ファルシード叙事詩

瀧 東弍

01 - 無数に転がる石の合間に

 無数に転がる石の合間に張りつくようにして生える草を踏みしめ、ゆるやかな山の峰に馬をたてた。

 渓谷を見おろすと、派手に砂利を蹴散らしながら五騎の馬が走り去っていくところだった。

 馬上には軽装で顔を布で隠した男たちの姿がある。

 「ファルシード殿下!」

 鋭い呼び声にふりかえると、厳しい表情の武人が馬を寄せてきた。

 「単独行動はおやめください」

 「ここからは敵も味方もよく見える。それより野盗を追うのをやめさせろ。あの谷間に入られたら追いつくのは無理だ」

 ファルシードは渓谷に目をやったまま言った。

 山陰に消えた五騎のあとから、武装した騎馬隊が同じ道を駆けてくる。

 武人は綱を引くと斜面を駆けおりていき、あっという間に騎馬隊に追いついて仲間を呼び戻した。

 「ひきあげて策をたてなおす」

 ファルシードは隊を見わたして言うと、峰の反対側へおりて平原へ向かった。

 十騎ほどの武人たちも皆慣れた綱さばきであとに従っていった。



 アルバディア帝国が周辺国や土着の民を併呑して広げ続けた版図は、西方世界最大となった。

 一五四年にわたる統治は、初代国王メフルダード以来一度もほかの家門に譲ることなく、彼の血統が担っている。

 ファルシードは現皇帝ジャハーンダルの第一皇女として生まれた。

 十八歳をむかえたばかりである。

 腹心のケイヴァーンをともなって皇宮へあがると、回廊の向こうから兄である第一皇子イラジーがやってきた。

 「聞いたぞ、ファルシード。野盗どもをのがしたそうだな。いつも荒野をかけずりまわっているわりには、なさけない結果じゃないか」

 「ひきつづき捕縛に全力を尽くします、兄上」

 近ごろ首都周辺で人々の財や家畜を盗む盗賊の一団が問題になっていた。

 物だけでなく民の命も奪うため、イラジーが追捕の指揮をとることになったが、被害の通報をうけるたびに武装兵を出動させるという無策ぶりをみせた。

 毎度兵が現場へかけつけるころには、盗賊団はとっくに仕事を終えて逃げだしていたのである。

 盗賊たちはすっかり手口が大胆になり、被害は拡大する一方だった。

 みかねた皇帝がファルシードに指揮権を移したが、イラジーは彼女に自分の尻ぬぐいをさせているとは露ほども思っていない。

 妹のおもしろみのない返答に、皇子は鼻を鳴らして去っていった。

 苦々しい表情をうかべたのはケイヴァーンである。

 「イラジー皇子の面の皮の厚さだけは、いつも感心させられます」

 「放っておけ、口で言うだけならかわいいものだ」

 ファルシードは兄を見ると、いつも知人の飼い犬を思いだす。

 腹が減ったといっては鳴き、退屈だといっては鳴く毛玉のような仔犬だ。

 しかし仔犬とちがって兄は一国の皇子であり、付随する権力がある。

 その点について、彼女はイラジーを過小評価しなかった。

 二人は皇宮の奥へ進み、皇帝のもとへ向かった。

 「父上、ファルシードが参りました」

 「おお、頼みごとがあると言っていたな」

 出迎えた皇帝ジャハーンダルは豊かなひげといかめしい顔に似合わず、相好を崩して娘を見あげた。

 皇帝は成人男性としては人並以上の体格だが、ファルシードは八〇アンティス(約一九七センチメートル)をこえる長身で、もちろんこれは女性としても規格外れである。

 もともと皇家の血筋は皆大柄で、そのなかでもまれにとびぬけて巨躯の者が生まれることがある。

 それは皇家の始祖が巨人族イラブラトだったという伝承を裏づけるものであり、祝福されるべきしるしとされた。

 さらにいえば、ファルシードは暁姫あかつきひめの通り名にふさわしく、夜明けの光のような緋色の髪と金眼の持ち主である。

 彼女が産まれたとき、皇帝が「フォルザーン・ホルシード(輝ける太陽)!」と叫んだという逸話があるが、直接皇帝に確かめた者がいたかどうかさだかではない。

 しかし『輝ける太陽』にちなんでファルシードと名づけられたのは、まぎれもない事実だった。

 アルバディア帝国で信仰を集める神が太陽の神メシュラーであることから、皇帝は第一皇女を嫡子と定めたのではないかと水面下の政争が一時期激しくなったが、ファルシードが十八歳になった現在まで、少なくとも公式に皇帝がそれを認めたことはない。

 「父上の兵を百ばかりお借りしたいのです」

 「例の野盗のためだな。その程度、好きに動かせばよい」

 「いえ、勅命としたほうががつきましょう」

 ファルシードの言葉をうけいれて、皇帝は正式に兵の貸与を命じた。

 年若い皇女に従うのを嫌がる将兵がいるという話は、皇帝の耳にもはいっていたからだ。

 二人は皇宮を退くと、さっそく将たちを集めて会議をひらいた。

 ファルシードは私兵として百の騎兵をもっている。

 皇女は自分の兵を手足のように自在に操ると評されるが、それは十ずつの小隊に分け、それぞれに隊長を配して命令の伝達を密にしているからだった。

 つまりこの会議には十人の小隊長と彼らすべてをまとめるケイヴァーン、頭であるファルシードが参加している。

 そして皇帝から貸与された百兵の長ひとりが新たに加わった。

 「皇子がいたずらに盗賊どもの尻を追いかけまわしたせいで、奴らはすっかり逃走経路を整えてしまった」

 「あの渓谷は道幅が狭く、左右からは包囲できない」

 「前後からはさみうちにしようにも、隠れられる場所もないからな」

 小隊長たちの言をひととおり聞いてから、ファルシードは皆を見まわした。

 「今日はおまえたちをすぐにひきあげさせたが、山あいのさらに先に、道の両側が岸壁になっている場所がある。後方から追いこみ、その地点で崖の上から障害物を落としてふさげば、うまく捕らえられるはずだ。そのために陛下から工兵を借りてきた」

 男たちの目がいっせいに百兵長へ集中した。

 当の本人は自分が呼ばれた理由をよくわかっておらず、そのまま無言でファルシードを見る。

 「百兵長には崖の上から落とす大岩や木材を調達するための指揮を任せる。これまでの盗賊団の動きから、一度の仕事・・で十五人以上が組むことはない。よって背後から追いこむ騎兵は三十、そのほかの者は同時に盗賊団の本拠地をたたく」

 皇女の命に小隊長たちはうなずいたが、百兵長は当然の疑問を口にした。

 「奴らの巣穴がわかっているなら、なぜ初めからそこを攻めないのですか」

 「普段は法術で隠されていて場所を特定するのが難しいからだ。奴らが活動するあいだだけは解術されて無防備になる」

 答えたのはケイヴァーンだ。

 彼は皇女より幾分か背丈が低いが、それでも並よりずいぶん大柄で、ほかの皇族と比べても遜色ないほどである。

 二人がそろい立つとそれだけで威圧感があり、百兵長は内心腰がひけながらも平静を装って、なるほど、と相槌をうった。

 小隊長たちは人悪い笑みをうかべながら、あるいは同情のまなざしでその様子をながめている。

 ファルシードとケイヴァーンを前にした者は誰であれ、あからさまに驚くか虚勢をはるかのどちらかだというのを、彼らはよく知っていたのだった。



 盗賊団が次に動きだしたのは、六日後のことだ。

 本拠地があると思われるいくつかの場所に兵をおいて監視していたが、そのうちのひとつにこつぜんと大きな木の門が現れたという。

 知らせをうけて、ファルシードは七十の騎兵を率いて先行し渓谷へ向かうと、あとの指揮をケイヴァーンに任せた。

 例の崖にはさまれた道を通るとき上を見あげたが、異変はみられない。

 下から障害物と兵が見えないようにうまく隠してあるところをみると、百兵長と工兵は優秀らしかった。

 ケイヴァーンと三十騎は盗賊団が盗みを終えるまで身をひそめ、帰路で崖まで追いつめる手はずになっている。

 細い山間を抜けてひらけた道にでるとゆるやかなのぼりが続く、その小高い場所に木の杭の防壁に囲まれた大きな門が完全に左右に開ききっていた。

 すでに侵入者に気づいた男たちが門を閉じようとしている。

 しかし人間の身体ほども厚みがあり見あげる高さの門は重く、数人がかりでも動かすのは容易ではない。

 「このままつっこめ!」

 ファルシードの号令とともにさらに速度をあげた騎兵団は、門にとりついた男たちを蹴散らしながらなだれこむ。

 弓をとりにいくのもまにあわなかった盗賊は、あわてて手にとった剣で応戦したが、騎兵の勢いにのまれ形勢はまったく不利だった。

 百人あまりが生活しているらしい敷地内には老人や女、子供の姿も多かった。

 「非戦闘員は殺すな。だが武器をもって反抗する者は切れ。男は縄で縛り、皆を広場の中央へ集めよ」

 自らも槍をふるいながらファルシードは命令する。

 混乱はほとんどなく、戦闘は沈静化しはじめていた。

 盗賊団一味を監視下におき略奪品の確認をはじめたころ、捕虜をつれたケイヴァーンが合流した。

 「うまくいったか」

 「ええ、うまくいきすぎて崖下の道が完全に埋まってしまったので、撤去に時間をくいました」

 「工兵には特別褒賞をやる必要があるな」

 ファルシードは笑った。

 「おまえは、暁姫か!?」

 突然、男が声をあげる。

 ケイヴァーンがつれてきた盗賊団のひとりだ。

 「いかにも、私は民からそう呼ばれることがある。そういうおまえは、聞いた噂が本当だとするとここの首領か」

 ファルシードは、盗賊団を率いているのは隻眼でひげ面の男だと報告をうけたが、目の前の人物はそのとおりの容貌をしている。

 「たしかにおれがこいつらの頭だ。くそっ、油断したぜ。まぬけ皇子が相手だと思っていたら、まさか皇女が出てくるとは」

 周りにいた騎兵の何人かが思わずふきだした。

 イラジーの素行は、少なくとも皇都内では有名である。

 「耳の痛い事実だが、あれでも一応血をわけた兄弟なのでな。不始末は誰かがぬぐわねばならん。さて、この防壁内すべてを隠す大がかりな法術をいったいどこで手にいれた」

 ファルシードはもっとも知りたかった本題を問うた。

 人族は大きく七種族にわけられるというが、人間には超常の力である法術は扱えない。

 異種族の助力を得るか契約をかわすか、なんらかの理由があるはずだった。

 沈黙を守る首領にファルシードは告げた。

 「盗みのみならず殺人を重ねた主犯の者らは極刑をまぬがれない。しかし非戦闘員については私の采配で減刑することができる。奴隷の焼き印をおされるべきところを国外追放ですむとしたら、悪くない取り引きだろう」

 「本当に、家族は助けてくれるのか」

 「私の名にかけて約束する」

 「……半年ほど前のことだ、緑帯域で奇妙な子供を拾った。人間らしかったが、いくつかの法術が扱えた。懐かせてうまくつかおうとしたが、まったく懐かなくてな。ちょっとばかり脅してアジトを守らせていたってわけだ」

 西方世界には人間が満ちているが、東方世界は異種族と人外が支配している。

 二つの世界の境には五リーガス(十キロメートル超)にわたる森が帯のように延々と横たわっており、両世界の干渉をうけないこの領域が緑帯域と呼ばれていた。

 あらゆる秩序が通用しないかわりに、この森では不思議な現象がおきたり希少価値のある収穫物を得られたりするため、危険をおかす者が絶えなかった。

 盗賊団の者たちも以前はそうやって生活していたのだろう。

 「その子供はどこにいる」

 ファルシードの問いに、男は目だけを敷地の奥へ向けた。

 住宅や倉庫が集まった区画からはずれた人けのない場所に、岸壁をくりぬいた洞窟がある。

 「おまえはここで待て」

 主の指示にケイヴァーンは難色を示した。

 「おれも行きます。攻撃法術をつかわれれば、このせまい洞窟ではひとたまりもない」

 「私もおまえも法術を扱えないのだから、二人そろっていたところで対抗できない。外で待機していろ。助けが必要なときは明かりで合図する」

 ファルシードはそばの木箱の上に放置してあった燭台を手にとると、芯が残っているのを確認して火をともし暗がりへ入っていった。

 内側は思ったより広いが天井は低く、彼女は頭をややさげて歩かなければならなかった。

 食料の貯蔵庫として使用しているらしく、発酵物や酢の独特のにおいが鼻をつく。

 奥がぼんやりと明るいのに気づいて、ファルシードは慎重に歩を進めた。

 つきあたりには木箱や素焼きの大壺がところせましと大量においてある。

 その一角に石を積んだ壁で囲まれた牢があり、灯火が牢内がよくみえるよう壁の高い位置にかけてあった。

 牢内の壁ぎわのすみに、首領が言ったとおり子供がいる。

 膝をかかえて顔をうずめ、縮こまって微動だにしない。

 床まで届きそうな長い灰色の髪はもつれ、粗末な麻の衣も汚れてまだらになっていた。

 ファルシードは剣を抜き錠を壊して扉をあけた。

 大きな物音に、子供が驚いて顔をあげる。

 「おいで、そなたを助けにきた」

 膝をついて手をのばすと、恐怖に顔をひきつらせていた子供が目を見開き、呆然として彼女を見あげた。

 怖がらせるつもりは毛頭なかったが、子供はファルシードを見つめたまま動かなくなってしまったため、小さな身体に手をまわして抱きあげた。

 衣が汚れていたのは泥のせいばかりではなく、汗や脂も染みこんでいるようだ。

 饐えたにおいが頭からもただよい、爪のあいだは真っ黒になっている。

 子供が暴れもせずじっとしているので、ファルシードは汚れてはいるがやわらかな頬をなでた。

 「いい子だ」

 五歳ほどにしかみえないこの幼子が、本当にあれほど大がかりな法術をつかったというのだろうか。

 緑帯域にいたという男の言葉も気になっていた。

 あそこは人の子どころか大人ですら、とうていひとりで生きていける場所ではない。

 子供をおびえさせないようにゆっくり腰をあげると、ファルシードはもと来た道を足早に戻っていった。

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