第26話

 どうやら2人はうまくいったらしい。


 カランシアの嬉しさ全開の笑顔、リリーリアの嬉しさを隠そうと過剰に無を取り繕った結果と思われる無を無表情、寄り添い歩く2人の距離感を総合した結果、私はそう判断した。


 その後、リリーリアから口約束の段階ではあるがと婚約をしたとも聞かされたが、カランシアがなにか喋ろうとするたびにリリーリアがひと睨みで黙らせていたので、実際2人の間にどんなやりとりがあったのかはわからない。

 まあ、さっそくきっちりと姉さん女房の尻に敷かれていて、それをカランシアが喜んでいる様子なので、この2人はうまくかみ合っているということだろう。末永くしあわせになって欲しい。


 それにしても、断られても断られてもむしろますます燃え上がっていたときから思っていたけれど、カランシアって割とどマゾだよね……。

 リリーリアの絶対零度のアイスブルーの瞳で睨まれると私は泣きたくなるが、カランシアはむしろそれに魅せられている気がする。むしろご褒美、ってやつなのかな……?

 まあきっと、日頃のツンがきついからこそたまに見せるデレがたまらなくかわいいというものなのだろう。

 リリーリアはこれまでは頑なに家名のグラジオラス様呼びだったけど今はカランシアと呼び捨てているし、なんだかんだデレの片鱗が見える。

 人前ではツンツンなのも、かえってかわいく見えるに違いない。


 などと、にやにやと2人のことを観察できたのは、カランシアが私の名を呼ぶまでだった。


「リリーリアさんは、生家とは公的にも縁が切れているだろう? となると、結婚の許可を得るのは雇い主であるになるのだろうが……」


「いや待って」


「ん? ああ、ベイツリー公爵家かサントリナ辺境伯家で雇っているのだろうか?」

 私にいきなり遮られたカランシアは首を傾げているが、そういう問題ではない。


「いえ、リリーリアは私個人の侍女よ。お給料も私の個人資産から出しているわ。でも結婚なんてのは雇い主が許可するものでもないと思うし、カランシアだったら私は賛成する。ただ、うちの両親、特に母はリリーリアのことはかわいがっているから、一度挨拶に行った方が良いとは思うけど」


「もとよりそのつもりだ。というか、先ほどそれを言おうとしていた。まあ、俺にリリーリアさんの行き先を教えてくださったのは公爵夫人だし、その際に『がんばって捕まえてらっしゃい』と仰っていた。既にほとんどご了承いただいているようなものだとは思うが、やはり挨拶は必要だろう」


「ふうん、カランシアって案外根回しがうまいのね。お母様が味方なら、なんの問題もないわ。リリーリアの生家も無視して良いでしょう。いえあの、そうじゃなくて。……あなた、さっき、私のことをなんて呼んだのかしら?」

 脱線しかけた話を元に戻して私が問うと、カランシアはふしぎそうに首を傾げる。


「……? ……エマニュエル夫人、と」

「いやダメでしょ」

 私が真顔で即座に切り捨てると、カランシアはますます困惑をあらわにして、首を傾げる。

「その、既婚者に【嬢】は失礼かと思ったんだが……、サントリナ辺境伯夫人、と、呼べばいい、のか?」


「いや、そこまではかしこまらなくていいんだけれども。でも、エマニュエルに夫人はダメでしょ。【エマニュエル夫人】はほら、あの、……ダメでしょ」

「特にダメな理由がわからないんだが……」

「クソッ! 異世界こっちだと通じないのか……!!」

 思わず私が頭を抱えると、カランシアとリリーリアはおろおろとうろたえアイコンタクトを交わしてはしきりに首を傾げている。


 ああ、そっか。

 こっちの世界では【エマニュエル夫人】に特別な意味なんてないのか。

 現代地球人相手なら『わかるだろ。古いけど有名な物語だし。わからないなら人に見られないように気を付けてググれ』って言えるんだけどなぁ……。


「ごめんなさい、汚い言葉を使ってしまって。取り乱したわ。その……、こう、エマニュエル夫人というと縁起が悪い、というか、その、色々と重々しい感じがするというか……」

「……まるで急に年を取ったような扱われ方に感じた、ということでしょうか?」

 私がなんと言ったものかわからずごにょごにょと言い訳をひねりだそうとがんばっていたら、すかさずリリーリアがそう言ってくれた。


「そう、それ! それでいきましょう! あ。いえあの、もちろんルース様と結婚したことに不満なんてないのよ? 夫人や奥様と呼ばれることは嬉しいのだけれども、あまりこう重厚感ある感じに呼ばれると、そこまでの風格はまだない気がする、みたいな、感じ?」

「? 風格云々はよくわかりませんが……。でしたらエマニュエル様、カランシアはあなた様のことをなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

 リリーリアに尋ねられた私は、首を傾げる。


 ええと、なんだろうな。

 おそらく友人というほど近くはないがただの知人というほどは遠くもない、ほどほどの距離感。

 上下関係としてはほぼ対等、のつもり。同い年だし。以前は王太子殿下に仕える身という仲間意識もあった。

 よって私としては呼び捨てでもかまわないのだけれど、それは以前『家格、なによりリリーリアさんの雇い主である事実から考えて、呼び捨てなどできるわけもないししたくない』と断固拒否された。

 そして私は既婚者。

 となると……。


「……エマ夫人、とか? ほら、【夫人】からにじみ出る重厚感を愛称にすることで緩和、的な」

「その繊細なニュアンスの違いはいまいちよくわからないが……。とにかくそれが君の希望であれば、今後はエマ夫人と呼ばせていただく。それでだなエマ夫人、一度ベイツリー公爵家に挨拶に行くにあたって……」

 よくわからないと言いながらもカランシアはあっさりとうなずき、リリーリアとの結婚に向けての今後の動きを私に語っている。


 とりあえず【エマニュエル夫人】呼びを回避した私は、自分の名前の思わぬトラップと今後はこれをどう回避するのかに気をとられていて、カランシアとリリーリアの話していることはほとんど耳に入っていなかった。

 同じ理由で、カランシアが私を王都から追いかけてきた恋人と誤解されていたことなんてすっかり忘れていたし、そんな男に愛称呼びをさせるなんてことがいかに軽率な振る舞いなのかも誰をどれだけ傷つけてしまうのかも、ちっともわかっていなかったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る