第3話 切なき別れ

 それからというもの、司は毎日のように桜の下へ通った。2人はいろんなことを話した。司の通う大学のこと。おいしい菓子のこと。遠い異国の地のこと。司が旅をした街のこと。どんな話をしても、桜はいつも楽しそうにしてくれた。それがうれしくて司はいろいろな話をした。そうしている内に季節は移ろい、桜が散り始めた頃……。その日桜はどこか上の空だった。司の話は聞いているようだったが、いつものように楽し気でかわいらしい笑みを浮かべてはくれなかった。それが気になって、司は尋ねた。


「その、どうかしましたか? なんだか元気がないようですが?」


「いえ、その……」


 桜は何かを迷うように言いよどみ、司の目を見ないまま告げた。


「司様」


「なんですか?」


「もうここへは来ないでください」


「え? どうして……」


「ここへ来ても、もう会えないでしょうから」


「なぜ」そう問いかけようとした司の目の前で驚くべきことが起こった。桜の身体が半透明になり、後ろの景色が見えたのだ。


「これは、どういう……」


「さようなら。司様。楽しい日々をありがとう」


 消えていく桜を捕まえようと司は腕を伸ばした。しかしその腕はただ虚空を掴んだ……。


◆◆◆


 桜が突然消えてしまった次の日。司は再び桜の大木の下を訪れた。しかしそこに彼女の姿はなく、美しかった桜もすっかり散ってしまっていた。司の胸がぎゅっと締め付けられた。


(もう桜には会えないのだろうか?)


 司は痛む自身の胸を左手で強く掴んだ。そして透き通る青空を見上げた。まるで何かを誓うように……。


◆◆◆


 それからも毎日、司は桜の大木の下を訪れた。もちろん桜と会うことはできなかった。それでも、それでも毎日通い続けた。


 雨の降りしきる梅雨の日も。

 太陽の照り付ける夏の日も。

 木々を揺らす嵐の日も。

 切なさを誘う秋の日も。

 雪積もる冬の日も。

 そして桜のつぼみが芽吹いた新春の日も。


 毎日、毎日通い詰めた。

 そんなある日、司の研究が認められる日が来た。研究の内容は「愛の比較研究――日本と西洋の違い」だった。司はそのことを報告するため、桜の大木の下を訪れた。もちろんそこに、桜の姿はなかった。それでも司は報告したかった。


「桜さん。ようやく僕の研究が認められました。全部、あなたのおかげです。あなたに出逢えたから、僕は本当の愛を知ることができました」


 司ははにかむように笑いながら、そう告げた、しかしその表情は徐々に崩れていった。


「桜さん……。あなたに、遭いたい」


 司の双眸から、涙が雫となって零れ、桜の大木の根元を濡らした。

そのとき、奇跡が起こった。桜の大木に息づいていた蕾が静かに開いたかと思うと、小さな光の粒子が司の周りを包み込んだ。


『司様』


 どこからか声が聞こえる。


『司様!』


 今度はよりはっきり聞こえた。


 思わぬ光に閉じていた瞼を開いた先には、司の会いたかった女性がいた。天女のように美しく、儚い女性が。


「司様。お久しぶりです」


「桜!」


 思わずそう叫んだ司は、桜に腕を伸ばした。その腕は虚空を掴むことはなく、彼女を自身の胸に抱くことができた。そこにはあたたかなぬくもりがあった。

桜は抵抗することもなく、司の背中に腕を回すとそっと瞳を閉じた。


「ありがとう。司様。あなたがわたくしをずっと覚えていてくれたから、こうしてまたお会いすることができました」


「桜、会いたかった」


「わたくしもです」


 静かに見つめあった二人の影は、ゆっくりと一つに重なった。

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