急襲する因縁
「よし。こんなものだね」
蜘蛛女が巣食うビルから少し離れた場所。
朔の腕に包帯を巻き終えた四月一日は、己の仕事を見て満足そうに頷いた。
RTNの包帯は、
つまり、即効性がない回復アイテムである。
「術で回復した方が早いだろうに」
「過ぎたるは及ばざるが如しだよ、退魔士殿。精神力に資源、どちらも有限である以上、より適切な方で処置をすべきなのさ」
唇を尖らせる俺に、四月一日は回りくどい正論を返した。
四月一日が取得しているレアスタイル【
つまり、コモン術式はアンコモンに、アンコモン術式はレアになるというわけだ。
これのどこがチートかと言うと、RTNではスキルにしろ術式にしろ、一人のプレイヤーはランクレアの技術を最大三つまでしか取得できない。だが、この【
しかし、その代償として覚えている術式に
できるのだが。
「朔、痛みが引かなかったらちゃんと言うんだぞ」
「……」
「朔?」
「……ん。わかったわ」
やや遅れてから頷くと、朔は少し離れた壁に寄りかかってしまった。
かつて使っていたものより大きい刀を抱え、ぼんやりと宙を見ている。そんな朔をしばらく眺めた後、俺はぎこちない動きで四月一日の方を見た。
「ぶはっ。……おっと、失敬」
奴は俺の顔を見て思いきり噴き出した後、取り繕うように謝った。
「不安がらずとも、君を嫌ったわけではないさ。少しだけそっとしておやりなさいな」
「そうか……そうだな……うん……」
「……えっと、とりあえず武器見せてもらってもいい? 耐久確認するから」
「おう……」
素になった四月一日に促され、ホルスターに吊るしていた【試作・
四月一日はそれを遠慮がちに受け取ったかと思うと、数秒後には職人の顔になって検分を始めた。忙しない奴だと思いつつ、ホラー映画を見る心地で朔にもう一度視線を向ける。
表情筋が退化したような
それでも自分の顔だからなのか、中身がずっと好きだった女の子だからなのかは定かじゃないが、ジッと見ていればなんとなく何を思っているかわかる。気がする。
そして、今の朔を見てわかるのは彼女が不満そうだということだ。
進行中のミッションを思い出し、こめかみから嫌な汗が流れる。
こんな生理現象も再現するなんてすごいよな。なんて考えが、唐突に脳裏をよぎった。体が朔のものであることも忘れ、思わず自分の頬を叩く。現実逃避すんな俺。
「……はあ」
溜息を零し、頭をがしがしと掻く。
恋愛要素があるイベントならまだしも、恋愛メインのシミュレーションは未プレイだ。好感度を上げろと言われても贈り物を渡すくらいしか思いつかない。ちなみに実行したが、普通に嬉しそうなだけで手ごたえはおぼつかなかった。
朔の、【朔のルー・ガルー】の好感度の上げ方がちっともわからない。
そんな中、彼女を不服そうにさせてしまったことはかなりショックだった。
(でも、心配なんだよなあ……)
心配されるのを不満がられても、俺も困る。
どう折り合いをつけたものかと、腕を組んで悩んでいると。
「――――ヨシツネっ!!」
聞き覚えのない男の怒声が、辺りに響き渡った。
聞こえてきたのは、蜘蛛ビルの反対側。そっちに顔を向ければ、RTNでは珍しいシンプルな白ランを着た
どっちも見覚えはない。
だが、遠目でもしかめっ面になっているのがわかる男はまっすぐこっちに歩いてきていた。まあ思いきり名前を呼ばれたので、人違いというのはありえないんだが。
問題は、彼が詰め寄らんとするヨシツネの中身が俺じゃないということだ。
エンカウントポップが出てもややこしいことになる。彼が
「そんなに怖い顔してどうしたんだい、にーちゃんよ」
(どうしてよりにもよって三下みたいな台詞を……)
(うるせーぞ中二病)
四月一日の顔は見えないが、なんかそんなことを言いたげな顔をしてそうな雰囲気だった。なので心の中で反論しつつ、フードの陰から白ラン仲間の顔を窺う。
意図して不細工にしない限り、アバターは美形になる。それは目の前の白ラン仲間も同じはずなのだが、目つきがたいそう悪いせいか、完全にツラの良いヤクザだった。
そこまで背は高くないものの(比較対象:
「オレはそこの奴に話があるんだ。悪いがどいてもらえないか」
声は不機嫌そうだったが、俺に当たり散らすほど見境がないわけでもないらしい。人を殺せそうな眼光ながらも、想像以上に理性的な要求をされた。
とはいえ、俺もはいわかりましたと退いてやることはできない。
どうしたものかと思っていると、パンツが見えそうなほど短いスカートを穿いたギャルがひょっこり後ろから顔を覗かせた。
足の方もさることながら、胸の谷間も露わになっていて目のやり場に困る。
「そいつさあ、この前そいつに討伐の邪魔されて怒ってんだよ」
しかし、てかてかの唇から出た低い声にスンッとなった。
「TON骨、勝手に話し出すな」
「こういうのはちゃちゃっと言った方が早いって。なあ? ……ん?」
悪びれた様子も怯んだ様子もないギャルもといTON骨氏が、そう言いながら俺の方に顔を向ける。そして、不思議そうに首を傾げた。
「プレイヤーネーム見えないけど、UIバグ?」
「あ、ああ。そんなとこ」
平然を装いながら答える。
忘れてた。俺も俺で変なことになっているんだった。
イケブクロ駅に出た朔のルー・ガルー(仮)と結びつけられたら困ったが、幸いそんな突飛な思考には至らなかったらしい。大変だなあと気遣った後、TON骨氏は
「こいつ、入道ってんだけどさ。知らないとは言わせないぜ? 何せ、あんたがぞっこんの朔のルー・ガルーを倒そうって計画した奴なんだからな」
「TON骨っ」
「だからこっちの方が早いって。名前知ってても顔は知らないかもだしな」
声を荒げる白ランくんこと入道氏を、TON骨氏は軽くいなす。
ちなみに大正解だった。反射的に叫びそうになったのを堪えた自分を褒めたい。
(彼かぁ!!)
朔のルー・ガルーを倒すため、俺はアーサーに討伐チームを足止めしてもらうよう頼んだ。断定形だったのはいささか不思議ではあったが、アーサーと俺の繋がりから主犯を察する奴はいるだろうとは覚悟していた。
企画配信を装ってモンスタートレインを仕掛けるというアーサーの立案に軽く引きはしたものの、それにGOサインを出したのは他ならぬ俺だ。
後悔はしていないが、罪悪感はある。当事者が俺を詰りに来るなら、それに応じる心積もりはしていた。していたのだが。
(中身がなあ……!)
怪訝そうにしている朔をちらりと見た後、心の中で頭を抱える。
付き合いが長いアーサーや四月一日ならまだしも、はじめましての方に現状を説明しても受け入れてもらえる自信がない。というか、下手したら妙な言い逃れをするなと余計に怒りを買う可能性がある。
マジでどうしたものか。
フードの下で百面相をしながらぐるぐる考えていると。
「やあ、退魔士殿。僭越ながら、少々よろしいかな?」
ここにいることを忘れかけていた四月一日が、涼しい声で割って入ってきた。
四月一日店長は、俺なんか足元にも及ばないほどRTNでは有名人だ。二人のプレイヤーも存じ上げていたようで、不意に声をかけてきた有名人に目を見開いた。
そんな二人を見て笑みを深めた後、四月一日は朔に視線を向けた。
「どうやら、彼と浅からぬ因縁があるようだね。常ならば退魔士殿の事情に口を挟んだりはしないのだけれど、今の彼は世界との繋がりが混線しているのだよ。そんな状態の彼と話をしても、君たちが望む結果は得られないと思うのだけれど、どうかな?」
ナイス四月一日!
俺は心の中で良いパスを投げてくれた友人に感謝した。
そして、中二病語を解読できず怪訝そうな顔をしている入道氏たちに翻訳を行うべく、不自然にならないよう口を開く。
「そうそう。ヨシツネくんね、会話UIが不具合起こしててレスポンスが悪いんだよ」
「あー、そういう意味?」
「そうそう。今は
「……それは、まあ、そうだな」
朔がほぼ無反応に近いのが、説得力の一助を担ったのだろう。俺たちの言い分を百パー信じたわけではないにしても、詰問がしづらい状態という点は信用したらしい。
疑いの眼差しは向けられず、そういうことならという雰囲気が漂い始めていた。
それでも入道氏は完全に納得できないようで、鋭い眼光を朔に向けている。
にらみつける攻撃が、いつ朔に敵対行動を認識されるかわかったものじゃない。俺は入道氏に向かって両手を合わせると、深々と頭を下げた。
「今度話し合いの場はセッティングするし、ヨシツネには今回の件も合わせて土下座させて謝らせるからさっ。今は見逃してやってくんない?」
な? と言いながら顔を上げ、小首を傾げる。
あっ、やば。
仕草に合わせてフードの裾が軽くめくれたのに気づき、慌てて目深に被り直す。それから改めて入道氏の方を見ると、氏はなぜかそっぽを向いていた。
ワッツ?
「わ……っかったっ。必ず連れてきてもらうからなっ」
反対側の首を傾げていると、入道氏はそっぽを向いたままそう言った。
「あー、入道もしかして」
「TON骨っ」
何を察したのかニヤニヤしだしたTON骨氏を遮るように、入道氏は声を荒げる。
なんだかよくわからないが、ひとまずこの場はなんとかなりそうだ。もう一度言う、ナイスパスだった四月一日。
感謝の念を抱きつつ、こっそり四月一日にサムズアップをしようとした直前。
「――――」
鯉口を切る音とともに、朔が殺気立った。
「っ、な、ちょっ」
まとまりかけた話をご破算にするような挙動に、慌てて声をかける。
だが、俺が彼女に真意を問うより早く。
「来る……!」
――――ウォォォォォォォォォォン!
朔の声を掻き消すような、獣の咆哮が響いた。
「敵性反応接近、この色は……魔獣!」
真っ先に反応したのは四月一日だった。
スキル【サーモグラフィー】を発動させ、俺たちに状況を伝える。わかりやすい言葉で事態を飲みこんだ入道氏は双剣を、TON骨氏は
両手:素手の俺は、一瞬迷ってボクサーっぽい構えをとった。
「退魔士殿、これをっ」
そんな俺に、四月一日が二振りの鉈を放った直後。
月が欠けつつある夜空から、大きな白い塊が降ってきた。
『ガォォォォォォォォォォンッ!!』
耳に痛いほどの吠え声とともに、着地の衝撃で割れた瓦礫が飛び散る。試作・
それは、システムが告げるエネミーとのエンカウント。
RTNでは日常的に目にするウインドウをしかし、俺は瞠目しながら見る。
なぜならそこには、ありえない名前が書かれていたからだ。
『【
半透明のウインドウ越しに、白い狼が唸るのがわかった。
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