終章
ロウギ・セトは、無の空間を漂っていた。
胎児のように背を丸め、膝を抱え、羊水の中を浮遊するかのように。
ロウギ・セトはゆっくりと目を開け、周囲を見回した。
本当に何も無い空間だった。デュ=アルガンの、どこまでも続く銀色の平原とは違い、立つことも歩くことも出来ない。
銀色ではなく闇に近い。星も見えず、光も無い。上下も無い。機械化されたロウギ・セトでなければ、生存不可能な場所と思われた。
しかし、と、ロウギ・セトは思った。
彼は、エルリーダでありユエファでありシェリンであった金の光に吸い込まれ、宇宙に広がり、セナンを目指して時を
此処に存在する自分は、一体何のか。
無の空間をどれくらい漂ったのだろうか。
「ナゼ僕ハ、此処ニ居ルノダ」
ロウギ・セトは呟いた。
応える者がいるなどとは思ってなかった。
「お前はここに飛ばされたか」
気が付くと、ロウギ・セトから少し離れて、ナーサティアが浮かんでいた。長い銀髪を風になびかせるかのように立って。風など無いのに。
「えらーらハ、宇宙ハ、ドウナッタノカ、知ッテイルノカ?」
「宇宙は再結晶化し、今はマナーラのラーイーの中。これで私もゆっくりと休める」
ナーサティアは安堵の息を吐くかのように答えた。
ロウギ・セトは、ギガノスの記録にあった『創世神話』の一説を思い出していた。
彼が、ラダスの事象分析局で、人工知能アルティマの海に溺れながら見た夢の中では、マナーラとは神殿であり、ラーイーは聖櫃であるらしかった。
それが正しいかどうかは分からないが、ナーサティアは、その中に宇宙を戻したという。
「アノ創世神話ハ真実ダッタト? ソシテ、守ルベキ宇宙トハ、びっぐ・ばんノ前ノ、結晶シタ宇宙ダッタトイウコトナノカ」
ナーサティアは、否定も肯定もせず、ただ笑ったように見えた。
「宇宙は回る車輪のようなもの。惑星は恒星を巡り、恒星は銀河を巡り、銀河も宇宙の中を巡る。人の魂も、
ナーサティアの言葉を聞くと、それでは何のために宇宙は生まれ、星は生まれ、生き物は、人は、生まれたのかと、ロウギ・セトは虚しさを覚えた。
そして、一切が消滅してなお、自分が存在しているらしいことにも。
ナーサティアは、言葉を続けた。
「かつて、テラの文明が宇宙存在のバランスを危うくした。私はテラを壊し、その文明をも消し去ったが、テラの生き残りであるエラーラが、また同じ過ちを繰り返そうとしていた。私は急がねばならなかった。テラで見つけたユエファが切り札だったが、まさか、お前が彼女を殺すことが、マナ発動の契機となり、時間を逆行させて宇宙を収縮させ、再び結晶化させる引き金になろうとは……」
「時間ヲ逆行サセタ?」
「そうだ。宇宙の全存在は、お前以外全て、時間を逆行したのだ。シェリンは心だけがエルリーダの故郷セナンへと還っていった。時間は更に逆行し、ビッグ・バンの前に戻った。だから、ビッグ・バンは起こらなかったし、恒星も惑星も生まれなかった。セナンも、メイザも、テラも、タワスも、ラダスも、そして、エラーラも存在しなかった。アスナールもエルリーダも生まれなかった」
ロウギ・セトの中で、様々な記憶が過った。
惑星セナンでアスナールはエルリーダと出会った。
アスナールは惑星メイザへと転生し、地球と呼ばれていた惑星テラの移民計画を妨害するために、リース・イルリヤと名乗って移民船ホープ号に乗った。
小型探査艇でメイザに帰還しようとしてレーザー・ビームを受け、宇宙空間を漂流し、惑星ラダスの宇宙船に発見された。
惑星タワスに本部のある宇宙連盟の使者という表向きの任務で、宇宙消滅を回避させるという真の目的を果たす為に惑星エラーラを訪れたはずだった。
それが全て無かったことになったとは……。
「デハ、何故、僕ハ、此処ニ居ル。ソレトモ、居ナイノカ。ソレデハ、あすなーるトシテノ記憶、りーす・いるりやトシテノ記憶、ろうぎ・せとトシテノ記憶……コノ記憶ハ何ナノダ……初メカラ存在シナカッタハズノ、コノ記憶ハ……」
「メイザとラダスによる二度のサイボーグ化手術が、図らずもお前の身体を超時空的構造に変えた。体内に独自の時間軸を持ったお前は、宇宙の絶対時間にさえ左右されないのかも知れない」
「ソレハ貴方モ同ジナノカ。私以外ノ宇宙ノ全存在ガ過去ニ戻ッタト言イナガラ、貴方モ依然ト変ワリナク此処ニ居ル。ソレニ、貴方ハ以前私ニ言ッタ。コノでゅ=あるがんカラハ、誰モ出ラレナイト。貴方ハ、でゅ=あるがんヲ自由ニ出入リシ、シカモ、時間ヲ自由ニ行キ来スル。以前貴方ハ、世界ハ自分ノ見テイル夢デハナイカト言ッテイタナ。ソシテ、影デハナイ自分ヲ捕マエラレルカ、トモ。今ノ貴方ハ、ドウナンダ。影ナノカ、実体ナノカ」
「さあ、どうなのだろう。お前になら見えるかもしれない。ロウギ・セト、その眼には、何が見える?」
此処は無の空間で、何も見えないはず……それとも、実は、違うのか?
ロウギ・セトの眼に、薄っすらと、何かが見えた気がした。
そして、気付いた。
あまりに巨大な為に分からなかったのだと。
ロウギ・セトは、できうる限り
意識を高く、高く、高く、遥かな高みへと……。
まだ全体が見えない。
さらに高く、もっと高く……高く、高く、高く……。
漸く見えたモノ……それは、もしかして、胎児?
無の空間の中で、まるで、羊水に浮かんで眠っているかのような、半透明な、胎児?
「見えたか、ロウギ・セト」
「半透明ナ……胎児……眠ッテイル……ニ見エルガ……」
「では、そうなのだろう」
「違ウノカ?」
「私には見えない。だが、お前が、眠る胎児だというなら、正解なのだろう。そして、私は、その胎児の夢。此処は宇宙の外側。宇宙は、その胎児の脳細胞の一部……だった」
「“まなーら”ノ“らーいー”ハ、何処ナノダ」
「さあ、知らない。あの『創世神話』は、ただの神話にすぎない。真実を見た人間はいないのだから」
「“まなーら”ノ“らーいー”……それに該当するモノ……」
ロウギ・セトは、思考する。
ただ一人取り残された彼にできることは、それしか残っていなかった。
ある考えを秘め、彼は、眠る胎児へと近付いていく。
……其は燃ゆる瑠璃の如く清らなりしも……
ロウギ・セトは、その場所を目指した。
神殿でも、聖櫃でもないが、ナーサティアの言う通り、あれは、ただの伝説。
しかし、宇宙が、この眠る胎児の脳細胞であったというなら……
ロウギ・セトは、そこに辿り着いた。
〈眠る胎児は、ナーヤとマーラの二つの意識の狭間で夢を見、私はその夢の産物なのだろう。私は夢を行き来して、宇宙をあるべき姿に保とうとしたが、だぶん、私の役目は終わったのだろう。お前は再び宇宙を解放し、遙かな時の彼方で、再び別のお前が生まれ、そしてまた、時間を遡ってここへと…………〉
ロウギ・セトの頭の中で、ナーサティアの言葉は尚も続いた。
しかし、その言葉の続きを聞くことは出来なかった。
ロウギ・セトがそれに触れた時、胎児が、青く燃えるような瞳を見開いたような気がした。
光と闇とが、一度に彼に押し寄せた。
(了)
**************
長編を、最期まで読んで頂き、ありがとうございました。
この終章は、オリジナル版とも書籍版とも違っています。
時代が移り、私も年齢を重ね、以前考えた終章よりも深く思考した結果の終章となりました。
この物語が、読んで下さった方の心に、何かを残せましたなら嬉しく思います。
謝謝!!
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