12の3 七月七日(前編)



 私はリザちゃんのうるうるした瞳に吸い込まれている。心配してくれているのは嬉しいけど、なんとなくそういう感覚とは違う。


「リ、リザちゃん・・・そんな泣かないでよ・・・」


「泣くわけないでしょ!目にゴミが入っただけよ!」


 わかったよこれ、アイシャ姫がうるうるしてた時に思わず吸い込まれたのと一緒だ。でも、そこまでわかっているのに抗えない。私はリザちゃんの瞳からこぼれ落ちてくる大粒の涙が伝っている、うっすらと赤みがかった頬に顔を近づけ、そのまま躊躇することなく唇を当てた。


 その瞬間、体の中心に電撃が走るような感覚があった。


「リザちゃん・・・リザちゃん・・・(ぺろぺろクンクン)」


「ななな!ナナセ先生ぇーっ!」

「はわわわ、お姉たまぁーっ!」


 私なんで犬みたいなことやってるんだろ。みんなが大騒ぎで何か言ってるけど耳に入ってこない。


「ちょっ、ちょっと子供先生・・・っ!?」


 なぜだかわからないけど、今度は私の目から無意識のままボロボロと涙が溢れてきた。膝から床へ崩れ落ちると、コルセットでキュウキュウ締め付けてあるリザちゃんの細っこい腰にしがみついたままメソメソと泣き出してしまった。


 と思ったら、ほんの数十秒で正気に戻った。


「ご、ごめんリザちゃん、なんかうわーってなっちゃって。最近色々あってさ」


「こっ、子供先生はやっぱり子供なのよ!好きなだけ甘えるのね!」


 間違いない、これがピステロ様が言ってた魅了ってやつだ。アイシャ姫が「他人とは思えない」って言ってたのも似たような魅了を発現する体質を持つもの同士、何かを感じ取ったのだろう。


 マーキングされたアンドレおじさんや、裸足ふみふみされたカルヴァス君がニヤけてたのも、たぶん同じ理由だったということが経験的に理解できた。それどころか、レオナルドがアイシャ姫に抗えず吸い込まれてしまったことも納得できてしまう。でも、なんでいきなり正気に戻れたのだろうか。私には魅了耐性でもあるのだろうか。


「まったく、学園に出てこないと思ったらひたすら料理作ってるなんて、心配して損しちゃったじゃない!」


「ごめんね、アデレちゃんとかマセッタ様に優しくしてもらってるから、これでもずいぶん元気が出たんだよ。そのうちちゃんと学園行くからさ、お誕生日の今日くらいは好きなことしたいなって思って」


 そんなお話をしていると、引きこもり部屋からアルテ様が飛び出してきた。


「ねえナナセお姫様!なぜだか居ても立ってもいられなくなってしまったのよ!(きょろきょろ)まあ!なんて可愛らしいお嬢様なのかしら!」


 いつになく興奮しているアルテ様がリザちゃんを見つけて近寄っていった。リザちゃんはアルテ様に貴族風のスカートをちょこんとつまんで持ち上げる例の可愛らしいごあいさつをしようとしていたけど、そのままアルテ様の胸に抱きかかえられてしまった。


「すごいわ!お人形さんみたいだわ!ねえリザさん、わたくしはアルテミスと申します。記憶を無くしてしまったと言われているのですけれど、記憶があったのかどうかさえわからないの。もし以前にお会いしたことがあったとしても覚えていませんから、今からまたお友達になって下さるかしら?」


「あ、アルテミス様とは初対面でございます、今後ともお見知り置きをお願いします(むにゅむにゅ)」


 リザちゃんがアルテ様の柔らかそうな胸にむにゅりと挟まっていて羨ましい。けど、たぶんこれ、私にかかってたリザちゃんの魅了が、そのまま呪い効果でアルテ様にお引越ししちゃったんだろう。私、アルテ様と同じ感覚を共有できていることが嬉しいのかもしれない。昨日の私だったら、こんな場面を見たとたんにわんわん泣き出していたと思う。


「アルテ様、そのままリザちゃん抱っこしていて構いませんからね、これたぶんリザちゃんのこと好きになっちゃう魔法の一種なんです」


「そうなの?ナナセお姫様、わたくし何もわからなくて・・・リザさんに失礼なことをしてしまっているのかしら、ごめんなさいね」


 そう言うと、リザちゃん人形をソファーに置いて私の隣におとなしく座った。いつもみたいにウズウズしているのが伝わってくるけど、頑張ってお人形さんごっこを我慢してる様子だった。



 十五歳のお誕生会に出すお料理の献立は酷いものだ。全部一人で作ってるけど、こんなの毎日食べていたら数値が爆上がりするような内容だ。


 まず、よく肥えたイノシシを半頭買いしてきたのでそれを使った背脂マシマシこってりラーメン、辛さ控えめ麻婆豆腐、塩分濃いめスペアリブ、衣多めロースかつ丼、希少部位であるシャトーブリアン和風ステーキ、そして残った臓物はしっかりと掃除して、すべて味噌を使った甘口のモツ煮込みにした。


 他にはラーメンの隠し味に使う鶏油を絞り出したパリパリ鶏皮のチャーハン、ナゼル産の霜降りローストビーフと牛しゃぶしゃぶサラダ、骨付き仔羊肉の岩塩包み焼き、イノシシ脂と牛脂をたっぷり混ぜてドロリとした油で揚げた山盛りポテトフライ、ついでにその油を使った鶏の唐揚げ、エビフライ、アジフライ、カニクリームコロッケ。


 これはかつてアルテ様が美味しい美味しいと喜んで食べてくれた、身体に悪そうな料理ばっかりだ。


 他にも、こないだナプレ市で作って大成功だったチーズこてこてピッツァ。あとゆぱゆぱちゃん専用の大きなおさかにゃ丸焼き。そして最後に、これでもかという量の高価な砂糖をたっぷり使った、結婚式みたいなサイズの巨大バースデーケーキ。


 集まったメンバーは女性ばかりの十二人。マセッタ様、アルテ様、イナリちゃん、ベルおばあちゃん、ハルコ、アデレちゃん、イスカちゃん、ゆぱゆぱちゃん、リザちゃん、リアちゃん、ルナ君、あとお部屋係としてのロベルタさん。ルナ君は完全に女の子枠らしい。扉の外には立ちっぱなしで警備員をしている唯一の男性であるカイエンさんがいるので、あとで差し入れをしてあげよう。


 ティナちゃんとソラ君、アンドレおじさんとボルボルト先生とアルメオさん、アレクシスさんとケンモッカ先生なんかに来てもらっても良かったけど、気心知れた女性メンバーだけで開催するべきだと言ってマセッタ様がお断りしたらしく、もう少し私が元気になったらお寿司屋さんにでも集まりなさいと言ってあるそうだ。気を使わせてしまってすみません。


「準備はいいかしら。それでは乾杯」

「「「かんぱーい!お誕生日おめでとー!」」」

「みんなありがとう!少し元気出たよ!」


 マセッタ様の音頭で乾杯すると、私はすぐに厨房へ逆戻りだ。主役がひたすら働いているという変なお誕生会だけど、私にとってはお料理を美味しいと言ってもらえることが何よりのプレゼントになる。


 客席・・・じゃなかった、食卓からはみんなの美味しい美味しいという声が聞こえてくる。特に声が大きいリザちゃんが「なんなのよこれ!」って色々と驚きながら食べてくれている様子が伝わってきて嬉しい。


 調理補助みたいなことをしてくれているロベルタさんをこき使いながら、あと仕上げるだけのところまで仕込んであるお料理をどんどん完成させ、デザートのケーキまで出し切ったところでようやくお誕生席に座った。相変わらず色々と作ってたらお腹いっぱいになっちゃったから、こんなにたくさんあるのにほとんど食べてない。


「ねえナナセお嬢様!楽器をお借りしてきたのよ!わたくしからのお誕生日プレゼントです!」


「えっ?」


 アルテ様がどこからともなくヴァイオリンを借りてきたようで、この異世界で有名なバースデーソングをすっごい上手に弾いてくれた。どうやら呪いで記憶を失っても、こういう初期設定みたいな才能まで消えているわけではないようだ。ありがとアルテ様。


「私からもプレゼントがあるわ、ナナセ様」


「ありがとうございますマセッタ様・・・なんですか?これ」


「女王の命令書よ、ふふっ」


 蝋で閉じてあるような封書を開けると、そこには「ポーの町の現況調査を命ずる」とだけ書いてあった。ポーの町って、たしかマセッタ様のお父様が領主だったとこだよね。


「私、何を調査すればいいのでしょうか・・・」


「ポーの町では産業としてハムやチーズが盛んに作られています。それに、多くの効能があると言われている温泉も有名ね。ナナセ様にはその調査をお願いするわ」


「つまり、温泉旅行にでも行ってこいと」


「遊びに行くわけではないわ、これは立派な公務です。私の両親が河川敷の古民家に隠居していますから、寝泊まりはそちらでするといいわ」


 マセッタ様はポーの町へ手配書みたいなものをすでに送ってしまったようで、とてもじゃないけどお断りなんかできない雰囲気だった。


「あのあの、アルテ様が心配なんですけど・・・」


「私がアルテ様の護衛侍女では不安かしら?」


「いえ、世界一安全だと思います」


「私がアルテ様の教育係では不満かしら?」


「いえ、世界一の家庭教師だと思います」


「きっと戻ってきた頃にはアルテ様の記憶が書き換えられているわ」


「そういうものですか・・・では謹んでお引き受け致します」


 私の目先を変えようと考えてくれているんだろう。あまり乗り気にはなれないけど、ポーの町なら空飛んで行けば往復でも数日の場所だろうし、王宮に引きこもってウジウジしているよりも、行ったことのない街へ旅行っていうのは良い事なのかもしれない。


「お姉さま、あたくしとリアさんとイスカさんからもプレゼントですの」

「あたし、こういうの、わからないから、アデレードに、任せたよ」

「ナナセ先生、早く元気になって下さいぃー」


「にゃにゃせおねいにゃん、ゆぱゆぱ、お金、にゃいにょ」

「わしもお金持っていないから何も用意しておらんのじゃよ」


「みんな、ありがとう。わあぁ、可愛いワンピースだぁ、それに素敵な靴。ゆぱゆぱちゃんとベルおばあちゃんはここに居てくれるだけで十分だから気にしないでいいからね、いつも感謝してるよ」


 アデレちゃんとリアちゃんとイスカちゃんからは、キリンさんが逆立ちした可愛らしいブローチ、それとボートネックのしましまワンピースと、その服に合わせたようなオレンジ色のハイヒールをプレゼントしてもらった。


 昨日の今日だというのにサイズもピッタリだったところを見ると、王都中の商店を探し回ってくれたんだろう。私、前世でも機能重視ばっかりで、おしゃれなお洋服なんてほとんど買ったことないから嬉しいな。


「こ、子供先生」


「どしたのリザちゃん、別になにも無しでいいよ、さっきリザちゃんから貰った涙は、かなり印象的なプレゼントになったからさ」


「そうじゃないわよ!ちょっと持ってくるの忘れちゃったの!また今度にするからそれまで楽しみに待っていなさい!」

「もー、だから言ったじゃないですかリザ師匠・・・」

「うるさいわよルナロッサ!」


 そう言うと、リザちゃんがいつも持参しているお気に入りのバスケットを背後に隠した。ルナ君はなんだかとても残念なものを見るようなジト目でリザちゃんを眺めている。あれの中身なんだろ、ちょっと気になるけど隠したいなら無理強いはできないかなー、なんて思っていたらリザちゃんに魅了されているアルテ様が突入した。


「ねえリザさん、わたくし何か隠したのが見えたわ!何が入っているのかしら、見せて見せて、ねえねえ!(ゆさゆさ)」


 リザちゃんはアルテ様に馴れ馴れしく肩をゆさゆさされるとさすがに観念したようで、バスケットの中身を恥ずかしそうに見せてくれた。


 そこには一枚のステーキが入っていた。

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