8.ひとつさらせば

 自分をさらす、ふたつさらせば全てが見える、みっつさらせば地獄が見える。見える見える堕ちる様。


 上記は哭きの竜と言う古い麻雀漫画に出てくるあるキャラクターの言葉ですが、結構創作にも言えるなぁ、となんとなく思った次第。

 三つ晒して地獄が見えるかどうかはともかく、多くの事が読者には分かってしまうかもしれませんね。

 性癖とか。


 このように小説ってのはある意味自分をさらけ出す物であると思うのです。自分自身と言えば言い過ぎかもしれませんが、それでも自分の一部を書いていると言えるんじゃないかと思うのですよ。

 

 なんでいきなりこんな話をしたのかと言えば、とある方の感想集を読んでいたのですが、そこでどうやら作者から反論が来たようなのです。まあ、言いたいことはあるんでしょうが、何と言うか、私には良く分からなかったのです。感想に反論すると言う気持ちが。


 一度発表してしまったものに対して、誰がどんな感想を持とうが勝手だと思うのです。何故ならば、自分の手でその作品を世に出したわけですから。それがWEB小説サイトであろうとも、その事実は変わらないと思うのです。WEBってのは全世界につながっている訳ですから。一たび世に出せば人は勝手にこれは良いだとか、悪いだとか言う物です。


 そこには作者に対する遠慮など必要ありません。ただ、各人の好悪や読んでいる文章の方向性が出ているだけでしょう。感想ってのはそれで良いのです。むしろ、そうじゃなきゃいけない。忌憚のない意見とはそういう物です。


 これが単なる罵詈雑言が書かれているのならば、いくらでも反論なさるが宜しいでしょうが、その場合私ならば無視しますね。しかし、そうでなかった場合、そこには読者と言う視点から見た作品の問題点が少なからずある筈です。言われたことを全て鑑みろと言う訳ではありません、それでは自身の手で小説を書いているとは言えない。ただ、指摘され思い至る箇所があれば、耳に痛い意見であれ、何故そんな意見が出たのかを熟考してみるべきではと思ったのですが……。


 もしかしたら自分自身を否定されたと感じてしまったのかなぁと思い至って、こうしてエッセイに書いてみました。


 自分が面白いと思って頑張って書いた作品を酷評されたら怒る気持ちもわかります。悔しい思いをしたのかも知れません。


 なればこそ、今に見ていろの精神を発揮して、その意見を糧に書き進めるべきです。私は自分の作品が、心を無にしないと読めない作品だと言われもしましたし、一話を読んで続きが気になるかと言う企画に参加した時は、気になる度は三点でした。でも、それは指摘された方々は私を否定したのではなく、作品の粗を感じたり、表現法に違和感を感じたため、そう評価されたのです。


 そりゃ悔しいですが、怒りは湧きませんでした。私の小説を書く腕がない事だけが分かっただけですから。腕がないなら書き続ければよい。書いて書いて自分の型を作り出すのが良いのです。


 創作は地獄への道行きかも知れませんが、ともかく書いて、自身の納得のいくものが出来上がるように足掻こうではありませんか! 


 まあ、私が最底辺なのは間違いないと思いますけれど。


 ただね、自分から感想を求めてそれが自分の思い描いた感想と違うからと怒るのは違うと思うんですよねぇ。

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