前のめりの狼、引け腰の人間

「おはようございます、弟くん」

「夜の八時だよダメ姉。おはよう」


 ペットボトルを片手に自室に入ろうとしたところで、隣室のドアが開く。

 そこからぼさぼさ頭で出てきた姉さんに、俺は丁寧に今の時刻を教えてやった。


「十二時間前なら規則正しい起床時間なのでセーフですよ」

「そんなガバガバなセーフ理論があってたまるか」


 トンデモ理論を振りかざす姉さんに呆れ顔をした後、掴んだだけのドアノブを回した。


「鍋にカレーがあるから、それ食べてな」

「おや、弟くんの得意料理じゃないですか。お肉はなんですか?」

「安売りの牛」

「牛さんは久しぶりですねえ。俄然楽しみになりました、ありがとうございます」


 そんなやりとりをしつつ、部屋に入ろうとする。

 だが、その前に「弟くん」と声をかけられた。


「決行の日からもう一週間になりますか。ゲームはその後、どんな感じですか?」

「んー……。まあ、悪いようにはなってないよ」

「そうですか。それならいいのですけどね」

「?」

「ふふふ。それではおやすみなさい、弟くん」

「……ん。おやすみ」


 意味深な物言いに首を傾げるも、意味深に笑われるだけだった。

 そして、そのまま姉さんは階段を下りて行ってしまう。気になりはしたがわざわざ引き留めるほどでもなかったので、俺もそのまま見送って部屋に入った。


(まあ、変に食いついてイベントの説明求められても困るしな)


 そんなことを思いつつ、ベッドに腰かける。

 手に持っていたスポドリを半分ほど飲み、軽くなったペットボトルをVRヘッドセットと交換する形でサイドテーブルに置く。そして、楽な体勢でごろりと寝転がった。


 ヘッドセットを装着し、開始ログインと頭の中で考える。

 視界が暗転。脳に送られた世界データを読みこみながら、意識が沈んでいく。

 それから数十秒後。甘い香りとともに、俺の目の前にはほの明るい空間が広がっていた。


 いつもログインしている拠点ターミナルとは、似ても似つかない光景。

 それもそのはず。なぜならここは『フェルリエラ』の中なのだから。

 もっともここは店舗スペースじゃなく、その奥にある休憩室セーブポイントだ。部屋の片隅にはシーツも枕も黒一色のベッドが置かれ、中央には応接間にありそうなガラスのテーブルと、その両端に置かれた黒い革張りの長椅子があつらえられている。


「よお、ヨシツネ」


 そんな革張り長椅子に、アーサーが座っていた。

 ティーカップを優雅に持ち、嗜好品フレーバーアイテムの紅茶を飲んでいる。見た目が不良みためなだけに、なんともシュールな光景だ。様になっているのが、余計に違和感を強くしてた。


 もう一つの長椅子には、朔が横になって寝息を立てている。

 それを起こさないよう、小さめの声音で返事をした。


「おっす。来てたんだな、アーサー」

「四月一日に呼ばれてな」


 そう言いながら、アーサーはティーカップをテーブルに置く。

 そして、俺を頭のてっぺんからつま先まで眺めてから。


「ほんと、見事にバストアップしたよな」

「その首落とすぞてめー」


 ガチトーンで脅した。この体に不埒な感想を寄せるな。

 でもびっくりするほど胸元が楽なんだよなー今!


 胸をぎゅうぎゅうに締めつけていたサラシを外し、フレーバーアイテムの下着を身に着けたことで、ずっと付きまとっていた息苦しさから解放された。

 今、あの息苦しさを再び味わいたいとは思わない。

 例えうっかり腕を組もうとしたら柔らかい感触が当たり、肩に原因を考えたくない重みを感じるようになっていたとしても、だ。

 まさかこんなご立派なものを隠していようとは……いやいやいや、考えるんじゃない俺!


 邪な感情を振り払うように、ぶんぶんと首を大きく横に振る。その動きに合わせて、目深に被ったフードの裾がぱたぱたと揺れた。

 そんな俺を見て、アーサーがなんともいえない表情を浮かべる。


「中身がヨシツネなのに可愛い仕草しないでほしい」

「ぶっとばすぞ」


 不埒者を睨みつけながら、アーサーの横に腰を下ろした。

 ガード力に定評のあるスパッツ先生のおかげで、足を組んでもいいのがありがたい。女の子みたいに足を閉じて座るの、とっさにできないんだよな……。


 ズボンを穿けたらそれが一番よかったが、メインの服を変更するのはダメですとシステムに言われてしまった。今はフード付きの上着にスパッツ、下着ごにょごにょと、オプションパーツで身を固めている状態だ。

 顔が隠れ気味というだけで、外を歩く時もだいぶ心が軽い。フード様様である。


「店長は?」

「作業場にこもってる。そろそろ終わるころだろうから、飲んで待ってれば?」

「余分なカップがテーブルにないんだが?」


 座ったばかりの長椅子から立ち上がり、キッチンにある収納棚アイテムボックスからティーカップを取り出す。それを片手に戻ったところで、長椅子を一つ占領していた長身が身をよじらせた。

 自分で設定しておいてなんだけど、ほんと背高いなヨシツネ


「ん……」

「おはよう、朔」

「リョウっ」


 体を起こした朔に声をかければ、朔は安心したように顔をほころばせる。


「くっそ……」

「いい加減慣れれば?」

「お前に、お前にわかるか……!? 好きな女の子のデレ行動を自分の顔で見なくちゃいけない俺の気持ちがわかるか……!?」

「正直めちゃくちゃ面白い」

「ちくしょう!!」


 呻きながら朔の隣に腰を下ろした。

 テーブルに置いてあるポットに手を伸ばし、紅茶を淹れる。それを朔に渡そうとすれば、寝起きに漫才を見せられて困った顔をしている朔と目が合った。


「ああ、いつもの発作だから気にしないでくれ」


 安心させるように、片手をひらひらと揺らす。ちゃりんと、その動きに合わせて、手首にはめた四葉のチェーン(買ってくれた人・アーサー)が涼やかな音を立てた。

 朔とお揃いなのが地味に嬉しい。


「……ん」


 銀色の鎖をしばらく見た後、納得したように首を縦に振られた。


「自分で発作って言うのウケるな」

「うるせえぶっ飛ばすぞ」


 プロレスを横目に、朔はちびちびとカップの中のものを飲み始める。

 ここに連れてきたころは飲食物を渡しても首を傾げるばかりだったが、一週間も経てば自然と慣れてくるらしい。まだまだぎこちないものの、人になじみつつある彼女を見ていると安心するものがあった。


「つーかまた寝てたのな」


 横顔を眺めつつ、ふと疑問を口にする。

 それに答えたのはアーサーだった。


「ヨシツネいなくなるといつの間にか寝てるんだってさ。四月一日が言ってた」

「そうなん?」


 朔に問いかければ、彼女はこくりと頷いた。


「リョウがなるべくその場を離れるなと言うから待機しているのだけど、徐々に眠くなるので身を任せている。攻撃の気配を感じたら迎撃できるよう努めてはいるけれど」

「はぁん?」

「ストーリー進行中のNPCにうろちょろされてもプレイヤー的に困るし、特にこいつはエンカウント表示出るからな。そこらへん運営が配慮してんじゃないのかね」

「あー、なるほどな」


 得心していると、なぜかその推測を話したアーサーが納得いかなさそうな顔をした。


「どしたよ」

「いやあ、苦言を呈さないんだなあと」

「?」

「こっちの話だ。気にすんな」


 首を傾げる俺に、アーサーは片手をひらひらさせながらカップに口づける。

 それについて問いただすより早く、扉の開く音が聞こえた。

 振り返れば、伸びをしながら作業場から出てくる四月一日の姿が目に留まる。隻眼はすぐに増えている客人に気づいたようで、嬉しそうに細められた。


「やあヨシツネちゃん、いらっしゃい」

「よお、四月一日。何作ってたんだ?」

「何って、君の新しい武器だよ。頼んだの君じゃないか」

「おっ、マジか」


 思わず立ち上がれば、そのリアクションを待っていたとばかりに四月一日はコンソールを開く。そしてインベントリから、鞘に収まった脇差二振りに太刀一振りと、合わせて三振りの刀を取り出した。


「三刀流でもしろってか?」

「デーバくんとキャラ被るじゃん。君のはこの二振りだよ」


 共通のフレンドを引き合いに出しつつ、脇差を掲げる。

 それを受け取ろうと手を伸ばしたが、奴は寸前ですっと手を上に上げた。何も掴めなかった俺の手がすかっと空振りをする。


「素寒貧の君にはまだあげないよ。今日のバイトが終わったてからのお楽しみ」

「ぐぅ……」


 がっくりとうなだれるが、素寒貧なのはその通りなのでぐうの音も出なかった。


 そもそも、この前持ちこんだ素材が余っていたとはいえ、素材集めを手伝うのを条件に武器を用意してもらえたことが既に出血大サービスなのだ。

 対【朔のルー・ガルー】戦の資金集めに予備の武器を売り払ってしまったので、こういう融通はマジで助かる。俺がログインできない間に朔の面倒を見てもらっているのもあり、そろそろ様付けで呼ぶか検討するほどだった。

 いや、本当に実行はしないが。四月一日の顔がゆでだこになりそうだし。


「じゃあ、その太刀は誰のなんだ?」


 やりとりを眺めていたアーサーが、当然の疑問を口にする。

 待っていましたとばかりに、四月一日はドヤ顔をした。


「これはねえ」


 言いながら、長椅子の方に足を向ける。

 そして、我関せずとばかりに紅茶をちびちび飲んでいた朔の前に立つ。そこでようやく顔を上げた朔を見て満面の笑みを浮かべながら、手に持っていた太刀を差し出した。


「朔くん用にあつらえた刀さ! 名前は【連理の枝ダイトウレン】だよ」

「珍しいな、和名っぽい感じの武器」

「いつも横文字なのに」

外野そこ、うるさいよ」


 無粋な感想を口にする男二人を眼帯に手にかけつつ睨みつけてから、改めて朔の方に向き直る。朔は四月一日の顔と差し出された刀を交互に見た後、怪訝そうに首を傾げた。


「なぜ?」

「理由は二つあって、まず一つは君が今持っている死が二人を離別つまでカルペ・ディエムは二振りで一つの武器として造ったからだね。そのまま振るわれるのはぼくの矜持に反する」


 朔の疑問に、四月一日は彼女の腰から吊られた黒い牛刀を見つつ答える。


「もう一つは、君とヨシツネちゃん――君にとってはリョウちゃんか。ともかく、君たち二人を見ていてインスピレーションが湧いてしまってね。衝動的に造ってしまったから、よければ受け取ってもらえないかな?」

「……」


 四月一日の言葉を受け、朔は窺うような様子で俺に視線を向けた。


 この一週間、寝ている時間の方が長いとは言え、一番朔の近くにいたのは四月一日だ。さすがに無関心のままとはならないようで、彼女は四月一日に何かを施されると戸惑うように俺を見るようになった。

 肩を軽くすくめつつ、笑って後押しをする。


「ありがたく受け取っとけよ。切れ味は保証するからさ」

「……ん」


 俺の言葉に頷いてみせた後、朔は差し出された太刀を受け取った。

 心なしか嬉しそうな雰囲気を漂わせている。四月一日にもそれがわかるのか、渾身のドヤ顔を浮かべていた。

 なんというか、微笑ましい光景である。


 ……妬いてない、妬いてないぞ。

 危機感も覚えてないぞ。


「好感度、四月一日に負けてたりして」

「そ、そんなことねーし!」


 アーサーのからかいに、三重の意味で動揺しつつ反論を返した。


「さてと」


 そんなやりとりをしていると、表情を切り替えた四月一日がこっちを見た。


「ヨシツネちゃんもログインしたし、そろそろ今日のバイトをお願いしようかな」

「へいへーい」

「今日はぼくも行くから、アーサーちゃん店番お願いね」

「ほいほい」


 四月一日に呼ばれた件はどうやら店番このことらしい。アーサーは長椅子に腰かけたまま、いってらっしゃいとばかりに手を振った。


 えっ、じゃあ朔とアーサー二人きり?

 その疑問が顔に出ていたのか、今度は違う違うと手が振られた。


「さっちゃんも同行させるんだとさ」

「だから武器あげたんだよ」

「は!?」

「ちなみに朔くんには了承をもらってる。というか朔くんがぼくにお願いしたの」

「はあ!?」


 素っ頓狂な声が上がった。


 なんでお願いなんかされてるんだよ。あとさっちゃんって親しげに呼ぶな。

 どういうことだと朔に顔を向ければ、朔は太刀を持って立ち上がる。俺に見下ろされるのではなく見下ろすようになった彼女は、いつになく真摯な顔で口を開いた。


「満月の夜は近いわ。それまでに、私はこの体で戦うことに慣れなくてはいけない」

「それは……」


 言葉を濁しながら、目を逸らす。


【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】に関わるミッションは三つ。

 その中で最終ミッションとして課されているのは、【幻日のアルターマーナガルム】と呼ばれるエネミーのノーデス撃破だ。


 魔獣カテゴリーエネミー【幻日のアルターマーナガルム】。

 こいつは、アラカワエリアにある【アラカワ遊園】という場所に出現するレイドエネミーである。

 新月、そしてかなりレアだが、どこかで日食や月食が起こった夜にしか出現しない。

 推奨レベルは99。ストラテジーエネミーに次ぐ高難易度エネミーで、出現日に倒されることの方が珍しい強者としてRTNの高みに君臨している。


 俺もアーサーたちと一度挑んだことはあるが、辛勝だった。

 そんな相手に八日後、最低三人のパーティー+αでノーデス撃破に挑む。

 結構な蛮行だが、そうはいってもアーサーのスタイルは当時取得していなかった魔弾の射手デア・フライシュッツになっているし、俺も魔獣特攻の獣殺しヴィーザルを取得している。この三人なら勝算があると思ったからこそ、俺はアーサーたちを今回の一件に巻きこんだのだ。


 だから、できれば俺たち三人でなんとかしたいのだが。


「……やっぱ戦いたい?」

「私が由縁となっている戦いに、私が臨まないのは理に反する。何より、意味がない」

「だよなあ……」


 困ったように頬を掻く。


 彼女の言うことは正しい。

【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】が【朔のルー・ガルー】の物語である以上、朔不在で挑んだらフラグが立たない可能性は大いにある。倒しましたはい終わりですドロップアイテムをどうぞ、なんてことになったらそれこそ本当に意味がない。


 わかっていても難色を示さずにいられない理由はただ一つ。

 リバーストーキョーの世界では、NPCは死んでも復活リスポーンしない。

 だからこそ、【流し雛の形代スケープゴート】なんてアイテムが存在しているのだ。

 現在の朔がどういう立ち位置なのかはわからない。それでも死んだらそこでおしまいの可能性が否定できない以上、死ぬ危険性がある戦場に連れて行きたくはなかった。


「――――」


 胸から飛び散る黒い血。

 腕の中で冷えていく体。

 ゲームとは思えないほど真に迫った死の情景を思い出し、手を握りしめる。


「事前の準備運動なしで挑む方が死亡率上がるぞ」

「うっ」


 苦い顔をする俺に、アーサーが容赦なく現実を突きつけてきた。

 そこへ畳みかけるように四月一日も口を開く。


「マーナガルムに挑む時は朔くんいないとダメなのは、ヨシツネちゃんもわかってるでしょ。諦めなって」

「わかってるけどよお」

「安心しなさいな。朔くんにはちゃんと【流し雛の形代スケープゴート】を渡しているからさ」

「四月一日様!」

「様付けはやめて」


 ゆでだこにはならなかったが案の定拒否られた。

 閑話休題さておき


「……あんま無茶はしないでくれよ」


 一対三では勝ち目もない。向こうの方が正論を言っているならなおのこと。

 白旗を上げるようにそう言えば、朔はこくりと頷いた。


「善処する」


 大丈夫かなあ……。

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