第81話 曇天模様
今頃は出産後のともえの姿を見ている頃だろうか。
ともえがどのような表情で産んでるかとか、子供を抱きかかえているかなんて興味はない。
自分の子であれば泣いて喜んでよく頑張ったなと言ったのだろうけど。
命は大事ではあるけれど、やはり俺にとっては悪魔の子としか思えない。
いや、悪魔の方がまだマシだろう。
……こうして気にしているという事はまだどこかに残滓があるという事か。
例え憎いという感情であっても。
言葉の対義語と、意味合いでの対義は別物という事か。
言葉の上では愛の対義語は憎であるが。
意味合いでは無関心が一番堪える。
言葉と心の妙なのだろう。
言葉の意味では憎くても、心の問題ではその憎い感情がある限り無関心になれない。
ジレンマだ……
これはアンチという考え方と同じかもしれない。
関西のタテジマを愛する球団のファンは、にっくき東京の球団を必要以上に嫌う。
それこそ東京のホームで試合をして勝った時の試合なんて、試合終了後「歩いて帰れ〇〇ファン」とメガホン叩いて叫ぶ程だ。
それ程嫌っている球団のくせに、その球団の事を良く知っている。
曰く球団が嫌いなだけで選手そのものが嫌いなわけではない。
球団のフロントや上層部や考え方が嫌いなだけで選手やスカウトが嫌いなわけではない。
別の方面から見ると、それはないものねだりであったり、考え方の違いだったり。
強いものはみんなが好きだから自分は違うのが良いという考えだったり。
それがましてや万年最下位だと、自分の応援で強くなったと錯覚するのも楽しかったりもする。
理由は様々だけれど、関東と関西の球団のファンはそれぞれ敵視していながらも根底の部分では認めていたりもする。
切っても切れない関係というのだろう。
ともえの事もそうなってやいないだろうか。
憎いからこそ記憶の彼方から消し去る事が出来ない。
パソコンのソフトやゲームのデータみたいに上書き保存で消せないだろうか。
キャッシュのクリアで完全に消せないだろうか。
ゴミ箱内も完全に綺麗にして。
そのためにはどうすれば良い。
記憶喪失にでもなるか?
いや、それじゃ何か違う。
戦ったわけじゃないけど、負けた気がする。
式や宴で勝った気になっていただけなのだろうか。
試合に勝って勝負に負けたという言葉のような。
こびりついたともえの残滓がこれほどとは思ってもみなかった。
悪魔より悪魔らしい。
たとえ目の前でともえがスプラッターになって冥界に召されたとしても拭えないだろう。
復讐相手がいなくなるという事はそれ以上何も出来ないという事。
存在する以上こうして脳裏で消しきれないという事。
いずれにしても完全勝利はないのだろうか。
あいつが脳内に存在する限り俺の心は癒されない、きっとこの不能なのもそのせいだ。
ということは俺は一生このままなのか?
それは流石に冗談じゃない。
ある日突然「あなたの子よ。」なんて言ってくる女性は存在しない。
恥ずかしながらともえ以外の女性と性行為をした事がないのだからありえない。
両親のためにも、ご先祖様のためにも血を絶やしたくはない。
黄葉家には妹の深雪がいるけれど、将来旦那になるであろう男性が婿養子になるという可能性はゼロではないだろうけど……
親父の弟妹達もいるけれど、その子供達はみんな女の子だ。結局は旦那となる人を婿養子にしなければ黄葉の名は絶えてしまう。
やはり治すにはともえを記憶から完全消去するしかないのだろうか。
残滓がある状態でそれを打破出来る術が思いつかない。
ガチャっと扉の開く音に気付いた。
「ん?」
そこには田宮さんや悠子ちゃんを案内していたはずの小澤茜だった。
「色々複雑そうな顔してるね。」
小澤茜の言葉は同級生のそれだった。
「まぁな。」
返答をする俺の表情は式や宴の時のものとは違って映っていただろう。
先程の疑問を打ち明けた。
理由はわからないけど、小澤になら話せる、そんな気がしたからだった。
「そう。愛が深ければ憎も深いという事かもね。俗な言い方をすればその憎を打ち消してなお余る愛を得ることが出来ればかわるんじゃないかしらね。」
「私が大それて言える言葉でもないけど。ねぇ、そういえば黄葉はあの時プレイでそれ以上の事はしなっかったけれど……」
「風俗が嫌とか言う気はないよ。ただ、今もだけど不能だからな。ははっ。もし不能じゃなかったとしてもその先……俺は抱いたりはしてなかったよ。」
もっともお店は本番行為は禁止だからないのだけれど。
「魅力がどうとか、好みがどうとかそういう問題じゃなくてな。俺だけかはわからないけど、他の男と比べられるのが嫌なんだ。」
「悔しいけどな、多分性に関してあのクソ男は上手かったんじゃないかと思う。技術だけじゃなくてささやく言葉やムード作りとか含めた総合的にみて。」
「でもまぁ、小澤には違ったみたいだけどな。」
話を聞いているから小澤に関しては、本当にあのクソ男はただのダッ〇ワ〇フとしか思っていなかったと思っている。
「真実を聞いてから小澤に対する考えや思いなんてのも変わった。お前はかっこいいよ。今更何を言っても気休めにすらならないけど。自分を犠牲にしてまで親友を守って、自分が嫌われても思い続けて。」
「高校の頃はあの状態しか見てなかったから高橋の味方しかしなかったけど、今なら言える。あの時は言い過ぎたし悪かった。ごめんな。」
突然の謝罪に小澤は面食らっているようで、表情を変えるのを忘れてしまっているかのように見えた。
「どうしたの?突然……私はあの時は何を言われても思われても仕方がないと思ってる。未美様に話すまで5年近く、誰にも話さなかったのだから。知らなければ私はただのクソ女だもの。」
「たっくんへの想いがなくなったわけではないけど、私は私で前を向いて生きて行こうと思う。」
「今ならあなたになら抱かれても良いと思ってるよ。本気で。」
最後の方は小さくて聞き取れなかったけど、小澤は本気で今心にゆとりが出来ているのだろう。
難聴系主人公ならば「え?」っていう展開だけれど、聞き取り辛くても聞き取れなくても、小澤の言った事は理解している。
「黄葉……調教師の素質あるよ?」
あれ?そっち?
「M女っていうのはね。性行為云々もまぁ否定はしないけど、それぞれの性癖にあった事をされるのが悦びなの。」
「初めてなはずなのにあの鞭捌き、本当に上手かったよ。黄葉はあまり気にはしてなかったみたいだけど、本当に当ててはいけないところは無意識にだろうけど避けていたし。」
「まぁ、ともえくたばれって感じでやったからな。力加減間違ってないか後で心配にはなったけど。」
「そんな事なかったよ。黄葉は程よく叩いてくれていた。黄葉は見てなかったと思うけど私洪水状態だった。」
「これでも私は未美様に出会う前のお店でも、出会ってから働いていたあのお店でも本番行為はしてないの。もちろん後ろも含めて。」
道具は入れられてるけどと付け加えていたけれど、小澤は何の話をしているんだ。
「それと私、色々つけてたピアスを使っての電流責めが好きなの。あの時も用意してたんだけどね。」
何の情報だよ。何のカミングアウトだよ。
「黄葉には本当に素質があると思うんだけどな。彼氏兼ご主人様の。」
いやだから何の情報だよ。って彼氏兼ご主人様って……高橋の事はもう良いのか?
って猫屋敷ともう少しでゴールインらしいから間には入れないだろうけど。
「少しは元気になったみたいで良かったよ。」
なんだよ、冗談かとなどと思っていると小澤の顔は結構真面目に引き締まっていた。
「あんな卑猥な話ばかりされちゃな。」
「でも私、結構本気で言ったんだよ。」
やはり小澤の顔は真剣に見えた。
「たっくんと神音とは幼馴染の関係には戻れたけれど、男女の関係には戻れない。その隙もないしね。」
「別にそれはもう仕方ないし諦めてる。冗談含めて性〇隷でもオ〇ホでも良いからなんて言ってはみたけどあっさり避わされちゃったし。」
「気持ちが完全になくなったわけじゃないけど、私は私で前に進みたいとは思うようになった。」
「それは良い事……なんだよな、多分。」
「前に進みたいと思っても、その相手ってやっぱ限られてくるんだよ。私が夜の女だというのは学校連中には広まってるしね。かといって道歩いてる人ナンパなんてできないしね。」
「もし何か出会いがあっても、多分私の本性知ったら離れてくだろうしね。かといってお客とそういう関係になれるかと言えば別だし。」
「俺もろくにやってもないけど一応客なんじゃ?」
「実はね、さっき本番行為云々の話したから気付いてると思うけど、私の性行為の相手はまだクズ男喜納ただ一人なの。」
「もしこのまま独身貫いたりとか彼氏作らない作れないだと、私の人生は喜納で終わってしまうの。」
「正直それは嫌。本気になれば未美様がなんとかしてくれるのではなんて期待はあるけど、それは最終手段。」
「私がM女だと分かっても引かないのは今の所黄葉だけだよ。」
「それは光栄と受け取って良いのかわからない質疑だな。俺に他意はなかったわけだし。」
「頭の片隅にでも置いておいて。次の恋を探す予定があるならその候補に入れて欲しいと言えるだけの
「随分高評価だな。上書きして過去を消したいという思いは同じっぽいけど、今の俺に恋愛は無理だ。」
「そうかも知れないけど、多分黄葉の最初の疑問……安堂ともえの残滓払拭的な事だけど。身体の関係はともかく、心から寄り添える相手を見つけることだと思うよ。」
「打算も計算もなく、本当に自分を見てくれる人を見つける事だよ。それは案外近くにいるかも知れないよ。」
「私は打算もあるかも知れないけどね。黄葉には倖せになって欲しいと思ってる。それだけは嘘偽りもなく本気で思ってる。」
「そか。それはありがとう。試合に勝って勝負に負けた感があるからな。もやもやは少しだけど晴れた気がする。」
窓を開けるととそこは灰汁を掻き回したような夕立色の曇天だった。
自分の心の中をそのまま表したかのような空に、俺は「ふぅっ」と嘲笑を漏らしていた。
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