6 聖地アンシュカ

 まだ日差しのあるソルディナの荒野を、砂駝鳥ソリカの背に揺られて進む二人の姿があった。

 強い日差しを避ける広布を被り、前を行く一人は自在に砂駝鳥を駆って迷いなく進んでいるが、続く二人目は、慣れない様子で周囲をしきりに気にしている。前を行くのはパヴァ・ラスメル、後ろに続くのはタルギン・シゼルだった。


 前夜、砂中に倒れたタルギン・シゼルは、様子を見に出たパヴァ・ラスメルに助け起こされた。砂駝鳥と共に少女が姿を消したことを伝えると、パヴァは心配するなと言った。砂駝鳥は、視覚と聴覚、更には脚力と持久力にも優れ、ソルディナ最強の生き物。必ずや、少女と走り去った砂駝鳥の行方を追えると。


 そして二人は準備を整え、パヴァの駆る砂駝鳥の視覚と聴覚を頼りに、ソルディナ平原の砂漠の中、少女の行方を追っているのだった。 

 ソルディナはまだ灼熱であり、この時間帯に移動するのは自殺行為とも言えた。それでも、一刻も早く、少女を見つけなければならない。ソルディナに生きる術を知らない少女は、今どこかで死にかけているかもしれなかった。


 砂駝鳥の背に揺られ、周囲を見渡しながら歩みを速める二人の耳に、人々の騒ぐ声が聞こえてきた。ソルディナに住む者なら、日差しの下で集まるなど、通常なら決して無い。何か尋常ではない事が起きたに違いなかった。

 タルギン・シゼルとパヴァ・ラスメルは砂駝鳥の手綱を引き、集まっている遊牧民達に近付いた。


「一体どうした騒ぎだ?」

 パヴァは、遊牧民達の背後から尋ねた。

「あんた等は?」

 振り返った一人が、不審と苛立ちの声を上げる。

「わしはパヴァ・ラスメル。こっちはタルギン・シゼルだ」

「あのパヴァ・ラスメルか? 『エラーラ縁起異説』継承者の」

 パヴァは頷いた。

「そうだ。わしは継承者だ」

 すると、遊牧民は前方を指さした。

「あれを見ろ。近頃、砂駝鳥がいなくなるし、卵もなくなる。盗んだのは奴に違いねえ。それに、奴は聖地を汚す者だ」

 遊牧民達は、罵声を浴びせながら、石を拾っては投げつけている。

 相手は抵抗もせず、小山のような巨体を折り曲げてうずくまっていた。飛んでくるつぶてから両手で頭を守っているが、その肌は不気味な緑色で、逆立つ髪は炎のように赤い。

 そのような外見を持つ巨体の怪物は、炎人と海人の間に生まれたと噂される巨蛮人バルカン以外には聞いたことが無かった。


「消えろ! 野蛮人!」

「我らが聖域から出ていけ!」

 遊牧民達は罵声を浴びせ、引っ切り無しに礫を投げつける。

 無理もない。円形闘技場=COROSIAWで殺戮の悪魔と呼称されるバルカンを目前にして、誰が冷静でいられようか。ソルディナで静かに暮らす遊牧民達にとって、まさに青天の霹靂。石を投げて追い立てる以外に思いつかないのも当然だろう。


 しかし、巨蛮人バルカンが本気になれば、礫を浴びせる遊牧民などが叶う相手ではないはずだった。巨蛮人バルカンは、なぜ無抵抗なのか。

 タルギン・シゼルは、顔をしかめ、俯いた。

「俺も昔、エルディナに出たばかりの頃、余所者だと言われて物を投げつけられた。嫌な気分だ。それに、奴が本気になれば、死人が出てもおかしくない」

 パヴァ・ラスメルは頷いた。

「その通りだ。怪我人が出てからでは遅い。話をしてみる事は出来んのか?」

「話だって? とんでもねえ!」

 遊牧民達は、パヴァの言葉に耳を貸すどころではなかった。

「奴はソルディナの人間じゃねえし、エルディナの人間でさえねえ」

「炎人や海人は、悪魔の秘術で作られた悪しき存在じゃ」

「聖地アンシュカを汚すのは許されん」

 遊牧民達は、ますます激した。


「……聖地アンシュカ……」

 うずくまっていた巨蛮人バルカンが呟き、顔を上げた。

「聖地アンシュカ!」

 バルカンが叫び、立ち上がる。

 遊牧民達の身の丈の2倍はあろうかというバルカンの巨体は、西日を背に受けて黒々と視界を遮り、その影法師は、離れて立つ遊牧民達に黒く覆いかぶさる。

 遊牧民達は思わず後ずさりし、恐怖の為か、石を投げつける手を休めるどころか、つぶて攻撃はより激しさを増す。

 しかし、バルカンは、礫から逃れようと身をかわし……いや、そうではない。

 

「聖地アンシュカに向かうつもりじゃ!」

 遊牧民の一人が叫び、礫攻撃は激しさを増す。

「聖地アンシュカに近付けるな!」

 そこへ、施条しじょう銃を手にした遊牧民が駆け付け、バルカンに銃口を向けた。西日を受け、銃口が光る。


 狙いを定める施条銃に気付いたのか、バルカンの手が手近の岩に伸びる。自身の巨体を上回るほどの巨岩だ。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ……」

 バルカンは怒髪天を衝く形相で、咆哮のような声を上げ、煉獄の炎のような夕陽を背に、巨岩を頭上高く持ち上げた。

 西日に照らされた巨蛮人バルカンの巨大な影法師が、襲い掛かるかのように高地人達に迫る。


「うわあ、逃げろ」

「撃て! 早く撃て!」

 遊牧民達の悲鳴のような叫び。

 タルギン・シゼルとパヴァ・ラスメルの砂駝鳥も、悲鳴に驚いたのか手綱から逃れようと騒ぎだす。

 施条銃を構えた遊牧民は狙いを定め、銃口に反射した光が、一瞬、巨蛮人バルカンの目を眩ませた。顔をしかめ、目を瞑るバルカン。

「今だ! 撃て!」

 今、まさに引き金が引かれようと……。


「やめてー!」

 叫び声が響き渡った。

 燃えていた太陽が輝きを弱めて黄昏となり、東の空に昇り始めた銀のジュニーラの光が、岩棚の上の人影を浮かび上がらせる。

「この場所を、争いで汚さないで!」

 美しくも悲痛な声。


「この声は……」

 タルギン・シゼルは、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 今までに見たことも無いほど大きな天満あまみつの銀のジュニーラが、輝くばかりに少女を照らしたのだ。

「イーラファーン!」

 パヴァ・ラスメルの叫ぶ声。それは、保護した少女に付けた名。

 しかし、遊牧民達は誤解した。

「おお、伝説の月の娘!」

 いや、誤解ではなかったのかもしれない。

 天満の銀のジュニーラの輝きを一身に纏った少女の姿は、伝説の月の娘イーラファーンに違いないと思わせるほどに、神々しい光を放っていた。


「その者は、ここ聖地アンシュカで生まれし者。遥かな昔、この惑星に人間達が降り立った黎明期、わたしがその者を生み出した。恐れることも不安に思うこともない」

 その声は、まるで天界からの声のように響き渡る。

 そして、少女は両手を広げ、宙に跳んで風に舞った。

「おお!」

 見ている者達のどよめき。

 少女の身体は軽やかに空を舞い、怪物の腕に受け止められた。いつの間にか巨岩を手離していたバルカンの緑色の腕に。


 巨蛮人バルカンの腕に抱きとめられた少女は、左手をバルカンの首に回し、右手を、自らの胸に当てた。

「この者は、わたしの友であり、わたしの心臓」

 少女はバルカンの腕の中に居たが、バルカンの方こそが、少女の腕に抱かれた子供のように見えた。

 バルカンの、星も月も無いような漆黒の瞳から、はらはらと涙が零れる。その涙を、少女は白い右手で拭った。

「貴方の名は?」

 少女の問いに、巨蛮人は短く答えた。

「バルカン」

「そう、貴方に相応しい名前ね。バルカンというのは火の神の名前だから」

「……火の神……」

 バルカンが呟く。

「遠い昔の神話。知らない者は居なかったほどの名前」


 ひれ伏すように砂の上に膝を付いている遊牧民達の後ろで、タルギン・シゼルとパヴァ・ラスメルは、ただ立ち尽くしていた。


「貴方様は、伝説のイーラファーン様でありましょうか」

 一人の遊牧民が、半ば顔を伏せたまま聞いた。

「それはわたしには分からない。そこのパヴァ・ラスメルは、わたしをイーラファーンと呼んだ。長い時を経て目覚めたわたしの内には、様々な名前がある。その一つはユエファ。ユエファとは月の花。イーラファーンも月の花。それしか答えられない」

 月光を浴びる美しい容姿に、透き通るような美しい声は、月の娘その者と見えた。

「おお、やはりイーラファーン様なのだ」

「再び祈りの唄を捧げる為、目覚められたに違いない」

 遊牧民達は、感激に震えていた。

「祈りの唄……」

 少女は呟くように繰り返す。

「伝承にございますれば。十三番目の月の娘イーラファーンの祈りの唄が、このエラーラに平和をもたらし、時が満ちた時、再び祈りを捧げる為に、イーラファーンは目覚めると」

「祈りの唄は、確かにわたしの内にある。けれど、今は、この者と、それから、パヴァと話がしたい」

 遊牧民達は互いに頷き合い、明るい月夜の荒れ地を、それぞれの居住地へと帰っていった。


 巨蛮人バルカンが、少女を砂の上に下ろす。

「パヴァ、わたしを助けてくれてありがとう」

 パヴァ・ラスメルは、返す言葉が見つからない様子で、ただ頷いた。

 少女は続けた。

「バルカンは、自分の起源を求めてソルディナに来た。そして、シェリンの載せられた飛行船が墜落した時、バルカンが居なければ、わたしはきっと、そのまま死んでいた。バルカンはシェリンを抱えてソルディナを走り、パヴァの岩屋の前に横たえて、隠れて見守った。姿を見られれば恐れられると分かっていたから、じっと身を潜めるしかなかった。バルカンとパヴァ、二人が居なければ、わたしは、目覚めることが出来なかった」


 パヴァは、漸く口を開いた。

「礼には及ばない。助けが必要な者には手を貸す。それが、ここソルディナで生きる者の務め。それはこれからも同じ。伝説のイーラファーンも、火の神バルカンも、水や食べ物は必要だろう。岩羊クーヤの乳や、砂駝鳥ソリカの肉や卵、少しだが野菜や木の実もある。良ければ、後で持って来よう」

 少女は、パヴァの手を取った。

「ありがとう」

 タルギン・シゼルは聞かずにおれなかった。

「君は、シェリンなのだろう? アスタリアの歌姫の」

 少女は、じっと見返した。

「貴男は……会ったことがあるわ。イオラスとムルルアで。名前は、確か、タルギン・シゼルと……」

「俺を覚えているのか。やはりシェリンなんだな?」

 少女は首を振りはしなかったが、頷きもせず、感情を置き忘れたかのような静かな視線を、タルギン・シゼルに注いだ。


「わたしは、とても長い夢を見ていた気がする。夢の中で呼ぶ声を聞いて、気が付くと、この場所に居た。呼ばれるまま、砂の中に大きく開けられた入り口から中に入った。千切れた配線に触れてしまったわたしは、短絡して、金色の光を浴びた。シェリンとしての記憶は戻ったけれど、PAMERAであったユエファとも一つに融け合った。幾つもの名前と記憶がわたしの内に渦巻いて、まだ整理できていない」


「君はシェリンだ。ここにいるパヴァ・ラスメルが、記憶を失って倒れていた君を助け、イーラファーンと名付けた。けれど、君は、歌姫シェリンで、君の母親は昔ソルディナに逃れていたアリダで……」

 タルギン・シゼルの声は震えていた。涙こそ流していなかったが、心は泣いていたのだろう。

「……君は俺の妹なんだ……そんな遠い目で見ないでくれよ」

 パヴァ・ラスメルが、慰めるように、タルギン・シゼルの肩を叩く。

「もう、あの無邪気な少女は居ない。シゼル、お前のシェリンも居ないのだ」

「違う。目の前に居るじゃないか。俺は、君の歌が好きだった。君がタレスの港町で歌っていた頃からずっと。姿も、声も、君はシェリンだ。伝説のイーラファーンなんかじゃない」

 肩を震わせるタルギン・シゼルを、少女は、済まなそうに見た。

「貴男はホブスに似ている」

「ホブス? そんな名は知らない」

「ホブスも、貴男と同じく優しかった。PAMERAに繋がれた後、記憶を失ってしまった人間のユエファを、ホブスは守って助けた。貴男も、シェリンを遠くから見守った。けれど、わたしはもう、貴男の知っているシェリンではないから、タルギン・シゼル、貴男は貴男の成すべきことを。もし思い残すことがあるなら」

 その瞳は、タルギン・シゼルの知っていたシェリンのものとは違っていた。深く静かな瞳。遥かな年月を見つめてきたかのような。


「もう俺は必要ないのだな。兄として妹にしてやれる事も、もう無いのだな」

 

 タルギン・シゼルは、自分を見つめているパヴァを見た。ソルディナにおいて、パヴァより頼りになる者は居ない。

 そして、タルギン・シゼルは、小山のようなバルカンを見上げた。

 緑色の皮膚と赤い髪。灼熱を物ともしない炎人と、飢餓に強いという海人の、両方の血を持つ巨漢の闘士バルカンは、この先何があっても少女を守るだろう。


「パヴァ、色々と世話になった。俺はエルディナに戻る。どうやら、ウルクストリアに、し残した事があるようだ」

 パヴァはゆっくりと頷いた。

「お前は、もう立派に一人前だ。信じる道を行けばいい」

 タルギン・シゼルは、パヴァの言葉に頷き、再び少女を見た。

「君のことを、何と呼べば良いのだろうか」

「貴男が呼びたい名前でいい」

「それじゃあ、イーラファーンと呼ぶよ。君は、何故泣いている?」


 イーラファーンの瞳は、涙に濡れていた。そのことに自分で気付いていなかったようだった。

「わたしは、泣いているの?」

「何故、そんなにも哀しい顔をする。何がそんなにも君を哀しませる」


 イーラファーンは、ためらいがちに口を開いた。

「わたしの中で、たくさんの名前が渦巻いている。それぞれの記憶が、わたしの中で叫んでいる。セナンに帰りたい。地球に帰りたい。どんなに願っても叶わないのに」


「セナン? 地球?」

 タルギン・シゼルが知るはずもない名前だった。

 イーラファーンは、涙に濡れた瞳を上げた。

「この惑星エラーラは、かつて太陽系第四惑星火星と呼ばれていた。わたしは李月花リー・ユエファという名前で、第三惑星地球に住んでいた。地球には、美しい一つの月があった。その月は今もそこにある。地球は破壊され、小惑星帯となって、月は火星の引力に捕らえられたから」

 イーラファーンは右手を差し伸べ、空を指差す。その先に輝くのは、六番目の月である天満あまみつの銀のジュニーラ。

「月を見ると思い出す。美しかった地球と月。地球から見る月はずっと小さかったし、ここは地球ではない。わたしは地球に帰りたかった。この火星を、地球のように美しい故郷にしたかった」


 その言葉が真実であるのかどうか、タルギン・シゼルには分からない。

 もし真実だとすれば、その哀しみは、シェリンの抱いていた哀しみを遥かに凌ぐものなのかもしれなかった。


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