恋ゆえに貪る②

 キタクエリアにある都電の駅・サカエチョウ。拠点ターミナルのオウジ駅から離れた場所に位置するその駅は、十分も歩けば繁華街につくとは思えないほど薄暗く、静まり返っていた。

 そんな駅のホームに、十数人の集団がたむろしている。

 彼らの見た目は、各々好きな改造や装飾を施した学生服に袖を通す学生である。共通するのは、一様に夜魔の眷属エネミーと戦えるだけの力を有した退魔士プレイヤーということだ。


「倒せるかなあ、ルー・ガルー」


 ざわめきの中、長柄斧ハルバードを持ち、側頭部から猫の耳を生やした青年の声が一際大きく響いた。

 高揚と不安が入り混じった呟きは、この場に集った者の多くが抱くものだった。それに同調するように、話題の矛先がそちらへと傾く。


「スイッチの練習はしたけど、やっぱ不安になるよな」

「わかる。支援ありでもルー・ガルー相手にすんのめちゃくちゃしんどい……」

「素のSTRとAGIが高すぎるんだよな。能力値Sランクでも打ち合い負けるし」

「五分交代の七人ローテだけど、五分も持つかなあ」


 口々に不安混じりの軽口を口にする彼らは、ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】を倒すために声をかけられたアタッカーだ。レベルはカンストしており、各々がレイドエネミーやシンボルエネミーのドロップ素材で造られた武器を装備している。

 そんな彼らでも、これから挑む相手には、勝利より敗北のビジョンが強い。

 それもそのはず。彼らアタッカーたちはストラテジーエネミーに自主的に挑み、そして「これは超高難易度無理ゲーだ」と一度は膝を屈しているのだから。

 ストラテジーエネミーの初撃破を飾りたいという思いと、提示された攻略方法に勝算を見出したためにこの場にいるが、敗けるかもという気持ちは払拭しきれなかった。


「戦う前から弱気な発言はよせ」


 そんな面々を諌めるように口を開いたのは、白い学ランを着た青年だった。

 双剣を鞘ごと背にくくりつけた狼耳の青年は、臀部から生えた尾を揺らしながら、じろりと目つきの悪い顔でアタッカーたちを一瞥する。

 それを見て、彼らは申し訳なさそうに肩をすくませた。なぜなら、彼こそが今回の討伐の発起人であり、計画の発案者だからだ。もっとも、迫力ある凶相も一因を担ってはいたが。


「わ、悪かったよ、入道にゅうどうさん」

「……まあ、みんなの気持ちもわからなくはないけどな」


 入道と呼ばれた青年の言葉に、最初に口火を切った槍持ちの青年が謝罪する。それを受け、入道は小さく鼻を鳴らしてからさらに口を動かした。


「そうは言っても、朔のルー・ガルーはストラテジーの中じゃまだ倒しやすい方だ。精鋭がこれだけ集まったのに、歯が立たないなんてことはない。そうだろ?」

「まあ、そう言われると……」

「めちゃくちゃ強いけど、強いってだけだしな、ルーちゃん。蜘蛛とか雨女とかと違って」

「アリアドネとかいうギミック戦闘の話はよせ」

「インしてるプレイヤー全員巻きこんだ鬼ごっこは伝説でしたねえ……」


 会話の流れが、別のストラテジーエネミーの話に寄っていく。

 これはこれでどうかとも思ったが、先ほどまでに比べればと、入道も注意を諦める。緊張のしすぎでぎこちないよりは、緊張感に欠いていても自然体の方がいいからだ。


(とはいえ、顔合わせも十分な頃合いか。そろそろ出るように指示するか)


 そんな算段を立てつつ、入道は使っている腕輪型の装備品を触った。


 かつて入道は、ライヘンバッハというハンドルネームでRTNをプレイしていた。アバターはリアルに添った今のものとは似ても似つかない、優男風の男だ。

 当時の彼がはまっていたのは、エネミーのスクリーンショットを撮ることだった。

 それも遠距離からの撮影ではない。今にも襲われそうなほど、今まさに襲われかけているほど近くで撮ることだ。戦闘中は普通に戦うだけでは味わえない緊迫感があり、ライヘンバッハはその遊びに夢中になった。


 似たようなことを考えるプレイヤーはいるもので、画像せんかの公開をしているうちに同好の志が集まった。そして気づけば、彼はギルマスという神輿に担ぎ上げられていた。


 彼にとっての不幸は、統率する気がなかったギルドのメンバーに、女性型エネミーにターゲットを――中にはNPCに手を出す者もいた――絞り、性的なスクショを撮ることを目的にするプレイヤーが増えていたこと。

 彼の誤算は、朔のルー・ガルーをターゲットに選んだこと。


 ストラテジーのスクショを撮ろうという話になった際、彼女を標的に挙げたのはライヘンバッハ自身だ。遭遇しやすいのもあったが、単純に見た目が好みだった。より好みに添うなら表情豊かな方が良いのだが、エネミー相手にそれは贅沢というもの。

 撮影担当になったのは、ギルドで一番強かったライヘンバッハだった。

 性的な画像を撮るつもりはなかった。しかし、相手の見た目アバターが好みだったこと、所詮は会話もできない敵性Mobだったことがあわさり、切っ先が彼女の衣服を切り裂いた時は思わずその光景を撮影してしまっていた。


 朔のルー・ガルーに入れこんでいるプレイヤーがいることは、もちろん耳にはしていた。

 だが、それだけだ。それどころか、彼女の画像をむしろ喜ぶのではないか、そんなことすら考えながら、自分の撮影した画像が掲示板に公開されるのを見ていた。


 それが誤算だったと知るのは、PKすれすれの奇襲で削除を要求された時だ。

 あの時のことは今でも忘れられない。ゾンビもののクリーチャーを思わせる挙動で襲われ、ゲームの中だというのに命の危険を感じた。

 人目に隠されなかった奇襲によって、かのプレイヤーの名とギルドの悪名は広まった。惰性で残っていた古参も愛想を尽かして脱退し、元凶でもある新参もそそくさとギルドを離れ、ギルドは自然崩壊した。


 ライヘンバッハは迷った末、アカウントを新しいものにした。

 黒歴史と地続きのアカウントでプレイする胆力はなく、かといって完全に引退しようと思うにはRTNでやりたいことがあったからだ。同じギルドにいた友人もそれに付き合い、今のプレイヤー・入道に至る。


 アカウントを消す前に別の知人に装備を預けていたので、失った物品自体はそう多くない。それでも、かのプレイヤー――ヨシツネに意趣返しをしたい気持ちは強く残った。

 それこそが、RTNでやりたいことの一つ。

 そして今回の討伐における、入道のモチベ―ジョンである。

 しかし今、彼は不満を抱いていた。


(情報が漏れたのは予想外だったけど……こっちの邪魔をする様子もないとはな)


 最近フレンドになったばかりのプレイヤーを思い出し、苦虫を噛み潰したような顔になりつつも、内心で何度抱いたかわからない思考をよぎらせる。


 人の口に戸は立てられない。

 ゆえに、今回の討伐はおおっぴらにこそしていなかったものの、別段秘密にしていたわけはない。入道の心情はともかく、やることは高難易度エネミーに挑むという、ゲームとしては何ら攻められる余地がないものだからだ。


 しかし、一番知られたくないプレイヤーに直接伝わるのはさすがに予想外だった。

 きんつばフレンドから「ヨシツネさんに朔のルー・ガルーの情報聞いてきました!」というGMゲーム内メールが届いた時は、周囲に他のプレイヤーがいたにも関わらず「はあ!?」と叫んでしまった。

 予想外すぎて、呆れこそすれ怒るという感情が湧かなかったほどである。得た情報というのが、攻略サイトにも載っているようなものに加え、「とにかく即死判定を引かないよう乱数に祈れ」という極論だったのも脱力に拍車をかけていた。


 ばれたものは仕方ない、という思いもあった。

 ゆえに邪魔なり交渉なりしてくるだろうと、入道とライヘンバッハ時代のフレンドは備えていた。しかし、本番当日に至ってなお、ヨシツネが接触してくる気配はない。集めた情報から得られたのは、各エリアで大量討伐スローターをし、お仕置きエネミーである【復讐者アヴェンジャ―】に絡まれていたということくらいだ。

 お節介の行動から生まれた好奇の目をかいくぐる方が、よっぽど苦心させられた。


 正直、拍子抜けの感は否めない。ヨシツネの本気を知っている分、なおのこと。

 それでも無理を言って集合時間を早め、先んじて挑める準備は整えた。

 空振りに終わりそうなことが、入道の胸中に苛立ちめいた感情を宿らせている。


「……ちっ」


 小さく舌打ちを零しながら、即死対策に装備した四葉のチェーンを睨む。


「それじゃあ予定通り、最初は二グループに分かれて朔のルー・ガルーを探す感じで。どっちかがエンカウントし次第、即時連絡を――――」


 そして気を取り直すように、チームの面々に声をかけようとして。


「……?」


 そこでようやく、周囲が静かになっていることに気づいた。

 軽口を叩いていたアタッカーたちは武器に手をかけ、支援職たちも固唾を飲んでいる。共通しているのは、全員が同じ方向を向いているということだった。

 首を傾げながら、入道もまた彼らと同じ方に首を向ける。

 直後。


「――――はっ!?」


 それは誰の口から上がった声か。

 民家の間から這い出た大型犬サイズの蜘蛛の群れに、一同は驚愕を露わにする。胴の部分から女体の上半身を生やした蜘蛛は、そんな彼らを見て群がるように襲いかかってきた。


「ちょっ、待った待った!」

「うおおおおおっ!?」


 ストラテジーエネミーを倒そうというメンバーだ。ここに集まっているプレイヤーたちは、アタッカーたちほどではないにしてもレベルが高く、場数を踏んでいる。

 それでも動揺と焦燥の悲鳴があちこちから上がり、何人かがHPを大きく減らしていた。

 突然の襲撃に、意識が追いついていないから――――だけではない。

 それももちろん理由の一つだが、それ以上に単純な原因がある。


「だああ! くっそ、外皮固すぎ!」

「コモン術式はSANの無駄だ! こいつらの耐性抜くならアンコモン以上で殴れ!」


 原因は至ってシンプル。


尽きずのフラッドアラクネ……!? なんでここに!?」


 襲いかかる蜘蛛の頭部を斬り捨てながら、入道は疑念の声を荒げた。


 シンボルエネミー【尽きずのフラッドアラクネ】。推奨レベル85。

 蜘蛛アラクネ洪水フラッドという名が表すように、このエネミーは群体が一個の存在として扱われる珍しいエネミーだ。そしてそれ以上に、徘徊型の敵シンボルエネミーにも関わらず、ボスやレイドエネミーのように特定の一か所に留まるという唯一無二の特性を持っている。

 各エリアの奥まった場所を陣取り、獲物プレイヤーが自ら縄張りにやってくるのを待つ。そうとは知らず、不用意に足を踏み入れたプレイヤーが袋叩きにあうのはよくある事例だった。


 つまりは、今回のように遭遇エンカウントすることがないエネミーである。

 入道の疑問はもっともで、応戦しながらも脳裏は疑問符で埋め尽くされている。その雑念によって被弾が増え、HPが削れる中。


「――――おおっと! これは大変、どうやら逃げた先にプレイヤーがいたようですねえ」


 場違いなほど明朗な声が聞こえてきた。


「……!?」


 目の前に手負いとは言えエネミーがいるにも関わらず、思わず視線を声の方へと向ける。

 視線の先にいたのは、電灯を足場にして戦況を見下ろしている青年。裾が長い学ランをはためかせるその青年は、入道と目が合うと申し訳なさそうに肩をすくめた。

 前時代的な不良のいでたちは、RTNでも名うてのプレイヤーのシンボルマークだ。彼の傍らにいる大きな目玉が動画撮影用のカメラだと気づくまで、さほど時間は要さなかった。


 有名配信者。

 破壊者ダメージレコーダー

 彼を表す肩書きはいくつかあれど、入道の中で一番ウエイトを占めるものはそれではない。


 

 自身の中で最も存在感がある肩書きを思い浮かべた時、彼の顔は引きつった。


(あいつ、まさかフレンドを使って……!?)


 百面相をする入道を、青年――――猗々冴々は俯瞰の位置から見下ろす。一瞬だけ目を細めた彼は、すぐに表情を戻すと頬を掻きながら目玉型の使いカメラに向き直る。


「えー、すいません。罰ゲームだった「尽きずのフラッドアラクネタイムアタック」ですが、見ての通りトラブルが発生しました! 今からヘルプ入るのでそっち集中しまーす!」


 そう言うと、彼は手に持っていたソードオフ・ショットガンを構える。本来なら両手持ちで使うそれを、虚構ゲーム特有のご都合主義まほうで片手に一艇ずつ持ったまま、引き金を引いた。

 銃声が高らかに響き、少し遅れて散弾を食らった蜘蛛たちがバタバタと崩れ落ちる。

 銃使いシャシュ系統のレアスタイル【魔弾の射手デア・フライッシュ】に至れる腕前を惜しみもなく披露しながら、配信者プレイヤーは自らがセッティングした戦場に飛び降りた。


(俺だって、これが褒められた行動じゃないことくらい承知の上だ)


 混乱のるつぼにある戦場を見渡し、多少の罪悪感が胸を突く。だが、猗々冴々は迷わない。


「それでも、彼女と戦うのはあいつが先だ。悪いが、足止めさせてもらうよ」


 マイクに拾われないよう小声で呟いてから、引き金に手をかける。

 ほぼ同時刻。

 少し離れた場所で、戦いが始まった。

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