3 偽りの光の中で

 アスタリア第二の都市イオラスは、新しいもので溢れ、全てがピアレンとは桁違いだった。

 商業都市イオラスの象徴とも言えるのは、天蓋にも届きそうな高さの鉄塔、その名も“月への階梯ストレイン・トル・イーラ”。銀色と紫の二色に照明されたその鉄塔のすぐ下に、収容人数一万五千人を誇るイオラス公会堂がある。


 今、そのイオラス公会堂では、新人達にも門戸が開かれた「イオラス音楽選手権大会」が、既に始まっていた。エトラム・バードも出演予定の大会である。

 マリグ、ギルム、ドルクは、近くの路地裏で音量を下げた音合わせを行っていた。参加者が多いために控室は借りられず、試演室も使えない為、他にどうしようもないのだった。その上、歌を担当する要のシェリンは、いまだ姿を見せていない。


 手続きを終えたギイレス・カダムが一人で戻ってきた。

「ギイレスさん、シェリンは何してるんですか? もう始まっているのに」

 ギリムが、しびれを切らして訊いた。

「心配は無い。いつもの事だ」とギイレス。

「だけど、ギイレスさん。もし間に合わなかったらどうするんですか」

 いつもは冷静なドルクも不安を隠せない。

「大丈夫だ。締め切り直後に強引に参加を認めてもらった経緯上、順番は最後だ。観客も審査員も疲れている頃だろうが、お陰で時間はまだたっぷりある」

 ギイレス・カダムは冷めた表情で答えた。

「冗談じゃないぜ。いきなり本番かよ」

 ギリムが吐き出すように言った。

 マリグは何か言おうとして止める。

「マルグ、何をぼけっとしている」とギイレス・カダムが冷ややかに言った。

「お前は気分が演奏に影響しやすい。最高の演奏をしたかと思っても、それが続かない。そんなんじゃあ、いつまでもタナウス・ゲイグに勝てないぞ」

 突然向けられた矛先に、マリグは怒った。

「どうしてゲイグの話なんか引き合いに出す必要があるんですか。関係ないじゃないですか」

「関係なくないさ。お前自身が気にしているんだからな」

 ギイレス・カダムの言葉に、マリグは唇を噛んで俯いた。

「マリグの奴、ギイレスさんに見抜かれてるな」とギリムが笑う。

「ギリム、お前はいつも慌てて出が早すぎるのに、気持ちが乗るのには時間がかかる。人の事を気にしてる場合じゃないぞ」

 ギイレス・カダムの指摘に、ギイレスは縮み上がった。

「ギイレスさんて、見かけによらず良い耳してるよ」

 ドルクが小声で呟く。

「ドルク、お前は安定感はあるが、それだけじゃあ駄目だ。聴衆を巻き込む引力に欠ける」

 ドルクは頭を掻いた。

「言ってくれますねぇ。そんなの、頭で分かってても無理ですよ。天賦の才能でもあればだけど」

 ドルクの釈明に、ギイレス・カダムは、声を抑えて言葉を続けた。

「ドルク、お前に足りないのは、自信だ。一般人なら謙虚さは美徳にもなろうが、舞台に立った時には何の役にも立たない。それどころか、本来の魅力を半減させる」

 そして、ギイレス・カダムは三人に向かって続けた。

「お前達三人は、俺が選んだ最高の素材だ。才能は十分にある。三人とも、後は自分に自信を持つことだ。失敗を恐れるな。自分を誤魔化すな。舞台の上での一瞬に全てを賭け、情熱を燃やし尽くせ。観客でも誰でもいいから、想いを込めて届けろ。シェリンは、舞台の上ではそれが出来る。日頃は不安定だが、舞台上では別人だ。だから、シェリンのことは何も心配いらない」

 ギイレス・カダムの言葉に、マリグ、ギリム、ドルクの三人は、それまでとは明らかに表情が変わっていた。

 そう、シェリンの心配をする暇があったら、自分達が最高の演奏をする心構えを持つことだ。

 シェリンは必ず間に合う。信じて待とう。自分達に出来る準備を万全にして。


「おまえ達はもうしばらく此処で練習したら、会場入りしろ。まだ試演室は空かないだろうから、通路ででも待っていろ」

 そう言い残し、ギイレス・カダムは何処かへと去った。


「ギイレス・カダムって何者なんだろう」とギリムが呟いた。

「何者って、シェリンの世話人だろ?」とドルクが答える。

「そんなことは分かっているよ。そうじゃなくてさ、シェリンが一人で歌っていた時には、ギイレス・カダムが鍵盤琴を演奏してたんだろ? 音楽に詳しそうだし、耳もいいみたいだし、只者じゃないような気がしないでもなくてさ」

 ギリムは、言い訳でもするように言った。

「まあ、確かに、ちょっと気にはなるけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃないぞ」

 ドルクが、たしなめるように言う。

「本人かどうか分からないけれど」と、マリグが遠慮がちに言った。

「昔、すごい歌手が居たらしいんだけれど、有名になる直前に事故に遭って、それきり姿を消したって聞いたことがある。ギイレス・カダムって足が悪いよね。顔は、ちょっと髪に隠れているし、怖い感じがしてあんまり直視出来ないけど、微かに傷跡があるような気がするんだよね。もしかしたら、ギイレス・カダムって、自分の果たせなかった夢を、僕達に託そうとしているのかも。分からないけれど」

 マリグの言葉に、ギリムとドルクが頷いた。

「そうだな。ギイレス・カダムが何者でも、俺達はしっかりと自分の持てる力を発揮しよう。誰の為でもなく、自分達が輝く為に」

 ドルクが力を込めて言い、三人は、決意を新たにした。


 暫くして、マリグ、ギリム、ドルクの三人は、会場に入った。

 舞台袖の通路で、三人は不安で落ち着かない長い時間を待った。

 そして、エトラム・バードの出番まで、今舞台上にいる組を除いて後一組となる。舞台上の演奏が終わり、盛大な拍手に見送られて出演者達が下がる。

「次の組、準備を」

 係員の声に、舞台袖で出番を待っていた数人が、照明の落ちた舞台上へと向かう。

「君達で最後だね」

 舞台上に向かう出演者達に係員が声を掛けた。

 マリグが慌てて叫ぶ。

「違います。もう一組、僕らがいます。最後はエトラム・バードです」

「えっ、そうだったかな?」

 運行表を確かめようとする係員に、別の係員が言う。

「後からもう一組加わったんだよ。エトラム・バードが最後で間違いない」

 マリグ、ギリム、ドルクの三人は、ほっと胸を撫で下ろした。


 舞台上の演奏が終わり、まばらな拍手と共に出演者達が下がる。

「最後の組、準備を」

 いよいよエトラム・バードの出番。しかし、シェリンはまだ来ない。


 仕方なく、シェリン抜きの三人で、照明が落ちて薄暗い舞台へと向かい、定位置に付く。

「早く始めて。時間押してるんだから」

 係員が、小声ながら、きっぱりとした口調で促した。

 マリグ、ギリム、ドルクは腹をくくった。この場をなんとか乗り切らなければ。


 楽器を奏で始めると、照明が三人を個々に照らした。

 まばらな拍手。仕方がない。彼らは、イオラスでは全くの無名だ。

 前奏はそろそろ終わるが、さてどうすべきか。歌無しのまま押し切るか。マリグではシェリンの代わりに歌うことは無理だ。

 マリグ、ギリム、ドルクの三人を個々に照らす照明から外れた舞台中央で、何かが動いた。せり出しが下がり、すぐに上がってきたのだ。

 前奏が途切れ、静まった舞台上に、銀鎖が擦れるような、鈴の鳴るような、透明な響きが広がった。その響きは、観客席にも細波のように伝わる。

 観客たちの心のうちに、形容しがたい奇妙な感覚が、ざわめくように広がった。不安のような期待のような、驚きのような安らぎのような、畏怖のような歓喜のような、今までに感じた事の無い感覚。


 舞台中央を、青みを帯びた銀色の照明が照らし、迫出しが上がり切ると、そこにシェリンの姿が浮かび上がった。


 シェリンは、顔を伏せたまま、ゆっくりと片手を上げた。シェリンの腕に巻いた銀鎖が揺れ、手に持った鈴が鳴る。静まり返った場内に、その音は響き渡り、月光を浴びて立つ女神めがみのように、薄青い銀色の光の中でシェリンは顔を上げた。

 シェリンは大きく息を吸い、声を発した。


  ♪ストーレが訪れ、また退屈な今夜きょうが終わる


 マリグ、ギリム、ドルクの三人は、我に返って再び演奏を始めた。


  ♪人々は家路を急ぎ、温かい寝床で眠りに就く

  ♪安らかな夢と明夜あすへの希望抱いて


  ♪そしてあたしは街に彷徨い出る

  ♪絶え間ない時を刻むストーレの雨音は嫌い

  ♪眠り誘う平和な寝床は要らない


  ♪あたしが欲しいのは

  ♪ストーレの闇に浮かぶ、煌めく音と光の洪水

  ♪そこに集う人間達の賑やかな談笑

  ♪心にもない愛の言葉も口先だけの慰めも

  ♪偽りの光の中でどんな宝石よりも輝く


  ♪歌い明かそう

  ♪天蓋の外を覆う闇にもしの付く雨音にも

  ♪ここでは誰も心を砕きはしない


  ♪あたしに似合うのは

  ♪ストーレの闇に浮かぶ、狂おしい音と光の洪水

  ♪そこに集う人間達の狂乱の宴

  ♪もっともらしい作り話もその場限りの約束も

  ♪偽りの光の中でどんな宝石よりも輝く


  ♪踊り明かそう

  ♪忍び寄る明夜あすの不安におののいても

  ♪ただこの瞬間ときだけ夢に酔えればいい


  ♪歌い明かそう

  ♪この彩色いろどりが偽りにすぎないとしても

  ♪ただこの瞬間ときだけ夢に酔いしれよう


 舞台の上で、シェリンは何も考えていなかった。降り注ぐ照明は、シェリンの頭上に光輪を作り出すかのように輝き、シェリンが両手を広げると、淡い七色の光となって、光の翼を形作った。

 シェリンは、それらの光をまとい、同化して、全身全霊を歌に昇華させていた。

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