恋ゆえに貪る⑤

 オペラグラスの向こうでは、一進一退のせめぎ合いが続いていた。


 目に追えぬ速度で振るわれる、黒い双刃と銀の刀。それが紙一重でかわしては反撃の刃を振るい、またかわされるが繰り返される。黒と赤の血霧ダメージエフェクトが二人の周囲を漂っていることもあり、俯瞰の視点では動きを追うのがやっとだった。

 戦いの主体は回避。打ち合いも鍔迫り合いも頻度は低く、剣戟の音は少ない。しかし、時折響くそれは離れたビルの屋上にも届くほど鋭かった。


「ヨシツネちゃんはっやいなー。ルー・ガルーとほぼ互角のAGIとか、【同族嫌悪ビースト・ハート】壊れすぎでしょ。……いや、ヨシツネちゃんのは【恋ゆえに貪るビースト・ハート】だったっけ」


 二人の獣が殺し合う様を見ながら、四月一日はオペラグラスを片手にひとりごちる。

 誰も来ないような場所にいるため、口調は完全に素だ。女主人ではなく一人のプレイヤーとして、想像以上の健闘を前に感嘆の表情を浮かべていた。


 先ほど呆気なく殺されたシュピーネプレイヤーと比べると、今眼下で戦っているヨシツネプレイヤーの動きはまさに雲泥の差といってもいい。その事実は、彼が今発動させているスキルの恩恵がどれだけ大きいかを示唆していた。

 だが、仮に自分が同じ【恋ゆえに貪るスキル】を持っていたとして、あそこまで善戦できるかと言われれば、やりこみプレイヤー・四月一日は迷わずNOと答える。


 なぜなら、彼女は知っている。

 あの動きの根底を支えるのが、【死に覚え】や【Know-how】といった経験値がものをいうスキルであることを。

 約一年という年月のほとんどを相対する少女のために費やしたからこそ、眼下のヨシツネプレイヤーはあそこまで戦えているということを。


「愛だなあ……」


 思わずそう呟く彼女が見つめる先で、友人ヨシツネがいったん少女ルー・ガルーから距離をとった。

 コンソールを呼び出し、虚空インベントリから小瓶を取り出すとその中身を一気に呷る。そして、小瓶を投げ捨てながら再び少女へと斬りかかった。

 オペラグラスに、飛び散る黒い霧ダメージエフェクトで汚れたヨシツネの顔が映る。

 直後、反撃のために少女が刃を振るい、剣戟の音が高らかに響いた。


 鍔迫り合いを数秒続けた後、四月一日の傑作カルペ・ディエムの耐久が削れるのを危惧したヨシツネが後ろに下がる。そんな彼の逃げ腰に合わせて、ルー・ガルーが刀を上段に振るった。

 その動きとともに太刀風が放たれ、ヨシツネの首を狙う。ヨシツネは体を低くすることでそれをかわそうとしたが、見計らったように今度は下段の向きで刀が振るわれた。


 首狙いの【立待月タチマチ】と、機動力狙いの【居待月イマチ】の組み合わせコンボ

 上の斬撃そくしをかわせば下が避けられず、下の斬撃そくしをかわそうとするなら上に当たる。

 即死判定が外れる可能性に賭けてあえて片方を受ける一手もあったが、ヨシツネはそんな博打を選択しなかったらしい。


 二種の太刀風によって、ヨシツネの体が三分割される。

 直後、、彼女の背中を双刃で切り裂いた。


 黒い霧ダメージエフェクトが、今までで一番多く迸る。ルー・ガルーのHPが大きく損壊したことを意味する演出こうけいは、たたみかければそのまま倒せそうな雰囲気を醸し出していた。けれどヨシツネはそれを選択せず、好機を手放すように飛びずさる。

 結果的に、その判断がヨシツネを救った。


「うっそ、マジ!?」


 オペラグラス越しの光景に、四月一日の口からは驚愕の声が上がる。


 ヨシツネが使った【不知火の影ウツツノユメ】は、召喚したデコイにヘイトとダメージを押しつけ、対象に硬直を付与するレアスキル。本来なら、ルー・ガルーは数十秒動けないはずだった。

 しかし彼女は、その効果を無視した。

 ヨシツネが飛び退いた直後、彼が数秒前まで立っていた場所を刀が薙ぐ。あのまま追撃をしていれば、鈍色の刃によってヨシツネの体は切り裂かれていただろう。


 動作モーションを鑑みるに、おそらく必殺技スキルではない。

 だが、ヨシツネは既に何度も必殺技スキルの直撃を受けている。即死判定自体はLUCによって無効化されているものの、彼のHPは現在1のはずだ。刀の直撃を食らえば、スキル効果によるダメージ無効化も貫通して死んでいただろう。


「今の危なかったなあ……。【不知火の影ウツツノユメ】の硬直きかないんだ、ルーちゃん……」


 我が事のように冷や汗をかく四月一日の視線の先には、先ほどと同じ小瓶を取り出し、中身を呷っているヨシツネの姿がある。彼のこめかみにも冷や汗が伝っていた。


(一回も使ったことないってわけはないだろうし、やっぱりどんどんパターンが変わってる感じっぽいなあ。ヨシツネちゃんが【恋ゆえに貪るビースト・ハート】使い始めてから様子見デレ行動もないし)


 廃人やりこみプレイヤーらしく考察をしながら、小瓶を放り投げるヨシツネを見つめた。

恋ゆえに貪るビースト・ハート】の仕様は知っている。ゆえに、彼が何を飲んでいるかは容易く予想できた。


(スキルを使い始めてからおよそ十分、飲んだ変若水おちみずはこれで五本目か。……まったく、この一戦にどれだけお金をつぎこんだんだか)


 SANを全回復させる【変若水おちみず】は、価格にして五十万。回復系アイテムの中では二番目に高価なアイテムだ。ストックも考えると、相当の金額が費やされたことは想像に難くない。

 四月一日が把握しているだけでも、ヨシツネというプレイヤーが今まで培ってきた財産の半分はこの時点で消費されている。そこに彼女が関与していない投資も含めれば、今の彼は一文無しになっていても不思議ではなかった。


 たった一戦に、たった一人いったい少女エネミーに、今までの全てを費やす。


 それを馬鹿にする者はいるだろう。その行為を呆れる者は、もっと多いはずだ。

 たかがゲームに、ただのデータに、何をそこまで躍起になっているのか。

 こんな言葉を向けるのは、何もゲームをしない人間に限った話ではない。むしろ、ゲームをするからこそ、過度に入れこむプレイヤーに怪訝な目を向け、呆れた顔をする。そんな意識の壁に、ロールプレイヤーである四月一日は何度もぶつかってきた。

 一度は、その温度差に耐え切れず、ゲームをやめようかとも思ったこともあった。


『ゲームをどう楽しむかなんて、個人プレイヤーの自由だろ』


 そんな四月一日を引き留めたのが、かつてヨシツネから言われた言葉だ。

 当時は別のゲームをプレイしており、今のようにNPCに惚れこむプレイングをしていなかった彼は、なんてことはないと言わんばかりにゲーマーの常識あたりまえを口にした。それが、その時の四月一日が一番欲しがっていた言葉とは知らずに。

 店に来た時はロールプレイに徹していたおくびにもださなかったものの、共通の友人フレンドである猗々冴々から朔のルー・ガルーの話を聞かされた時は気を揉んだものだ。


「……LOVEだなあ」


 だからこそ、彼には本懐を遂げてほしい。その結果としてヨシツネがこのゲームを引退したとしても、彼の本気が成就することを友達として切に願わずにはいられなかった。

 屋上のフェンスを掴む手に、我知らず力がこもる。


「とはいえ、これならは必要な……ん?」


 小さくひとりごちかけた時。

 眼下に広がる戦況に、変化が訪れた。

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