7の9 商人を目指す若者たち(後編)



 ケネスとアルレスカの卒業と同時に、私は正式に王宮の使用人として働くことが決まっていた。ブランカイオ国王陛下は大変にできた方で、その身の回りのお世話をできることはとても光栄なことだ。


 他の王族の方々や先輩使用人までもが私のことを可愛がってよく教育して下さり、皆が口を揃えて「数十年ぶりにセバスチャンの称号を与えられる人物かもしれない」と色めき立っていた。


 当の私はアルレスカとの禁断の関係と、その後すぐに訪れた別れのショックから立ち直ることができず、それを振り払うためだけに、ただ、がむしゃらに、無心になって仕事に励む日々を送っていた。


「アレクシス、少し手を休めてわたくしの部屋に来なさい」


「ローゼリア、まだ雑務が残っています」


「そのようなことは明日でもできます。言うことを聞きなさい」


 ネッビオルド様はとてもお優しい方で、幼馴染の二人と離ればなれになってしまうのは心細いであろうと心配し、ローゼリアを私と共にブランカイオ国王陛下のお部屋係に推薦して下さった。おかげで慣れない王宮での新生活も、ローゼリアが唯一の心の支えになってくれていたので助かった。十歳以上も離れた女性であり、私にとって初めての師匠であり、まるで姉のような、ときには母親のような、優しさと厳しさを兼ね備えた存在であり、私とアルレスカとの許されぬ関係に気づいていた唯一の人物でもあった。しかし、そのようなことをネッビオルド様に報告するような野暮なことはしていなかったようだ。


「アレクシス、皇国に帰りたいのですか?」


「・・・わかりません、今は目の前の仕事を必死に覚えております」


「王宮に入るということは、勤め人とは違い、その生涯を王族に捧げる覚悟が必要です。わたくしはネッビオルド様のお屋敷でお世話になった時点ですでに、生涯婚姻は許されないと覚悟を決めておりました」


「はい、私もそのように先輩方から教わってまいりました」


「ですから、貴方がアルレスカ様と結ばれることなど最初から無かったのです。皇国に帰ることも許されませんし、家族を持つことも許されない、そのような覚悟が必要なのです」


「・・・。ローゼリアは厳しいですね」


「そうですね、若い貴方には厳しい現実でしょう。けれども、わたくしは貴方とアルレスカ様、それにケネス様との幼少からのご関係もよく知っております。貴方の真面目すぎる性格もよく知っておりますし、喜怒哀楽をできるだけ隠そうとしていることも気づいております」


「・・・。」


「ですから、わたくしの前ではそのような窮屈な振る舞いをしなくてもいいのですよ、泣きたい時は泣くべきですし、笑いたいときは笑うべきです」


「・・・。」


「国王陛下の御前で真面目な顔でいるためにも、わたくしの前で笑い、わたくしの前で泣きなさい。アレクシスだって・・・誰かに甘えてもいいのよ」


 その言葉は空っぽになっていた私の心のすき間を埋めるには十分すぎた。後から考えると寂しかったのは私だけでなく、それはローゼリアも同じだったのではないかと思う。


 私は再び過ちを犯し、ローゼリアと男女の関係になるのに時間は必要なかった。若かったからなどという言い訳は許されないだろう、だがきっとこの先、私のことを理解してくれて、私のことを包み込んでくれるような女性は二度と現れないだろうと、その時は思っていた。


 その冬、アルレスカは女の子を産んだ。


 そのすぐ後、ローゼリアは王宮を去り、男の子を産んだ。


 バルバレスカと名付けられたその女の子は、仕事で忙しいネッビオルド様に変わり、アルレスカがほとんど一人で育てたそうだが、その心労からだろうか、アルレスカは若くして亡くなってしまった。


 ローゼリアの産んだ男の子はレオナルド=ゴメスと名付けられ、王都で過ごして行きやすいようにレオゴメスと呼ばれた。父親のいないローゼリアとレオゴメスは、しばらくはネッビオルド様の慈悲で狭い部屋に無償で住まわせてもらっていたようだが、それを不憫に思ったケネスが、独り立ちしたのを期にローゼリアを住み込みの家政婦として雇い、同時にまだ幼いレオゴメスの父親代わりを買って出てくれた。


 この頃からケネスは王都で過ごしやすいようケンモッカと名乗り、ネッビオルド様と力を合わせて王都中の商店を一つにまとめ上げ、かねてからの王族や皇国とのコネをフルに活用し、ヘンリー商会を王都最大の商会へと成長させることに成功した。


 そんな中、私は王城内で使用人としての名声を高めて行った。



 あれから十数年の時が経った。私はブランカイオ国王陛下より大変な名誉あるセバスチャンの称号を拝受し、その孫であるブルネリオ王子やラフィール王子の教育係を担当していた。


「セバスチャン、私はまだ婚姻など望んでおりません。」


「ですがブルネリオ王子、もう成人したのですから婦人の一人や二人を決めて頂かなければ、ヴァルガリオ様への顔向けができませぬ。ここは私の顔を立てるつもりで、前向きにお考え下さい」


 ブルネリオ王子は早くから王都直属行商隊への加入を申し出ており、王国各地を飛び回る仕事をする以上は、婚姻などしても家族に責任が持てないとおっしゃっていた。しかし、王族で行商隊ともなれば商家からの婚姻話が殺到しており、ちょうど良い年頃の娘のリストが文官より度々送られてきていた。


「そこまで言うのでしたらセバスチャンが選んで下さい。私は妻を幸せにする自信がありません。もし婚姻したとしても、王宮に入ってからはセバスチャンが面倒を見ることになるのですから。」


「・・・。かしこまりました」


 リストを見ると、その中にバルバレスカの名があった。正直な所、バルバレスカはネッビオルド様の子だったのか、はたまた私の子だったのか、未だにそのことで頭を悩ませる時がある。


「ブルネリオ王子、このリストの中にはネッビオルド様のご息女の名がございます。行商隊であれば商家の娘との婚姻は理想的でありましょうし、学園での成績も非常に優秀であったと記載されております。他に選択肢などないのではありませんか?」


「そうですか、ネッビオルド様にはヘンリー商会のケンモッカさんと同じように良くして頂いておりますし、その方とお会いしてみましょうか」


「では、そのように手配いたします」


 その数か月後、母の形見だと言い、たった一枚の陶器の皿だけを大切そうに嫁入り道具として持ち込んだバルバレスカがブルネリオ王子の第一夫人となった。


 私はその陶器の皿を見ると胸が締め付けられ、久々に忘れかけていた深い悲しみに暮れて涙が止まらなかった。アルレスカへの弔いのためにも、この我が侭なバルバレスカという娘の言うことであれば、どんなことでも聞いて差し上げるのが責任であろうと心に誓った。



 さらに時は経ち、実に優秀で全く手のかからなかったオルネライオ王子の教育係を退任した後、今はソライオ王子とティナネーラ王女の教育係を担当している。この二人は双子の姉弟で、ヴァルガリオ国王陛下も大変に可愛がっておられた。私は教育係の教育係として新人の中でも特に優秀であったロベルタという護衛侍女を育てつつ、平和な日常を過ごしていた。


「アデレードでちゅの!」


「アデレード様、ようこそおいで下さいました。しかしソライオとティナネーラは今お昼寝のお時間でございますよ」


「ではセバちゅ!あたくちにお菓ちを用意ちて下ちゃいまちゅの!」


 このアデレードという娘はブルネリオ王子が懇意にしているヘンリー商会のレオゴメスの一人娘で、少々我が侭に育っているようだ。私はローゼリアとレオゴメスに何もしてあげられなかった負い目を感じていたので、隠し孫であるアデレードを甘やかし、ついつい甘味を与えてしまう。


 アデレードに関しては、バルバレスカの時のような深い悲しみに暮れることはなかった。とても明るく元気な子供で、このまま可愛らしい女性に育って欲しいと心から願っていた。きっとこれが歳をとったということなのであろう。


 将来、商家の娘として商売の道具のように扱われるような婚姻を強要されるのかもしれないと考えもしたが、もしその相手がソライオであれば、アルレスカのような不幸な人生を防げるのではないかと、その時は漠然と考えていた。



 時代はヴァルガリオ国王陛下からブルネリオ国王陛下に移ったある日、オルネライオ王子が酷く興奮し、顔を紅潮させブルネリオ国王陛下の執務室へ飛び込んできた。私はその行為に対し軽く叱責するも、オルネライオ王子はそんなことにはまったく耳を貸さず、ブルネリオ国王陛下へ“ナプレの港町の英雄”について熱く語っていた。


 聞けば聞くほど不可解だった。いくら不仲で出来が悪いとはいえ、血の繋がった弟のサッシカイオ王子を徹底的に懲らしめた少女の話である。オルネライオ王子によれば、その少女は剣を振りながら同時に魔法も扱い、田舎の村で畑や牧場の改革を行い、見たこともない斬新な調味料や工業製品を発明し、その商談の際の金銭感覚が一流商人のようであり、商法や犯罪法に対しても理解が深く、自らを襲ってきた罪人を更生させる聖女のような一面があり、実に賢い鳥や獣を手懐け、なおかつ領主として民をまとめ士気を向上させる資質を持ち合わせているまだ年端も行かぬ子供などという馬鹿げた夢物語であった。


「そのような才覚ある少女が田舎のゼル村にいたとは驚きですね。オルネライオ、私は王城から動くことはできません。責任持ってその少女を王都へ連れ出して下さい。これは命令です。」


 私は我慢できず、二人の会話に口を挟む。


「失礼ですが国王陛下、剣士で魔道士で農家で畜産家で料理人で発明家で商人で裁判官で聖女で調教師で領主候補の子供など、劇場の物語にも出てこないような無理のあるお話でございます。ここは一つ、用心深く行動される方がよろしいのでは・・・」


「はっはっは、セバスチャンは相変わらず慎重ですね、オルネライオの目を見ればわかるではありませんか。サッシカイオが不祥事を起こしてしまった今、このような期を逃すようでは国営に差し支えます。」


「はっ、私は商人になることを夢見ていた若かりし頃、慎重すぎる性格は商機を逃すとネッビオルド様に窘められたことを思い起こしました。出過ぎたことを申し上げ、大変失礼しました。謝罪いたします・・・」


 この数か月後、私はソライオ王子とティナネーラ王女の教育係を差し置いてまで、田舎のゼル村から学園に通うためにやってきた謎の天才少女の執事に任命されることとなった。





あとがき

皇国から王国を目指した、とある若者のお話はここまでです。

今までになかった手法を試みてみたので、なんとか綺麗にオチを付けることができて一安心、この後は3の9あたりに繋がります。ナナセさんたちの登場しないお話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

ちびアデレード、たった二言だけの登場なのに、なんだかすごく可愛いですね。思わずお菓子をあげたくなっちゃったおじいちゃんを責めることは誰にもできないでちゅの。

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