エモーショナル・ガール

編夏ソラ

エモーショナル・ガール

 私にはらしい。

 生まれた時からずっとそうだったから、その実感もないのだが。


 減り続ける燃料資源問題を解決するため、ある科学者が新たな発電機を作り出した。全長数十キロメートルに及ぶ巨大発電機、その名を「感情抽出機」という。人の感情を取り出し、エネルギーへと変換するその装置は、約三十年前に地下で建設された。

 反対する声が多かったとも学校で教わったが、その理由はよくわからない。感情がなくなれば苦しいと感じることもないわけで、自由を求める必要もなくなるのに。


「JW-381345へ通達、八番の抽出室へ向かってください」


 無機質なアナウンスが私の部屋に響き、週に一度の感情抽出の時間を伝えた。八番の部屋であれば二十分ほどで辿り着けるはずだ。

 指定されている服に着替え、必要な薬剤を摂取する。僅かに残っている感情を増幅させ、抽出するエネルギーを増やすためのものだ。効果が出るまで時間がかかってしまうため、今のうちに飲んでおかなければいけない。


 ドアを開け、ベージュ色の廊下を歩き出す。窓の方を見ても、変わり映えのしない青い海が広がっているだけだった。今日は少し雲が多い気もしたが、特に思うことはない。


「ねえ! そこのキミ。名前はなんて言うの?」


 歩いていたところ、突然、声をかけられた。声の主は壁にもたれかかっていた少年のようで、あまり見ないような珍しい服装をしている。確かあの上着はパーカーと呼ぶんだったか。


「そんなまじまじと見られても困っちゃうな。それで、キミの名前は?」


「名前なんて持ってない。管理番号はJW-381345。あなたも管理者には見えないし、名前は持ってないでしょ」


 教えられた通りの、当然のことを彼に伝える。名前を所持する文化は感情の抽出がはじまったのと同時期に無くなったはずだ。


「38…なんだって? まさか番号で人間を管理してるのか、ここは」


 茶髪の少年は眉を潜めたままで、ぶつぶつと独り言を喋っている。何もおかしいことはなかったと思うのだけれど、彼にとっては違うのかもしれない。でも、どうでもいい。


「私、今から抽出室に行かなきゃいけないの。じゃあね」


「ちょっと待って!」


 立ち去ろうとしたら右手首を掴まれた。先ほど飲んだ薬のせいか、少し、痛みのようなものを感じる。

 彼はこちらの目をまっすぐと見て、少し間を置いてから口を開いた。



「一緒に、外へ逃げないか」



 …………何を言っているのだろうか。そんなことをする意味も、実現性もないだろうに。


「あー、いや、言っても信じられないと思うんだけどさ。俺、外からここに侵入してきてるんだよ。それで、キミに一目惚れというか、うん、そんな感じのやつで……」


 彼は言葉を詰まらせながら喋っているようだったが、話を聞く必要はないだろう。無視して抽出室へと向かう。


「俺はここで待ってるから!! 少しでも気が変わったら来てほしい!」


 さすがに、二度も手を掴まれることはなかった。気が変わることなどあるわけもないが、自室へと戻る際に再び会うことになりそうではある。どう回避すべきかと少し面倒に思いつつも、どうせその気持ちすら今から消えるのだと気づき、考えるのをやめた。


 しばらくして、目的の場所に辿り着いた。部屋の中に入ると数人の大人が準備を進めている。


「来たか。この薬を飲んで五分待機せよ」


 差し出された錠剤を口に入れて舐めつつ、椅子に座る。


 結局、あの男はなんだったのだろうか。外から来たと言っていたが、それが真実ならこの人たちに報告をしておくべきなのかもしれない。もし私がそうしたら、彼はきっと捕まって、ここで感情を奪われて一生暮らすんだろう。


 …………何だか、それは


「おい、なんでこの薬が残っているんだ。さっき検体に飲ませたはずだろ」


 何で、嫌なんだろう。どうしてそんな気持ちを抱いているんだろう。


「あ? 俺はちゃんと飲ませたぞ。残ってるとしたらお前のミスだ」


 胸が痛い。防護服を着込んだ大人たちが言い争っている様子を見て、不安な気持ちになる。気のせいか、呼吸も荒くなってきた。


「ったくお前はいつもそうだよな。自分の間違いかもしれないのに全部他人に押し付けてよぉ!」


 大声で怒鳴る声がする。心にある不安感はどんどんと増していくばかりで、少し視界が歪んで見えた。額に熱も感じる。


 嫌だ、こんなところにいたくない。ここから逃げなきゃ。

 気がつくと、私は部屋を飛び出していた。



 怖い、何もかもが怖い。この気持ちをかき消したくて廊下を走る。後ろは振り返りたくない。


「っはぁ、はあ……」


 ダメだ、余計に鼓動は早くなるばかりで収まりそうにない。せめて部屋に戻れたら落ち着けんじゃないかと信じて、ただ走る。


 窓に映るのはいつもの海。でも、それが本物じゃなくて、ただの映像だという事実が今は絶望感を強くするばかりだった。廊下にあるのは窓じゃなくてモニター。ここは地下施設で、窓を割って逃げだすことなんてできないんだから。


「はぁっ、廊下って、こんっなに長かったっけ!?」


 今までは思いもしなかった気持ちがどんどんと湧いてくる。

 怖い、熱い、足が痛い、天井が低い、苦しい、胸が痛い、息が切れる。


 それから、足がもつれて、私はだらしなく床に崩れ落ちてしまった。


「……頭も痛いし、視界もぼやけてるし、やっぱり感情なんていらなかったんだ……」


「んなわけないし、そりゃただの涙だろ。ほら、これで拭きな」


 聞き覚えのある声がして、目の前に布らしきものが差し出される。涙、って目から出てるやつだったっけ。でも感情が動かないと涙は出なくて、いや、私は今感情が動いてて……。


「そりゃまだ混乱してるよなあ。生まれてからずっと感情を奪われてたわけだし。……しゃーない、目つむってじっとしてろよ」


「……ん」


 言われた通りに動きを止めていると、目元を拭われる感覚があった。まもなくして、再び声をかけられる。


「よし、もう動いていいぞ。立てるか?」


 ゆっくり目を開けると、そこにはあの少年が立っていた。よく見ると整った顔立ちをしていて、その青い目には吸い込まれそうになる。最初会ったときには思わなかったが意外と頼りになる、のかもしれない。彼が差し出した手を恐る恐る掴むと、意外と大きく、そして暖かかった。全身に力を入れ直して、なんとか立ち上がる。


「……ありがと、助かった」


「はいはい、どういたしまして」


 そう返事して、少し頬を染めたまま、彼は大袈裟に手を振った。しかし、すぐ真剣な眼差しになり、こう問いかけてくる。


「それで、これからキミはどうするの? また感情を失った日々を過ごすのか、それとも、俺と一緒に外へ逃げるのか」


 彼は目を細めて、こちらをまっすぐに見ていた。


 正直言って、これから先のことを考える余裕なんてない。今でも色々な感情が溢れてきて声の出し方すら忘れてしまいそうだけど、うん、決めなきゃいけないんだ。


「私が、望んでいるのは…………」


 今までのように感情を捨てれば苦しまなくていい。こんな状態になって胸を痛めなくていい。


 それでも、それでも私は。



「あなたと一緒に、外へ行きたい」



 絞り出すように出した声。彼はそれを聞くなりパッと顔を明るくした。


「よし、その言葉が聞きたかったんだ! じゃあすぐに行こう!」


 手を掴まれ、また廊下を走り出す。今度は怖くない。いや、怖いけど、それ以外の気持ちでいっぱいだ。


 廊下の端まで行くと、そこには頑丈そうな一枚の扉があった。その色は真っ黒で、周りと比べても明らかに異彩を放っている。これが外へ続く道なのだろうか、などとぼんやり考えていたそのとき、天井のスピーカーから警報音のような音が放たれた。


「脱走者を感知、繰り返す、脱走者を感知。二番階段へ直ちに警備兵を向かわせよ」


「くそっ、見つかったか! 急ぐぞ、えーっと……!」


 こちらを向いて叫んだ彼は、扉を勢いよく蹴り開け、私の手を引いて扉の中へ入っていく。

 部屋、と呼べないほどにその場所は狭かった。薄暗く、階段が上へと伸びているだけの場所だ。ただ、天井があまりにも遠い。


「ここを登るの!?」


「登る! 追いつかれないよう頑張ってくれ!」


 金属製の階段を小気味良いリズムで上がっていく。聞こえてくるのは階段を強く踏み締めたときの甲高い音。それと、お互いの荒い息遣い。


「あのさっ、さっきサヤって呼んでくれたよね」


「呼んだ! 38なんとかって言ってたから、サヤだ!」


 想像通りの安直な答えが返ってきて、思わず笑ってしまった。


「もしキミが気に入ってくれたなら嬉しいよ!」


「うん、とっても気に入った!」


 私はもう、JW-381345なんて呼ばれる存在じゃない。

 私の名前はサヤ。

 感情を手に入れた、人間だ。


 それからは会話をする余裕もなくなり、二人で、ひたすら外を目指した。数分とも数十分とも数時間とも思える時間が経ったころ、久々に彼が口を開く。


「地上までもう少しのはずだけど、大丈夫? 疲れてないかい?」


 気遣ってくれているようだが、心配は不要だ。


「疲れてはいるけど、大丈夫。むしろ、なんだか楽しいぐらい」


「そりゃ頼もしい。……ああ、やっと外への扉が見えたぞ!」


 彼の指差す方を見ると、微かに光が漏れ出しているのが目に入った。私も、彼も、今までの疲れを忘れたように、思わず階段を駆けていく。


 彼は勢いに任せて扉を開けた。私はあまりの眩しさに目を閉じてしまったが、肺には新鮮な空気が飛び込んでくる。


「ここが……」


「ああ、地上へようこそ!」


 彼は両手を仰々しく広げ、歓迎してくれた。それから視界に入ったのは、空いっぱいに広がる一面の青と、草の生い茂る平原。映像で見ていたのとは比べものにならない美しさに圧倒されてしまう。


「キミは、これからどうするつもりなんだ?」


もう、私の答えは決まっている。


「あなたについていくよ」


「良かった、俺も一緒にいたかったから」


 気づけば、お互いが見つめ合っていた。彼の持つ、透き通った瑠璃色の瞳がきらきらと輝いていて、とても美しい。


 頬を柔らかな風が撫でていく。それから、小さな葉の擦れる音が心地よく耳に入った。今、この瞬間に感じている思いの名前はわからない。だけど、悪い気分じゃないのは確かだ。


「それじゃ、行こうか。俺の家まで案内するよ」


 ゆっくりと歩き始める彼の横に並び、私も歩く。そっと彼の手を握ると、驚いたような顔をしてから、握り返してくれた。さっきまで痛かった足も、もう気にならない。



 ああ、私には感情が

 手に感じる温もりも、胸にあるこのどうしようもない気持ちも、全て本物なんだ。


 照りつける陽の暑さを焦れったく思いつつ、私たちは歩き出した。

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