誰も知らない第九
あしもす
第一幕
第一場 年末のコンサート
第一場 第一景 至福の時間
僕も少し前傾姿勢になって構える、次の瞬間、ピンと張り詰めた空気が堰を切ってドンと震える。鼓膜はもちろん、体を揺さぶり、心も揺さぶられるのだ。
これが僕の至福の時間。コンサートホールの一階席の少し後ろ、程よい緊張感をもって音に身を委ねる。
音楽は時間芸術である、絵画などの芸術と違うのは、イマ・ココで鳴り響く芸術は、二度と再現されない事だ。だからそう簡単には聞き流したくはないのだ。録音・録画などの技術はあれども、それで再現されるものは似て非なるものである。(レコード芸術と捉えることも可能なのも承知の上。)
年末のコンサートは特別だ、毎年決まって地元のホールに足を運ぶ。日本独自の文化らしいが、この曲を聴くか、もしくは合唱団で参加しないと年末を感じられないほど僕には染み付いてしまった習慣だ。
「激しい表現で定評のある指揮者だけど、今年の演奏は予想を超える激しさだなぁ。来年は変動の多い一年になったりして……」なんて考えながら、息を呑んで演奏を聴いている。
咳き込みがちな隣席のおじ様の存在や、少し乾燥した空気、硬めの椅子の感覚は次第に音楽にかき消されて、僕は音楽の一部になった。
至福の時間が終わってしまう。永遠に続いて欲しいと思うのは、必ず終わりが来るからなのだと言い聞かせながら、指揮者は髪を振り乱し、唸り声を上げ、怒涛の加速。
一時間を超える長大な音の物語が、事切れる瞬間だ。「人生は祭りだ」と言わんばかりに、あらゆる過去のあーだこーだもひっくるめて、華々しく祝祭的に乱れ散る。
音が散り消えるのを捕まえる前に、ややフライングのブラボーと引き裂くような拍手で現実に引き戻される。
幾度かのカーテンコールで可能な限りの賛辞を贈る。終了のアナウンスに促され、ポーっとのぼせたようなフラフラと地につかない足のまま席をたった。
ここまでは、例年と何も変わらない、一人の一般的なクラシック音楽ファンの一日でしかなかったのだが……
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