『桜、桜、彼の姫、桜』
かの桜はこう語りき。
穢れることなく咲き誇る桜の木。
春を象徴する薄桃色の可憐な花びらは、毎年人々の出会いと出発を祝い、離別を惜しむ。
これは、「桜」を名前に持つとある町での話である。
その桜の木は、町を護り、愛でられ、恐れられていた。彼の桜はこう語る。
「私を忘れないで」
、と。
樹齢を100年越えた樹には精霊が宿ると云われている。
私は桜の精。
もう、何年生きたかは覚えていないのだけど、千年は生きたと思う。
かつて「戦場駅」と呼ばれたこの場所には、もう私以外の桜はいない。
私たちをこの場所に植えてくれた人たち。
平和を願い、一本一本丁寧に土と水をかけてくれたわ。
いつしかその人たちは白髪になり、痩せ細り、一人また一人と事切れていった。
残った人は骨と皮になった体を、せめて私たち桜が綺麗に美しく咲けるようにと根本に植えていった。
それらを、私たちは吸い上げていった。
彼らの血が二代、三代と代を重ねていった頃には、戦場駅の近くにはたくさんの村が見えていた。
たくさんの「生」が溢れていた。
溢れ過ぎて、「生」を「死」が喰らおうとしていた。
戦である。
かといって、桜の精である私たちにとっては全く関係がなかった。
ただ、命が咲いて散っていくだけであった。
大きく育った樹の為に、一部の桜の仲間は場所を譲って自らを枯らしていった。
美しい最期であった。
残った私たちは、枯れた仲間の犠牲の上に根をより広く広げることができた。
ある時、一人の男が子供を連れ、女の屍を私の樹の下に持ち寄った。
女には見覚えがあった。私たちをこの場所に植え、育んだ人たちの子孫である。
女は元々身体が弱く、子供を産むと同時に命を落としたらしい。
男曰く、妻である女が生前こうして欲しいと伝えていたらしかった。
自分の死後、屍を幼き頃から愛した桜の樹の下に埋めて欲しいと。
男は女との最期の別れを惜しむようにゆっくりと時間をかけ私の根元に穴を掘り、女をその穴に横たえると、元の様に土をかけて穴を塞いだ。
そして、来たときの様に子供を連れて村へ帰って行った。
かくて私は女の姿を手に入れたのである。
長く戦の世が続き、ある時それは唐突に終わりを告げた。
天変地異である。
それまで欲に溺れ、命の尊さを理解しようとせずに人が世を納めようとした罰が下ったのかは定かではない。
しかし、台風・日照り・洪水等の天変地異が襲ったのは確かである。
更にはこれらを追うように、次々と人に不幸が降りかかった。
飢餓 ・火事・病気等が発生したのである。
人はどんどん倒れていった。
私の仲間もたくさんいなくなってしまった。
それなのに、人は争うことをやめようとしなかった。
以前の戦とは規模の違う、国同士の戦が始まったのだ。
鉄の鳥が空を飛んで火の弾を落とし、鋼の馬が木々を薙ぎ倒し、海では雷の魚が吐き出されているというではないか。
私が見たことのあるものは鉄の鳥だけであったが、充分に恐ろしいものであった。
「お国の為」と言いながら、若い命が摘まれていく。
何ともあわれな時代であった。
私は幾多の兵を見送った。
ここから先は戦場なのだと、命を燃やし枯らしてこいと。
その度に私は薄紅色の花を咲かせた。
旅立つ誰もが歯を食い縛り、深く深く軍の帽子をかぶっていた。
見送る者は誰もが手を揚げて喜んでいたが、その目は哀しみの涙で濡れていた。
私は咲き続けた。
幾夜も過ぎ、火の雨が降り、悲鳴が響き、何度も世界は火の海と化した。
待ち人は誰一人として海の向こうから帰って来ることはなかった。
気付けば、あれほどあった桜の樹も私一人となっていた。
あの頃あわれな時代から、人がなにを手に入れたのかは私には理解出来ない。
桜の花は此度も散った。
黒い雨が降り、やっと戦は終わりを告げたが、周りには何も残っていなかった。
ちらほらと人がこの地に戻り再び居を構え始めた頃には、人々は「戦」の名を持つのを恐れていた。
今、この地を「戦場駅」と呼ぶのは歴史書位のものであろう。
戦の世を知らぬ子が、歴史を教える時代がやってきた。
人々はよく笑い、些細なことに悩み、苦しみ、努力し、さも当然であるかのように「生きて」いた。
どれ程の数の民がこのような時間を望んでいたのであろうか。
私は「返してくれ」「帰してくれ」と涙する人を数えきれぬほど見てきた。
失ったものをただひたすら乞い願う姿を見続けてきた。
だからこそ今笑って生きる人々が愛おしい。
あのような戦の世は再び訪れてはいけない。
だからこそ憎く、うらめしい。
何も知らず、知ろうとしない人々が憎たらしい。
何のために過去となった人は戦場へいったのか。
何のために彼らは涙を流しながらも笑い、命を差し出したのか。
紛れもなく、今笑って生きているお前たちの為であろうに。
なぜ知ろうとしない?
なぜ解ろうとしない?
私はそれに酷く苛立ちを覚える。
いつのまにか、私は人というものに近しい感情を芽吹かせていたようである。
長く、永く人と共に在った私という桜の樹。
幾多の屍と涙の上に在る、戦場の間際に花咲かす私という桜の樹。
季節は巡る。
再び春が訪れ、私は花を咲かすのだろう。
人の子らよ。存分に笑い生きるがいい。
桜の花が散るが如く、一瞬の命を謳歌し咲き誇るがいい。
しかし忘れるな。
その命も永遠に咲き続けることはできないのであると。
私は桜の精。
かつて「戦場駅」と呼ばれたこの地には、もう私以外の桜はいない。
それでも。
月さえ眠る夜にたった一本で花を咲かせる私を見つけたのなら、あなたに言いたいことがあるの。
「せんじょう えき へ
きて」
私が見送った時代と人々を知ってもらいたいの。
あなたには知る義務がある。
ひらひら舞う幾十の花びら。
穢れることなく咲き続ける桜の木。
春を象徴する薄桃色の可憐な花びらは、毎年人々の出会いと出発を祝い、離別を惜しむ。
ひらひら舞い落ちる幾百の花びら。
散らない花はないのだと、桜の木は潔く空から花びらを降らせ続ける。
季節はめぐり、再び春が訪れる度に、桜の木は「私はここにいる」と人々の目を釘付けにするのだ。
はらはら舞い散る幾千の花びら。
「桜ヶ原」の名を持つ町にのこる、ただ一本の桜の木はこう語る。
「私を忘れないで」
桜が持つ異国の花言葉を、その桜は語り続ける。
私を忘れないで。私の見てきたものを、忘れないで。
はらりはらりと散る幾万の花たち。
散り逝く命は数えきれない。
しかし、散る瞬間の美しさは忘れることさえ忘れるほどに記憶に刻まれるであろう。
鮮明に。苛烈に。そして、
(ぱさり)
無常に。
今宵も桜が舞い散るだろう。
はらりはらりと、舞い散るだろう。
桜の木の下にはまだ誰もいない。しかしいずれは集まるだろう。親愛なるこの地に生まれし民たちよ。
君たちには彼の桜の花言葉が届くであろうか。
ひらひら舞い散る桜の花びら。
音もなく、花言葉だけが舞っている。
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