2 起源への旅路

 バルカンは、空を見上げた。薔薇色の夜明けである。


 クリュス島の鍛冶場で過ごした子供の頃にも、成長して円形闘技場=COROSIAWでの闘いを強いられるようになってからも、ほとんど見上げることのなかった空。

 バルカンは、ストーレ明けの明るく美しい月夜にラヴィア島の洞窟を小船で発った。まだストーレの多量の雨水ではや水原カレルを、どこの天蓋都市にも寄らずに最短航路で小船を走らせ、堅糸杉サイプール茂るマラナス山脈を迂回して沿岸の水原カレルを進み、徒歩でバズ山脈との間の峡谷を越え、険しい尾根を登って、ソルディナへと向かった。

 エルディナでは再び激しいストーレが打ち付け始める頃だが、高嶺こうれいを越えた今は、もうその心配は無い。一夜でこの距離を進み、しかも体力に余力があるのは、彼が炎人の血を持ち、巨蛮人バルカンと恐れられるほどの強靭な巨体の持ち主であればこそ。この先のソルディナを徒歩で走破することも可能に違いない。彼は、その為に今ここに立っているのだから。


 バルカンがソルディナに向かう理由、それは、狂科学者ドナレオ・ダビルが語ったバルカン自身の出生の秘密にあった。


 炎人や海人は、太古に悪魔の秘術によって生み出されたとされてきた。その根拠は、ウルクストリアの国書である「エラーラ縁起」によるものだ。炎人や海人はしいたげられ、肉体的にも精神的にも、苦渋の人生しかなかった。しかも、バルカン自身は、その炎人と海人の混在種なのだ。

 ドナレオ・ダビルは、炎人と海人について、偶然による変異なのか、人為的な変異なのか、まだ分からないと語った。そして、バルカン自身については……。


「しかし、バルカンよ……」

 狂科学者ドナレオ・ダビルの洞窟研究所で、あの日、バルカンは、覚悟を決め、真実を受け入れようと決めたのだ。

 そして、あの日、狂科学者ドナレオ・ダビルは、懺悔するように語った。

「……お前をこの世に送り出したのは、他ならぬ、このわしなのだ」


 ドナレオ・ダビルの若き日、ソラリア高原とオラネス火山で研究に没頭した。ドナレオ・ダビルの好奇心や探究心は尽きることが無く、彼の並み外れた頭脳は、あらゆる研究に一定の成果をもたらし、飽きることの無い研究三昧の日々を送った。

 そんな或る日、ソルディナの高地人に伝わる「エラーラ縁起異説」の聖地アンシュカと呼ばれる地域を、案内役の高地人と共に訪れた時のことだったという。

 アンシュカとは、現地の古い言葉で“安らかなる家”を意味するらしかったが、古い建造物などの遺跡は見当たらなかった。ところが、強い風が砂丘の一部を押し流し、何かの入り口らしき割れ目が出現したのだという。

 ドナレオ・ダビルは迷わなかった。偶然なのか、何らかの意思が働いた結果なのか、その穴は、ドナレオ・ダビルに、奥へ進めと呼び掛けていた。


 穴は、外から見た際は自然な割れ目のようにも見えたが、案内役の高地人と共に下っていくと、それは明らかに人工的な作りで、やがて扉らしき物が並んだ場所に行き着いた。どの扉も閉じられたままだったが、ひとつだけ、ドナレオ・ダビルの目の前で開いた扉があった。中は実験室のように見え、様々な機器が並んでいたが、大半は既に機能していないように見えた。

 その装置が何なのか、さすがのドナレオ・ダビルにも初めは分からなかった。調べるうちに、どうやらそれが凍結用密閉容器であるらしいことが分かった。

 何を凍結保存しているのか。

 凍結用密閉容器の中には、多数の透明な管が保管されていて、その大部分に破損や異常が見られたが、3本の管がどうやら正常であるようだった。

 それは、驚くべきことに、凍結された胚 (受精卵)であるらしかった。

 凍結用密閉容器はすでに機能の限界を過ぎているようだった。このままでは、3つの胚 (受精卵)の命は絶たれるしかない。だが、ドナレオ・ダビルには、それらが、生まれたがっているように感じられた。

 どうすれば生まれさせてあげられるのか。

 案内役の高地人が口を開いた。

「私のお腹をお役立てださい。私には既に親も夫も子供も無く、誰に断る必要もない。先生のお役に立ち、その命を助けることができるのなら」

 彼女の名はジュノ。病で家族を失い、既に若くはなかった彼女は、ドナレオ・ダビルによって科学と医術を知り、残りの人生を捧げても良いと考えるようになっていた。

 ドナレオ・ダビルは、もちろん迷った。しかし、凍結された胚に、時間の猶予は殆ど無かった。

 狂科学者、異端の医師として追われる身となったドナレオ・ダビルの助手となり、共に海へと逃亡して、クリュス島でバルカンを産んだのがジュノだった。凍結胚は3つだったが、無事に体内で育ったのは一人だけ、ジュノ自身も、出産後に死亡した。


「バルカンよ、わしは、お前に許しを請うべきなのかも知れん。わしが、あの時、アンシュカに行かなければ、砂の中から現れた割れ目に入っていかなければ、あの凍結用密閉容器を見つけなければ、ジュノの子宮に胚移植を行わなければ……そうすれば、ジュノは死なず、お前は生まれなかった。わしには、自分の行いが正しかったのか、間違っていたのか、判断できん。神をも恐れぬ所業、悪魔の所業と言われても弁明は出来ん。ジュノは、死の間際、後悔は無いと笑ったが、バルカンよ、お前は、この世に生を受けたことを恨むか。お前をこの世に送り出してしまったわしを、恨むか」


 バルカンには、答えられなかった。

 答えを求め、彼はソルディナへと旅立ったのだ。己の起源があるはずの聖地アンシュカの地を探す旅路へと。


 聖地アンシュカは、ソラリア高原の、アララス山、バブニス山、アルス山の近くにあるという。それは、今バルカンが立っている位置からは真逆の場所にあたる。熱砂のソルディナを真っ直ぐに横断するか、それとも、エルシス山脈沿い、もしくは、ゴルム山脈とキンメリ山脈沿いに迂回して、高温と乾燥を避けて進むか。

 いずれにしても、遥かに遠い。


 ふと、バルカンの目に、白く光る物が見えた。

 それは、どうやら、山岳波 (山岳地帯特有の風で波状乱流を発生させる)に巻き込まれた飛行船と思われた。飛行船は、急激な上昇をしたかと思うと、次には急激な下降に転じ、バルカンが見守る上空で、機体がバラバラに分解した。

 落ちてくる残骸に、バルカンは思わず飛びのいた。いかに強靭な肉体のバルカンといえども、上空から落ちてくる飛行船の残骸に恐怖を感じないはずは無かった。


 それにしても、エルディナとソルディナの境界である山岳地帯では、気流が乱れて飛行船には危険であることは、エラーラでは多くの人が知ることなのに、一体誰が、何の目的で、不用意に飛行船を近づけたのだろうか。

 誰が操縦していたにしろ、炎人でもない限り、命が無事なはずはあるまい。いや、炎人であったとしても無事かどうか。


 バルカンは、残骸に近付いてみた。残骸に混じり、血に汚れた3人の人間が見つかったが、3人とも既に息が無かった。

 3人の亡骸をどうすべきか。いや、そのうちに辺境警備隊が見つけるだろうから、何もしないのが一番良い。

 バルカンは立ち去ろうとして、目の端で、何か光るようなモノを見た気がした。

 無意識のようにそこへと向かったバルカンが目にしたのは、柔らかな砂の上に、まるで眠るように横たわる乙女。怪我一つ無く、白い肌には一点の汚れさえ無く、夢を見ながら午睡するかのような表情は、まさに奇跡と言えた。

 このような乙女が、なぜ飛行船でこんな場所に近付いたのか。かわいそうだが、生きているはずはないだろう。

 しかし、脈は弱く、呼吸も微かではあったが、死んではいなかった。

「助ける!」

 バルカンは、乙女を抱き上げた。

「どこへ向かえばいい!?」


 どこから湧いてきた指示であるのか、バルカンには分からなかった。考えもしなかった。ただ、示されたと感じた方向に向かい、乙女を抱いて、彼は走った。


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