12の8 ただの侍女



 マセッタです。


 眼の前でアルメオとロベルタが怪訝な顔をしています。


「二人とも、深夜に呼び出して悪いわね」


「女王陛下のことですから、何かよほどのことがあったんですよね」


「マセッタ様、少々お疲れのようにも見えますが」


 先ほど、グレイス神国にあるイナリ様の住処から戻られたナナセ様は、泣き腫らした真っ赤な目をしておりました。発する一言一言は言葉になっておらず、ほぼ全ての説明は共に戻られたイナリ様がして下さりました。私ではとうてい理解できないようなことがアルテ様に起こってしまったようで、衝撃的な説明を受けながらも、皆様に動揺している姿を隠すことに必死でした。女王という立場も楽ではないわね。


「端的に説明すると、アルテ様が記憶を失ってしまったの」


「記憶を・・・それは一時的なものなのでしょうか?取り戻せるものなのでしょうか?」


「わからないわ。当のアルテ様はあまり気にしていないようですけれど、深刻なのはどちらかと言えばナナセ様の落胆ぶりね」


「えぇーっ、ナナセお姉ちゃん大丈夫なんですか?」


「大丈夫ではないから呼び出しました。これは国家的一大事よ」


 いつも飄々としているアルメオが見るからに不安そうな表情になってしまいました。私は常々、この二人には王国の未来を託せると考えておりましたけれど、ナナセ様の不調一つでここまでうろたえてしまうようでは国営など無理かしら。


「わたくしごときにでもできることであれば、何なりとお申し付け下さいまし」


「お、オレも!ナナセお姉ちゃんの為にできることがあるなら何でもします!」


「ロベルタとアルメオには国王代行をしてもらいます。ロベルタはアルテ様のお部屋係を兼任、アルメオは衛兵の管理を兼任ね」


「命令ならやりますけど・・・オレなんかで良いんですか?」


「アルメオはベル様からヴァチカーナ様の血を引いていると聞いているわ。私よりもこの国の王にふさわしいかもしれないわね」


「女王陛下の代わりなんてブルネリオ様かナナセお姉ちゃんくらいしかいないと思いますよ」


「マセッタ様、ご命令とあらば務めさせて頂きますが、わたくしはアルメオのように学園で領主教育を受けておらず、どのように立ち回れば良いのかわかりません」


「すでにお願いしてある精鋭隊の鍛錬は続けて下さい。基本的にナナセ様とアルテ様の身の回りのお世話は私が行いますけれど、朝食の提供や緊急を要する場合などは、ナナセ様とアルテ様が滞在している部屋の鍵を開けられると聞いている貴女が頼りよ」


「ソライオとティナネーラのお部屋係と警護はどうなさいますか?」


「この部屋の侍女を配置転換します。私がいればアルテ様の護衛も必要ありませんから、カイエンが兼任すれば十分ね。それと、ソライオとティナネーラはできる限り会議に参加させなさい、王政を知る良い機会だわ」


「わかりました。それで、女王陛下はどうするんですか?ずっとアルテ様の看病だけってわけじゃないですよね」


「アルテ様に仮初めの記憶を植え付けます。この数年間、アルテ様がナナセ様と歩んできた物語を徹底的に語り尽くすわ」


「てっきりアルテ様と二人でブルネリオ様の所へでも脱走するのかと思いましたよ」


「脱走させるのはアルテ様ではないわ、ナナセ様の方ね。あの小さな肩に背負わせすぎた荷物をしばらく下ろして差し上げなければなりません。ご本人はそう感じていないのかもしれませんけれど、成人前の子供が経験するごく普通のことを、ナナセ様にもごく普通に経験して頂きたいと思います」


「それはわたくしも賛成でございます」


「ナナセお姉ちゃん、ずっと忙しかったから休養が必要ですよね・・・オレ、厳戒態勢で無理をさせていた王城の護衛兵の休暇を回すことばかり考えていて、一番忙しく海外まで駆け回っていたナナセお姉ちゃんのことまで考えが及んでいませんでした。はぁ、オレ、駄目だなぁ・・・」


「それは私も同じよ、アルメオが気に病むことでは無いわ」


「しかしマセッタ様、ナナセ様が普通の子供として羽根を伸ばせるようなことなど、この世に存在するのでしょうか?わたくしには想像もできませんが」


 ロベルタはナナセ様のことを良く見ているわね。すでに普通ではないナナセ様に、こく普通の子供としての経験をさせるだなんて、私うぬぼれていたのかしら・・・


「少し考える時間を下さい」


 私が普通の子供だった頃はどうだったのかしら。学園の卒業を控えていた成人する直前、ブルネリオと二人で早馬を飛ばし、ポーの町を治めるサンジョルジォお父様にお忍びで会いに行ったことくらいしか記憶が無いわね。


 今思えば、これが私にとって普通の子供として経験した最初で最後の普通の出来事だったのかもしれません。相手がブルネリオだったのが少し癪だわ。


「決めたわ、ナナセ様にはポーの町へ旅に出てもらおうと思います」


「ナナセお姉ちゃん一人旅ですか?いくら護衛なんか必要ないほど強いと言っても、落胆しているナナセお姉ちゃんをたった一人で遠征させるのはオレ大反対です」


「マセッタ様、ゆぱゆぱを連れていれば安心かと思います」


「ゆぱゆぱ様は駄目よ、つい先ほど学園で普段と変わらずお勉強を頑張りなさいと言ってしまったもの。そうすることでナナセ様を安心させられると思うの。とはいえ、ポーの町への旅行を思いついたのは良いのですけれど、旅路でナナセ様のことを心身ともに支えられる人物が思い浮かばないわね・・・」


「イナリ様やベル様にお願いするのはどうでしょうか」


「そのお二人にはピストゥレッロ様と共に、アルテ様の記憶を取り戻す方法を最優先で調べて頂くようお願いしました。私たち凡人では難しいわ」


「だったらナナセお姉ちゃんがたまに連れてるハルコとかいうセクシーな鳥で飛んでいってもらうのが早いし安全じゃないですか?」


「そうね、現状ではそれが一番なのかしら。もう少し考えますから、また時間を下さい」


 ハルコ様もナナセ様に依存しているところがあるし、帝国へ向かわせるアイシャール様の翼となる可能性があるわ。ある程度は身を守れる戦闘力を持ち、なおかつ精神的にナナセ様を頼ろうとしない人物なんてこの王国にいるのかしら。アイシャール様やアルメオなど論外ですし、しっかり者に見えるアデレード様やロベルタにもそういった一面がありますし、ルナロッサ様もナナセ様をお姉様と慕って頼りにしているようですし・・・これでは親兄弟のような接し方をしているアンドレッティ様くらいしか思い当たらないわ。


 いいえ、一人いたわね。


「決まりました」


「誰ですか?」


「解散」


「「・・・。」」


 私は侍女服に着替えると、王都の居住区にあるお屋敷へ足早に向かいました。



「女王陛下、わざわざお越し頂いた事、光栄に思いますわ」


「国王は代行に任せてきたわ、ですから今の私はただの侍女よ。堅苦しい挨拶はおよしなさい」


「そう申されましても、女王陛下へ抱く尊敬の念は、そう簡単に消せるものではございません」


 あらあら、ずいぶん上品で素敵な挨拶をする娘ね、王国にこのような娘はいないから新鮮だわ。けれども、これはこれでよそよそしく、少し寂しい気持ちになってしまいます。


「では命令します、ただの侍女であるマセッタとして接しなさい」


「か、かしこまりました、マセッタ様」


「もっと、学園でナナセ様たちとお話をするように」


「わ、わかったわよ!」


「聞き分けが良いわね、エリザベス=エクレール・オブ・スカーレット」


「な、な、な・・・‥…アタシはリザよ!ただのリザでございますーっ!」


 わかりやすい娘よね、隠し事ができないタイプだわ。この娘は若い頃の自分を見ているようで楽しいのよね。


「王国にはイグラシアン皇国出身の者も多数おります。ナナセ様が調べてきたイグラシアン皇国の古い歴史を元に、私個人でも念入りな調査をしたわ。この事実は私とアンドレッティ様とアルメオ、その他にはイグラシアン皇国の出身であるアレクシス様とケネス様しか知り得ている者はおりません。皆、口が硬く信頼できる人物ですから、貴女が隠している事が知れてしまうことなどないわ、ナナセ様にさえ」


「なんで子供先生に教えてないのよ」


「貴女方はとても充実した学園生活を送っているようですから、邪魔になるようなことなどできないわ。羨ましいわね」


「そ、それでっ、こんな夜にマセッタ様がわざわざ一人で来るなんて何の用件なのよ!」


「ナナセ様を助けてあげて欲しいの」


「こ、子供先生に何かあったの?」


 あらあら、今までの血の気の多い顔がスッと青ざめてしまったわ。この娘もナナセ様依存症だったのかしら。


「少しショックなことがあり、落ち込んでいるようね」


「なによそれ!そんなよわよわ根性アタシが叩き直してやるんだから!子供わからせるチャンス到来ね!」


 ふふっ、血色が戻ったわ。


 やはりこの娘で良さそうね。

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