7の28 護衛侍女と皇太子
オルネライオは皇太子妃となった私をとても大切にしてくれました。けれどもそれは私にとっては刺激の少ない退屈な王宮での日々でしかありませんでした。子供の頃から喧嘩ばかりしていた私が王族として王政のお手伝いなどできるはずもなく、周囲の皆も扱いに困っていることが伺えました。
私が母親代わりでオルネライオを育てたように、子育てでもしていれば退屈など感じなかったのでしょうけれど、残念ながら子を授かることはありませんでした。私は私の生涯に悔いなどないと思っていましたけれど、才能あるオルネライオの血を受け継ぐ子をなせなかった事に関しては、時折胸を痛めています。この際ですから、お父様が私を産ませたように、どこかに隠し子でも産んでくれる都合のいい女性はいないかしら。
「ねえオルネライオ、もし私と貴方に子供ができていたら、どれほど憎たらしい子に育ったかしら。きっと気が強くて喧嘩っ早くて理屈っぽい女の子よ」
「・・・そんな風に茶化すような言い方をしているけれど、本当はとても気にしているのではないですか?わたくしは今の生活に何も不満はありませんし、マセッタを取られてしまうくらいなら子などいない方が幸せかもしれません」
「もう・・・そんなに優しくしないでよ・・・ばか」
・
もともと王宮内に「マセッタは怒らせると怖いので関わらない方がいい」といった風潮がありましたから、なぜかとても可愛がって下さるヴァルガリオ国王陛下以外の方とは積極的に関わることはありませんでした。
暇つぶしといえば、護衛侍女の後輩であるロベルタとベールチアをつかまえ、王宮の中庭で戦闘訓練に付き合わせるくらいしか楽しみはありませんでしたが、その訓練も私たち三人が行うと非常に高度な模擬戦闘となってしまうため、皆私たちを恐れ、周囲からはますます人が遠ざかっていきました。もちろん気にしていませんけれど。
そんな退屈だったある日、ヴァルガリオ国王陛下が何者かに殺害され、私は深い悲しみを味わうことになりました。皇太子であるオルネライオがまだ若かった上、この危険な状況の中で即位させるべきかどうか王城内は揉めに揉め、結局ブルネリオが「私がこの混乱した王政の泥をかぶりましょう」と言って王位を引き継ぎました。
ブルネリオったら、子供の頃の情けない姿はもう残っていないのかしら。嬉しいような寂しいような、なんだか複雑な心境だわ。私もいよいよ少女みたいな気持ちを捨てて大人にならなければならないわね。ブルネリオがそのつもりなら、私もオルネライオにいつまでも甘えているわけにはいかないもの。
「ねえオルネライオ、私、護衛侍女に戻ることにするわ。だから今すぐ婚姻を解消してちょうだい」
「なっ、何を言い出すんだ。わたくしがそんなことするわけないだろう」
「だって、ヴァルガリオ様の次に命を狙われるのはきっと貴方よ。私、未亡人になんてなりたくないわ」
「そんな酷いことを言わないでくれよマセッタ・・・」
「ふふっ、冗談よ。けれども護衛侍女に戻るのは本心です。この混乱した状況が落ち着くまで、警戒するに越したことはないわ。私以上に戦える護衛を十分に揃えられるのなら話は別ですけれど」
「護衛が手薄なのはわたくしも認識しているけれど、そのようなことは国王が許可しないのでは?」
「ブルネリオなら問題ないわ、貸しがたくさんあるもの」
当時、最も信頼できる護衛兵であったアンドレッティ様は、オルネライオと同様に命を狙われる可能性があったゼル村のチェルバリオ様の元へ配置転換されました。これにより王城の護衛が手薄になったこともあり、ブルネリオとオルネライオは私を誰の専属でもない広義の“王族の護衛侍女”として任命し、王都から一歩たりとも外へ出ないことを条件に、皇太子妃でありながら護衛侍女に戻ることを渋々了承させました。
オルネライオは、できるかぎり王都に滞在しないよう各地を飛び回るような仕事を優先的に行うことで、狙いを定めさせない対応を取るようでした。王都でジッとしている方が安全なようにも感じますけれど、ヴァルガリオ国王陛下を殺害した集団の中にバルバレスカ様が手懐けていた護衛兵のポルシュがいたので、この王都は決して安全ではなくなってしまったのです。
しかし、護衛侍女に戻ったからといって退屈な日々を過ごすことに変わりはありませんでした。むしろ、オルネライオが不在なことが多く、ますますやることがなくなってしまったわね。
「ブルネリオ国王陛下様」
「なんですか?マセッタ皇太子妃殿下様」
「暇なのでお仕事を下さる?」
「マセッタが侍女のような炊事洗濯などをしていると、他の侍女が極端に気を使ってしまいます。しかしマセッタが護衛として王城に滞在していれば他の衛兵が引き締まります。ですから、そのまま護衛の詰所で座っていて下さい。マセッタにしかできない立派な仕事です」
「それはお仕事とは呼べないわね」
私はこのような微妙な立場のまま、護衛の詰所に座っているだけの誰にでもできる簡単なお仕事をしながら平和な数年が過ぎました。
・
「ただいまマセッタ、ナプレの港町から戻りました。サッシカイオの件は非常に面白い顛末となりましたよ、ナナセさんという少女が・・・」
翌朝、目が覚めると・・・
「おはようマセッタ、今日はナナセさんのことで国王に報告を・・・」
サッシカイオが王都から逃亡した際には・・・
「ベールチアを連れて逃げたので危険です。ゼル村のナナセさんが心配なので早馬を飛ばしてチェルバリオ様へ連絡に向かおうと・・・」
王国各地に通達して周り、ようやく王宮へ戻った際には・・・
「ナナセさんが素晴らしい馬車を開発したんだ!国王に報告を・・・」
チェルバリオ様が亡くなった際には・・・
「マセッタ、ナナセさんには学園で領主教育をきちんと修了してもらいたいと思っているんだ。そうするとゼル村は領主不在になってしまうので、わたくしが村長代行をしようと思っているけれど、どう思う?」
歳を重ね温厚になりつつあった私はついに我慢の限界に達し・・・
「ちょっとアンタね、寝ても覚めてもナナセさんナナセさん、長旅からようやく戻っても一言目にはナナセさん、二言目にもナナセさんって、あたしがどんな気持ちでその話を聞いてると思ってんのよ!そんなにナナセさんが好きならナナセさんちの子になっちゃいなさーい!」
「はっはっは、それは素晴らしい提案ですね。マセッタもきっと、ナナセさんにお会いすればすべてを理解できると思いますよ」
「なんなのよ!だったらあたしもゼル村に連れて行きなさいよ!」
私は年甲斐もなく、生まれて初めて“嫉妬”というものを経験してしまいました。これはもう今すぐにでもゼル村へ向かい、ナナセっていう小娘に痛い目をあわせてあげなければ気が済まないわ!
・・・けれども、皇太子妃でありながら護衛侍女に戻るのは王都から外出しないことを条件に了承させたので、たかだか田舎の村へ向かうためであってもブルネリオを説得するのには苦労しました。
仕方がないので若く有望な護衛を何名か徹底的に鍛え直し、私が不在でも安全であるよう準備すると、極めつけに渋るブルネリオに過去の貸しストックをちらつかせ、半ば強引に単身で王都を出発しました。ようやくゼル村へ到着すると小娘ナナセの代理をしているオルネライオが、なんとも骨と気の抜かれた平和な顔で出迎えに来ました。
「ずいぶん都会的な村に変貌を遂げているわ・・・」
「もう村ではありません、すべてナナセさんの功績ですよ」
「・・・(イラッ)」
ナゼルの町は王都直属建築隊のミケロ隊長が肝煎りで開発を進めているそうで、私の見知っていた田舎の農村の面影はどこにもありませんでした。町の中央広場には王都でも見たことがないような立派な宿泊施設がそびえ建っており、私はその施設の中でも一番広い部屋へ滞在するよう、カルスバルグというよく教育された荷運びの好青年に案内されました。
さっそく部屋の扉を開けると、驚きで身が震えるほどの感動を覚えました。そこは王宮の国王陛下の部屋よりも立派なもので、見たこともないような柔らかそうな素材のベッドや枕、希少なガラスを何枚も使った大きな窓、部屋の隅々まできちんと敷き詰められた絨毯、蝋燭や松明ではない、とても暖かな謎の光を放つ間接照明器具、自然の良い香りが漂う一枚板のテーブルと上品な色使いのソファー、壁には綺麗な青を基調とした深海の生命体が踊っている幻想的な絵画が飾られており、その横にある食器棚にはシンプルさと重厚感を兼ね備えた素敵なお皿やティーカップが陳列してありました。そのどれを取ってみても、大富豪や王族ですら手に入れることができないような、まるで別の時代の別の国に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまう、とても素敵なものです。
オルネライオは入り口で、なぜか靴を脱いでからその部屋へ入ると、またもや「完成した部屋をナナセさんが以前住んでいた国の宿泊施設様式に作り直したそうですよ」と嬉しそうに説明しました。
「(コンコン)失礼いたします」
私は肌触りもよく、とても柔らかなクッションを抱きながらソファーに腰を埋めていると、これまた驚くような女性がお茶を運んできました。
その女性は透きとおるような金髪碧眼、とても優しい笑顔で、王都どころか世界中を探し回っても見つけることができないような美しい娘でした。しかし、その見た目とは裏腹に、なんともぎこちなくお茶を乗せたトレーを運び、今にもひっくり返しそうな不器用な手つきで、一つ一つ慎重に丁寧に、ようやくお茶とお菓子をテーブルに並べ終わると、「よしっ」とつぶやきながら小さく拳を握っていました。あらまあ、なんだかずいぶん可愛らしい娘ね・・・
・・・っと、いけないいけない、思わず見とれてしまったわ。この女がにっくき小娘ナナセかしら?なにやら髪や瞳から若干発光しちゃってるじゃない。こんな自発的に光を生み出す生命体なんて魔獣くらいしか思い当たらないわ、これは油断できないわね。
「王子様のお妃様がお見えになったと聞きましたので、ごあいさつにまいりました」
落ちこぼれ侍女の私から見ても、なんとも不器用そうな娘だと思いましたけれど、言葉遣いも丁寧だし、なによりも絶世の美女だし、オルネライオがうつつを抜かすのも仕方のない事かもしれないわ。
「皇太子妃のマセッタです、貴女がナナセ様でしょうか?」
「いいえ、わたくしはアルテミスと申します。ナナセは学園があると言って王都に戻ってしまいました。マセッタ様、オルネライオ様には大変よくして頂いております、ナナセ共々感謝しております」
なぜ貴女は光っているのかと聞いてみると、緊張すると汗や涙の代わりに光が溢れてしまうと言っていたわ。どういう仕組みなのかまったく理解できませんけれど、まるで女神様のような娘なのね。
少なくとも魔獣ではなさそうだわ。
・
ナゼルの町はとても過ごしやすいところでした。王都では私を怖がって誰も近づいてきませんでしたけれど、この町の住民にはとても気さくに仲良くして頂きました。
隣接した食堂へ食事に行けば「これはナナセ様が考えたメニューだよ!美味いだろう!」と言われ、見たこともないような改革がなされた農場や牧場も「全部ナナセちゃんが作ったんだよー」と言われ、荷運びや護衛の若者たちは、王都の護衛などより、よほど王族への接し方や言葉遣いが教育されており、「俺たち元犯罪者なのでナナセの姐さんに“びじねすまなあ”という指導をきつく受けましたから」と、どこか誇らしげでした。
建築隊のミケロ隊長と神殿にいたリアンナ様までも口を揃えて「ナナセ様ナナセ様」と褒め称えます。どうやらブルネリオやオルネライオだけがご執心だったわけではなく、ナナセって娘に関係する全員が同じ気持ちのようでした。
神殿のお隣は王都の大富豪が住むような立派なお屋敷になっていました。ここが町長であるナナセって娘のお屋敷ですか?とたずねてみると、なんとそこは孤児院でした。不思議な町ね、大人よりも孤児の方が大切にされているようだわ。
中を覗くとアリアニカ様が駆け寄ってきて私の手を嬉しそうに取りました。相変わらず可愛い子よね、なぜあの無能なサッシカイオが父親なのか理解できないわ。
「お久しぶりねアリアニカ様、とても元気そうね」
「マセッタさま!あたしね、たくさんおともだちできたんだよ!」
「あら羨ましいわ、私は子供の頃からお友達なんてブルネリオしかおりませんでしたから」
「ナゼルのまちなら、みんなおともだちになってくれるよ!」
ブランカイオ学園に入学してから苦節四十年、私はナゼルの町で、ようやく初めて女性のお友達ができるチャンスが訪れました。
「ふふっ、でしたらまずはアリアニカ様とお友達になりましょうか」
「うん、わかった!」
あとがき
この回のお話、筆者が表現したい世界が凝縮している、とてつもなくお気に入りの回です。自分で自分の作品にハート連打したいくらいですが、そんなインチキ機能はありませんでした。残念。
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