命知らずの従者とビビリ屋の魔女

田村ケンタッキー

第1話 夜更けに彼女は訪れる

 夜更けに俺の部屋のドアをノックする者がいた。


「オースティン、起きてる?」


 それはそれは麗しい女性の声。一度聞けば脳が溶けて脳漿と入り交じるほどに甘ったるい。


「起きてますよ。というか俺は働き者で寝ませんので」


 ドアをノックする者の正体を俺は知っている。そもそも俺の部屋のドアをノックする者などこの世界に一人しかいない。

 招き入れる前に彼女は入ってくる。


「オースティン、こんな時間にごめんね。あなたにしかお願いできないことがあるの……」


 彼女は声だけでなくその容姿もこれまた美しい。蜂蜜色の髪にシルクのように白い肌。そして血を煮込んだかのような辰砂色の瞳。

 彼女の名はメディア。俺が住む天空回遊城ラピュタの創設者、城主であり、召使いの俺の主人でもある。稀代の天才の魔女であり、生きた伝説と呼ばれている。二つ名は【不滅】。齢10にして当時魔女として最高峰の頂きに君臨していた無名の魔女ナナシに弟子入りし、20歳で師匠を超越した化け物。生きとし生けるものの中で神に最も近いとされている。

 そんな彼女が今、強い光か水を浴びれば透けてしまいそうなほど生地の薄い、桃色のネグリジェを着て俺の前に立っている。立っているだけでも彼女が持つ女性としての色香は常に振りまかれている。魔女としてだけでなく女性としても彼女は群を抜く。呼吸をするだけでも首の下の熟れた果実は揺れる。ウエストはそこそこに引き締まり、尻はまあまあ大きい。

 彼女は顔を赤らめ、呼吸を乱し、涙が今にもこぼれそうな瞳で俺を見上げている。

 普通の男なら正気を保っていられなくなるほどの色香を前にしても、そろそろ二十年来の付き合いになる俺は彼女の顔をまっすぐと見つめる。


「言われなくてもわかってますよ、それくらい」


 夜更けに若き女性が若き男性のもとに頼りに来る。

 今後の展開など言わなくてもわかるだろう。

 俺は断ることもできたが勇気を出した彼女に恥をかかせるわけにもいかないし、彼女の口から言わせるほど物好きでもない。

 だがしかし、そんなわかりきったことをわざわざ口に出す野暮を許してくれ。

 俺は言う。彼女の頼み事をずばり言い当てる。


「……トイレでしょ。いやあんたそろそろ30にもなるんだからいい加減トイレくらい一人で行ってくださいよ。わざわざ付き合うこっちの身にもなれってんですよ」


 言い当てられた彼女はリンゴのように顔を赤くし、滝のような大量の涙を流す。


「しょおおがないじゃなああいい怖いもんは怖いんだからあああ」


 そう言うと俺の服にしがみつき、豊満な胸を押し当てる。

 俺は鬱陶しく感じ引き剥がそうとするが、魔女の力は魔法で強化されていて振り払えなかった。

 こうもわんわんと従者に泣きつくみっともない女が本気を出せば世界を征服できる最強の魔女というのだからこの世界は狂っている。


「どうせ暇なんでしょおおお!? だったらちょっとくらい私に付き合ってよおおお」

「誰もついていかないとは言ってないだろ。でも正直お前を無視して読書を続けたいところだよ。最近下界で人気の小説『芋虫とドラゴンの恋』が今いいところなんだ」

「しょーーーーーーもな!? 大の男が恋物語!? それにどうせ最後は美しい蝶になるけどそれをお腹空かしたドラゴンが恋した芋虫だと気づかずに食べちゃうオチなんじゃないの、それ!!」

「よく知ってますね。実は本屋で店員にネタバレを食らってましてね」

「えっっ!? ネタバレ済みの小説に負けたの、私!!? 私の体よりもオチを知ってる小説が気になるの?! 本当にハラハラドキドキなのはこっちのほうなんですけど!」


 うるさい。とことん、うるさい。せっかくの美貌もこうも声を荒げてみっともなく喚き散らすと台無しだ。


「メディア様。あんまり騒いでは近所迷惑ですよ」

「あ、そうだね、オースティンの言う通り。善き魔女は他人の気遣いもできないと…………いやご近所さんいないし!!? この城に住んでるの私とオースティンだけだし!!!?」

「騒ぐなと言いたいんだよ、俺は。善き魔女なら俺にも気遣いしてくれ」


 こうも耳元で騒がれては鼓膜が破れそうだ。まあ実際には破れないんだが。


「続きが気になるのでとっとと行きますよ」

「ちょっと待って!!!」


 俺がドアノブに触れると彼女は大声で止め腕にしがみついてくる。


「どうしたんですか? 手遅れですか?」

「ねえ、やめて!!!? オースティンは私をなんだって思ってるの!? 30にもなって男の部屋で粗相する女だと思ってるわけ!!?」

「別に粗相しても気にしませんよ。掃除も俺がやっておきます。というかすでに涙だけで俺の部屋びしょびしょですし。今更変わりませんょ」

「ちょっと私を気にかけろって言ってるの、この乙女心がわからぬ従者め!」

「乙女心ねぇ……」


 それなりに本を読んできているつもりだが乙女の年齢制限に見当がつかない。本人がそう名乗ればそうなのかもしれない。


「乙女心は置いておいてまずはなんで俺を止めたんですか?」

「ちょっと言い方が癪だけどまあいい……ドアを開けるときは慎重にね? その、ネズミが出てくるかもしれないし」

「そうですか、はい」


 俺はドアを一気に開けた。


「いいいいやああああああ!?」


 彼女は大声で叫ぶがドアの向こうにあったのは暗闇だけ。


「メディア様は今は何に驚いたんですか?」

「オースティンの無遠慮にだよ!! 私の話聞いてた!?」

「とにかく先を急ぎましょう」

「私の話を聞け!!!」


 ドアの向こうは渡り廊下が広がっている。床には赤絨毯が敷かれ、天井には豪華絢爛なシャンデリアが吊るされ、天井まで届く縦長のガラスから月明かりが照らされる。


「それでメディア様。ここは何階ですか?」


 頓珍漢な質問だと思われるだろうがこの城内ではこれが正しい。城内は城主であるメディアの魔法が施され、彼女の魔法で満ちている。しかし先程も述べたとおり、彼女の力は強い。強力すぎる。故に空間が歪み、物理法則が乱れている。


「ここは地下一階だね」

「それでトイレはどこにあるんですか」

「十六夜の月が上っているから……今晩は最上階」

「うわ、遠っ。朝まで我慢できませんか?」

「できるはずないでしょ!」

「それじゃあワープの魔法でトイレまで行くとか」

「できなくはないけどそしたらただでさえ空間が歪んでるのにさらに歪みかねないし」

「トイレを我慢する魔法とかないんですか?」

「ないよ、そんなの!」

「ないなら作ればいいんじゃないですか? できるでしょ」

「できるけど! すぐにできるものじゃありません! それにそんな魔法研究にかまけるほど大魔女メディア様は暇じゃありません!」

「案外、魔法は役に立ちませんね」

「魔法一個も使えないオースティンに言われたくありませんー!」

「なんで魔法一個も使えない従者にトイレの付き添ってもらう女性はどこのどいつですかね」

「まずは西に向かうわよ。オースティン、GO!」

「俺の話聞いてます?」


 俺は渋々とメディアが指示する方向へと向かった。

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