4の9 ベルおばあちゃんの外出



 私は魔法の修行を切り上げて、ベルおばあちゃんと雑談を始めた。温度魔法のことばかり聞いてるのもなんだか悪い気がしたのだ。


「ベルおばあちゃんはずっと目を閉じてますけど、なんか特殊な方法で周りを見ているのですか?」


「わしゃ最初から目は見えんよ。じゃが魔子の流れと温度を観察しておれば、だいたいのものはわかるんじゃ。視界のように前方だけでなく前後上下左右どこでもわかるんじゃよ」


「すごいですね。どのくらいの距離まで見えるのですか?」


「どうじゃろう・・・ナナセの感じは覚えたからのぉ、この山のふもとあたりまで来れば気づけるかもしれん。ただナナセの場合は温度以前に、ずいぶんな量の魔子がまとわりついておるからの、そんな人族や獣はそうそうおらんから、そっちで先に気づくかもしれんのぉ」


 なんかすごいね。サーモグラフィーのような映像を感じ取っているのだろうか?しかも三百六十度感知で射程も長いなんて素晴らしい。私もそれができるようになれば狩りや戦闘がグッと楽になるかな?


「私にもできるでしょうか?」


「おぬし、変わった眼鏡をしておるじゃろ?そこにも魔子が流れ込んでおる。もしかしたらそれを利用すればできるかもしれんのぉ」


「さすがベルおばあちゃん!実はこれ創造神に作ってもらった特別な眼鏡なんですよ!こんど練習してみます!」


 身体測定と健康診断しかできない眼鏡かと思っていたが、温度魔法を応用すればソナー索敵みたいなことができるかもしれない。今度色々試してみよう。


「ところでベルおばあちゃん、いくら妖精族があまり食べなくていいと言っても、いつも同じ魚ばかり食べていたら飽きないですか?」


「どうじゃろうのぉ、他の物を食べたことがほとんど無いからのぉ」


 創造神はこんな秘境におばあちゃんを何千年も一人暮らしさせるのはちょっと酷いと思う。これは老人虐待である。ここはひとつ、私が何か美味しいものを作ってあげなければならない。


 私はリュックの中から熊肉を出し何かを作ってあげようと思った。しかし、この家には食材がほとんどない。持参している最低限の調味料だけで美味しい物が作れるだろうか?


「ベルおばあちゃん、私なにか美味しい物作ろうと思うんで、火を起こしてもらってもいいですか?」


「お安い御用じゃよ」


 木を拾ってきて火をおこしてもらうと、私はまず熊肉をカットし塩を振る。さっき食べた時けっこう獣の味が強かったので、何か香草が欲しいところだがそんなものはないので、コショウを強めに振る。むしろコショウでコーティングしてしまうくらいの勢いだ。


 塩コショウがなじんだら、鍋で表面を焼く。油が無いが、熊肉の脂がけっこうたくさんついていたので、牛脂のように鍋に塗り広げたらいい感じになった。火加減はよくわからないが、ある程度火が通ったところでひょうたんの紅茶をどぼどぼ投入する。ついでに狩りの最中に摘んだ果実をバスケットから取り出し、潰して投入して煮込んだ。


「できましたっ!熊肉の紅茶煮ですっ!」


「どれどれ、魚以外を食べるのも数百年ぶりじゃの。いただくとするかのぉ・・・おおおお!おおおおおお!なんと!獣の肉とはこのような美味じゃったのかっ!」


「よく豚・・・じゃなくて、イノシシでやる料理なんですよ、この家には塩もなさそうですし、ベルおばあちゃんにはちょっと味が濃かったかもしれませんが、大丈夫そうですか?」


「美味しい!なんと美味しいのじゃ!人族はこんなに美味しいものを毎日食べておるのか?味が濃いなどということはないのじゃよ!」


「うふふん、人族はもっともっと美味しいものを毎日食べてますよっ!ベルおばあちゃん、たまには王都まで遊びに降りてきても良いんじゃないですか?ここで独りぼっちでこの先も何千年って過ごすなんて、私、絶対にしてほしくないです。そんなの老人虐待です、創造神に会うことができたら断固抗議しますっ!」


「ほっほっほ、ナナセは優しい子じゃのぉ、もぐもぐ」


「私も遊びに来たいとは思いますけど、学園があるのでなかなか来れないと思うんです。ベルおばあちゃんが来てくれたら、たくさんご馳走を作りますよ!そうだ、重力魔法の紡ぎ手のピステロ様も、何百年も引きこもっていた屋敷から出てナプレ市の市長代行をやって活躍してるんですよ。私の料理を食べて喜んでましたし、創造神の言いつけを守ってないで、もっと自由に過ごしたらいいじゃないですか!」


「ナナセに言われると不思議とその方が良いような気がしてくるのぉ、どれ、ちょっと外界に出てみるかのぉ、わしを王都とやらまで連れて行ってくれるかい?」


「もちろんですっ!一緒にペリコに乗って行きましょう!」


「わしゃこれでも妖精じゃ、一人でも飛べるぞい!」


 こうしてベルおばあちゃんとランデブー飛行で王都へ戻ることになった。家についた頃には、あたりはすでに夕日で赤く照らされていた。


「ただいまぁー!」


「おいっ!遅せえよナナセ!心配したじゃねえかっ!」


「おかえりなさいませナナセ様、すぐに風呂へ・・・っと、そのご年配の女性はどちら様でしょうか?」


「遅くなってごめんなさい、アンドレさんとセバスさん。実は新しいお友達というか、師匠というか・・・妖精族のベル様ですっ!」


「ナナセ・・・また何かやらかしたんじゃねえだろうな・・・」


「ナナセ様のお知り合いでございましたか、大変失礼いたしました、私、執事のセバスチャンと申します、どうぞベル様こちらへ」


「にぎやかな家じゃな、遠慮なくおじゃまするのぉ」


 私はアンドレおじさんとセバスさんに、ベルおばあちゃんについてひたすら説明した。セバスさんは妖精族を見るのが初めてのようで、静かに興奮していたのがわかる。


「俺はエルフに会ったことがある。あれも妖精族なんだろ?なんかこう、もっと感じ悪かったぞ」


「エルフは他種族を嫌うと聞いておるのぉ。わしゃ外界に出るのは初めてじゃから、創造神に与えられた知識以上のことはわからんのじゃよ。与えられている使命もよくわからんのぉ」


「ねえベルおばあちゃん、明日学園から帰ってきたらさ、私なんか美味しいもの作ってあげるから楽しみに待っててねっ!」


 今日は早朝に起きて狩りをした上に、秘境のカルデラ湖までお出かけしたのでとても疲れた。お風呂に入ってベッドに横になると、あっという間に意識が遠くなってしまった。



 翌日、午後の実習が終わるとアンドレおじさんを置き去りにして一目散で食材屋に向かった。あの人がいると買い物がややこしくなるので、重力魔法で体を軽くし、すごい勢いで学園を走り去った。私はベルおばあちゃんに美味しいものをいっぱい食べさせてあげたいのだ。


「ラヌスさんこんにちわ!」


「おうナナセか、今日も卵は売り切れちまってるぞ」


「あらら、最近すっかり品薄ですねえ。アデレード商会のマヨネーズは大丈夫なんでしょうか?」


「その分は毎日使う最低限の数をアデレード様と契約してるからな、大量には作れねえと思うが、安定してマヨネーズが納品されてるぞ」


 アデレちゃんはきちんと契約したんだね、上手くやってるみたいで安心したよ。私は何を作ろうか悩みながらお店の中をウロウロすると、なんとそこには豆腐があった。


「これっ!豆腐じゃないんですかっ?私これ作ろうとしたけど豆乳をゼラチンで固めたものしか作れなくて・・・」


「とうふ?ナナセの言うとおり、豆乳を固めたもんだな。あんまり人気ねえけど、健康にはいいらしい。こんなもんが欲しいのか?」


「これここにあるだけ下さい!あと、作ってる人を紹介して下さいっ!」


「これは港に住んでる年寄りがたまに売りに来るんだ。毎日来るわけじゃねえから紹介するのは難しいな。直接訪ねてみたらどうだ?」


「王都の港でいいんですね?今度行って探してみます。ありがとうございます!ラヌスさん頼りになりますねっ!」


「へへっ、まいどありっ!」


 私は豆腐とアジっぽい魚とヒジキっぽい乾燥海藻を買い、急いで王宮の家に戻ると、セバスさんの許可をもらい王宮の厨房に行く。まずはアジを開いて塩を振り、軽く洗ってから直射日光が当たるように干す。夕食までに乾いてくれることを願う。次にヒジキを戻し、乾燥ニンジンを適当な細さにカットしてヒジキ煮物を作る。みりん多めで甘く煮詰めるのがコツだ。次に豆腐のためのネギとショウガを準備する。これはシンプルに醤油をかけるだけなので料理もなにもない。


「ナナセ様はとても料理の手際がよろしいですね、何十年も宮廷料理人をしている我々も勉強になります。」


「えへへ、子供の頃から料理をする機会が多くて・・・」


 私は実家のイタリア料理屋をたまに手伝っていたし、両親のかわりに、お兄ちゃんと私の朝食と夕食は、ほぼ毎日作っていた。何十年のベテランとまでは言わないが、手際がよくて当然だと思う。


「そうだ料理長、鶏の卵を四個だけ売ってもらえませんか?最近は商業地区の食材屋も、授業が終わる頃には売り切れてしまうんです」


「四個くらいでしたらかまいませんよ、それに、ここにある食材はお好きにお使いいただいてけっこうです。ナナセ様でしたら国王陛下も、とがめはしないでしょう。」


 卵四個もらって部屋に戻ると、アンドレおじさんも帰っていた。


「おいナナセ逃げやがっただろ。セバスに怒られたじゃねえか」


「だってアンドレさん、お店の人を必ず圧迫するんだもん。一緒に買い物しにくいじゃないですか、邪魔なんですよっ」


「なんだよなんだよ・・・最近はおとなしくしてるじゃねえか・・・」


 言い過ぎたかな。あとで美味しい料理を出して忘れてもらおう。


「あのねベルおばあちゃん、この鍋のお湯を七十五℃くらい・・・えっとね、水が凍る温度と、沸騰する温度の四分の三くらいの温度に調節してもらえませんか?」


「お安いご用じゃな。じゃが、料理とはそんなに繊細な温度調節が必要なのかえ?わしには難しくて、とうてい真似できんのぉ・・・」


「はいっ!料理は科学ですっ!」


「ベル様、そんな料理の仕方をするのはこの世界でナナセだけだぜ」


 私は眼鏡で卵の成分変化を凝視しながら、ベルおばあちゃんによって保温された七十五℃のお湯で完璧な温泉卵を完成させた。

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