにでも入れているくらいなんだよな。


 そしてそれを火に掛けて――と思ったとき。


 空気を裂いて誰かの怒鳴り声が聞こえた。


「精霊よ――○×△※! ××※○△!」


「……な、なに?」


 びくりと肩を跳ねさせてあたりを見回すあるじの向こう側、マルティさんが即座に立ち上がる。


「シードルさんはカシス様とここにいてください。キール君、一緒に来てくれるかな」


「おう、任せろ」

「は、はい!」


 シードルさんが応えるのと同時に返事をして、俺は鍋を置いて頷く。


 精霊……とかなんとか聞こえた気がするけど、そのあとはさっぱりわからなかった。


 俺はマルティさんと一緒に念のため武器に手をかけながら声がした方へと進む。


 山脈を越える道は商隊や冒険者によって踏み固められているけど、決して見通しがいいわけじゃない。


 しかも叫び声が聞こえてからはまるでなにもなかったような静けさが満ちていて――。


 うん……ぞくぞくするのは冷えた空気のせいだよな、きっと……。


「――あれは」


 そのときマルティさんがぴたりと足を止めて呟いた。


 俺はその背から覗き込むように上半身をそろりと傾ける。


 すると、暗がりでも薄らと差し込む月明かりでなんとか見える場所――道端にたたずむ太い木の幹にぐたりともたれかかり座り込んでいる男性が目に入った。


 男性の向こう側にはなにやら大きな荷物があるようだけど……。


 ――冒険者……それとも商人?


「……だ、大丈夫ですか?」


「待って、キール君」


 思わず声を掛けて近寄ろうとした俺をマルティさんが左腕で制し……その表情が少し陰る。


「あの服装……こんなところに錬金術師?」


「え――錬金術師……?」


 それ、リキウル王国王都でも話題になることがあった気がする……。


 たしか不老不死を目的として研究を繰り返し、文字通り金を錬り上げるすべを持つ人たち――だよな?


 人によっては過激な実験を行うらしく、正直あんまりいい話は聞かない。


 その服装はなんというか……たっぷりの黒い布をたくし上げて体に巻いたような感じだ。


 腕や胴体、頭は金属の装飾品で飾られ、じゃらじゃらしていて重そうに見える。


 ついでに言えばよくわからない紋様が肌に描かれているのもわかった。


 ただ――この山脈にはちょっとばかり薄着な気がするな……。


「……」


 マルティさんは難しい顔のまま、ゆっくり踏み出す。


 そのあいだも男性は頭を垂れて微動だにしない。



 ……だけど。マルティさんが手を伸ばしたとき。



「ああ精霊よ! 我が声に応えたかッ!」


「…………ッッ⁉」


 ガクンと頭が持ち上がりクワッと双眸が見開かれ、俺は危うく飛び出しそうになった悲鳴を呑み込んだ。


 び、びっくりした――。


 すると男性……というかかなりご年配のご老人はマルティさんと俺を交互に眺めて言った。


「……なんじゃ……お前らは」


 いやこっちの台詞なんだけど。


 俺が顔を顰めるとご老人は見開いた瞼を半分下ろして呟く。


「精霊に遣わされた者、か……?」


「いいえ違います……お爺さんはどうしてこんなところに?」


 さらりと答えるマルティさん。


 俺は後ろでうんうんと二度頷いて――ふと気が付いた。


 あれ、なんかこの人――。


「……お爺さん、ちょっと失礼――大丈夫ですか?」


 俺は咄嗟に前に出て声を掛ける。


 お爺さんはふわふわした顔でふんと息を吐いた。


 そこから漂うのは――酒の臭いだ。しかもこれ、かなり呑んでるぞ。


「マルティさん、この人酔ってます、結構きてますよこれ」


「なにを言うか! 儂は『生命ヴィーテ』を取り込んでいるだけ――精霊の秘技に近付こうというのに」


 ヴィ……なんだって?


 困惑してお爺さんを見たけど……ああほら、もう意識朦朧としてるじゃないか……。


「ごめんお爺さん、このままじゃ死んじゃうと思うからちょっと担ぐよ。マルティさん、戻りましょう……こんな薄着じゃ山脈は厳しいですよね?」


 俺は言うが早いがお爺さんを右肩に担ぐ。


「なにをするか……儂は、酔っているのではない……『生命ヴィーテ』を……」


「わかりました、焚火で話を聞きますからおとなしくしてください。いいよキール君、行こう。……荷物は僕が持ちますからねお爺さん」


 マルティさんが頷くのを確認して、俺は踵を返す。


 思ったとおり装飾品がじゃらじゃらと音を立てて揺れた。


 ――魔物がいなかったのはよかったけど……なんだろうなこの人。


 もしかしたらセルドラのことを見たかもしれないし、酔いが醒めたら聞いてみることにしよう。


 俺はあれこれ考えつつ、あるじのもとへと戻った。

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