2 千人街と夜想曲
エラーラの宗主国ウルクストリアの南よりに位置する首都ラダムナは、周辺部まで人々が溢れ、行き交う人々が途切れる事はない。
それは港近くに位置する通称千人街でも例外ではなかった。街頭に設置された時計は、明けの刻、トゥレ・マトゥル(十時三十分)を指している。夕べに目覚め、昼に眠るエルディナの生活では、既に多くの人々が一日の仕事を終えて帰宅している時間であるが、千人街の往来は依然として人通りが絶えない。
そんな千人街に、間口は狭いながら明るい色調でやたら派手な看板を出している店があった。看板には『タルギン雑貨店』と書いてあり、扉を開くと、コロコロといい音が鳴った。
「いらっしゃい。何が御入り用で?」
明るい店内に入ると、商品を並べた棚の影から、不精髭を生やした赤毛の男が、愛想のいい笑顔を振り向ける。
「あたしだよ、タルギン・シゼル」
化粧の濃い太めの女が元気な声で言った。髪は元々茶色なのを桃色に染めているらしく、生え際は茶色である。美人というほどではないが愛嬌のある顔立ちだ。
「なんだ、隣のファアティか」
タルギンの顔から愛想笑いが消え、面倒臭そうな声になる。
「なんだとは御挨拶だねえ。様子を見に来てやったのにさ。儲かってるのかい?」
「ま、ぼちぼちな。そっちはどうだい?」
タルギンは、店の奥の仕切台に戻ると、丸椅子に腰掛けながら言った。
「てんで駄目さ。飲みしろを踏み倒そうって奴らばかりでさ。今の時代、女の細腕でちまちまやってても無理さね」
ファアティは、遠慮も無しに仕切台の前に置かれた客用の椅子に腰を沈めて言った。
「あんたの腕が細いってか?」
タルギンが可笑しそうに声を上げて笑う。
ファアティは気にした様子もなく話題を変えた。
「ねえ聞いたかい? あのトルキル大連が、円形闘技場=COROSIAWでテムルル
「相変わらずの噂好きだな」と、タルギンは笑った。「丞相と大連の二つの席が急に空白になったんじゃあ、国は混乱して犯罪も増えるだろうなあ」
「そうなんだよ。町は新規採用の憲兵がうじゃうじゃ居るよ。店の客が増えるのは歓迎だけどさ、また上納金が上がったりしなきゃいいんだけど」
眉間に皺を寄せ、心配そうにファアティは唸った。
「トルキル大公が連れてきたロウギ・セトとかいうやつはどうなんたんだ?」
タルギンは、面白半分のようにファアティに訊いた。
「同じく行方知れずらしいね。異世界から来たとか、本当なのかねえ。好い男だったらしいじゃないか」
「さすが千人街一の面食い。ロウギ・セトの顔を知ってるとは」
「単なる噂だよ。ウルクストリアじゃあ見かけない感じの、謎めいた雰囲気で、何て言うのかね……」
「印象的?」
「そう、それさ、印象的。特に目がね」
ファアティは恋する少女のように嬉しそうだ。
「へえー、で、どこで会ったんだ?」
「だから、噂だって」
「そうかい? まあ、そういうことにしておこう」と、タルギンは笑いながら言った。
店の入口の扉がいい音を鳴らして開き、青白い顔の痩せた若い男が入ってきた。
「いらっしゃい。何が御入り用で?」
「……えーっと、この店に来れば、珍しい品物があるって聞いたんだけど……」
お客は、どこの雑貨屋にでもあるような珍しくもない品物が並んだ台の前で、困惑したように言った。
「どうぞ、何でも選り取り見取り。夢見草ならこれが一番。ソラリア高原直送だ。これは本物極上品。暖炉で燃すにゃ勿体ないが、葉巻で吸うなら値段も手頃。悪酔いもせず夢心地。それがダメならこちらはいかが。若かりし日の前宗主、恋した異国の歌姫に、贈った愛の証の“
タルギンは口上滑らかに次々と商品を勧め、青い顔になった客はそそくさと店を出ていった。
「からかうのはお止めよ。適当に相手して適当に何か売ってやりゃあいいのに。普段はそうしているんだろ?」
ファアティは半分笑いながら、気の毒そうに若い男の後ろ姿を見送った。
「通常客の相手ばかりじゃあ、俺も退屈なのさ」
タルギンは、元の椅子に腰掛け、欠伸しながら言った。
閉まった扉が再び開いた。
「おや、またお客のようだね」
入ってきたのは、しころ付の角頭巾を目深に被り、ゆったりとした袖なし外套に身を包んだ男だった。その男は、真っ直ぐタルギンの前まで来ると黙って立ち止まり、腰掛けているタルギンの顔を見下ろした。その頭上を店の照明が眩しく照らし、客の顔は逆光になってよく見えない。
「い、いらっしゃい。どんなご用件で?」
タルギンが、思い出したように愛想笑いを見せる。
客は、黙って懐に手を入れた。その妙な威圧感に、タルギンとファアティは、一瞬言葉を失って唾をごくりと飲み込んだ。しかし、客が懐から取り出したのは、小さな布袋だった。客は、その革袋の中から何かを取り出すと、黙ってそれを仕切台の上に置いた。コツンと微かな音がする。
タルギンは、上目遣いに客の顔を見ながらそれを手に取り、慎重な手つきで透かすようにして眺めた。
「これを売るのかい?」
そして、引き出しから小さな拡大鏡を取り出して片目に当てると、手元の明かりを点け、丹念に調べた。
「純粋な炭素から成る鉱物。万物の中で最も硬く、光を良く屈折させる。中でもこれは無色透明で、しかも、正確な五十八面体に磨き上げてある。かなりの代物だな。見覚えの無い石だから、盗品という訳でもなさそうだが、こんな大きな光晶石を一体何処で手に入れたのかは、敢えて聞かないでおくよ」
タルギンは片手で光晶石を玩びながら客を見上げた。
「光晶石だって?」
ファアティが瞳を輝かせる。
「ほれ、ファアティ、あんたもそろそろ店を開ける時間だろうが。何時までも油を売ってていいのかい? 上納金が払えなくても知らないぜ。まったく、光晶石と聞くと、女はなんで皆目の色が変わっちまうのかね」
タルギンは、ファアティを追い立てるように言った。
「あれ、もうこんな時間かい」
ファアティは指輪型時計に目を遣ると、慌てた様子で立ち上がった。
「それじゃあタルギン、また来るよ」
タルギンは、ファアティが出ていった扉が閉まったのを確かめると、客に向き直って口を開いた。
「これで二人だけだ。で、代わりに何が欲しいんだ?」
「ソルディナへ行くための情報をね」と、低い声で客が言った。「千人街の蛇穴、二十の目と耳を持つ男というのは、君の事だろう?」
「俺はそんなに有名人かい? それはちょっとばかり困るんだが」と、タルギン・シゼルは答えた。
「大丈夫だ。私も目と耳は利くほうでね」
「だろうね」と、タルギン・シゼルは答えて続けた。「で、なぜソルディナに行きたいんだ? まさか観光旅行とも思えんが」
「いや、ぜひ観光したくてね」
客は、にこりともせずに答えた。
「ほう、命懸けの観光だな」
タルギン・シゼルは光晶石を仕切台の上に戻した。
「エラーラ人なら誰でも知っていることだが、風が強すぎて飛行船で山脈を越えるわけにはいかないし、エルディナとソルディナを結ぶ谷は、鼠一匹出られないくらいに警備が厳重だ。見つからずに出入りするのはまず不可能さ。何しろ、入ったが最後、生きては戻れないという重犯罪人の流刑地だ。
「蛇頭とは密航業の元締めのことだな」
客は、腰かけたままのタルギン・シゼルを見下ろして言った。
「あんた、ロウギ・セトだろ?」
タルギン・シゼルは明かりを上向きにしてまじまじと客の顔を見た。客は眩しい光を遮ろうともせず、平然として静かな瞳で店主を見下ろした。
「円形闘技場=COROSIAWで地割れに落ちたと聞いているが、どうやって助かったんだい? まさか、ラダムナに戻ってくるとはな」
客は、静かにタルギンを見返した。
「なぜ私をロウギ・セトだと?」
「なぜって言われてもな。蛇穴を見くびってもらっちゃあ困る。ロウギ・セトなんだろ?」
「その名で呼びたいなら構わない」
ふん、とタルギン・シゼルは鼻を鳴らした。
「あんたがロウギ・セトなら、簡単じゃないか。憲兵隊の前にでも行って名を名乗ればいい。恩赦が帳消しになったんなら、確信は無いが、次はソルディナ行きだろうからな」
「捕まるのはかまわないが、取り調べにかかる時間が惜しい。私は急いでいてね。君なら、ソルディナへの抜け道か、抜け道に詳しい人物を知っているはずだと思ったが。″ツインギの裂け目″というのがあるだろう」
ロウギ・セトは、落ち着いた口調で言った。
「それを知っているとはね。確かに、ルートが無いわけじゃないさ。いいだろう。あんたにはそれだけの覚悟が有るようだ」
観念したようにタルギンが言うと、ロウギ・セトは、握手の為に手を差し出した。
「何だい?」
「握手だ。商談成立なんだろう?」
「まあ、そうだが」
タルギンは、出し掛けた手を引っ込め、鼻を擦りながら笑って言った。
「やめておくよ。あんたのその何でも見通してしまいそうな綺麗な目、握手なんかしたら、それこそ心ん中まで覗かれてしまいそうだ」
「そのつもりだったと言ったらどうする?」
一瞬真顔になった後、タルギンは、ははと笑った。
「冗談は止してくれよ。ソルディナ行きの件、詳細は飯でも食いながら話そう。来なよ」
タルギン・シゼルは先に立って店を出ると、電色に飾られた千人街を裏通りに向かって歩き出した。
ロウギ・セトもそれに続いた。
寂れた居酒屋の前で、タルギン・シゼルは立ち止まり、扉を開けた。店の中は薄暗く、人々の話し声でざわめき、仕切台横に置かれた古びた畜音箱からは、物憂げな歌が流れていた。
タルギン・シゼルは奥の席をロウギに示すと、自分は仕切台の中の男に銅貨を渡して何事かを囁き、ロウギを見やって、それから仕切台のそばを離れた。
「もし、俺が密告していたらどうする?」
タルギン・シゼルは、ロウギの向かいに腰掛けながら言った。
「君はそんなことはしない」と、ロウギ・セトは答えた。
「俺も随分信用されたもんだな。ま、俺も昔から役人は嫌いさ」
タルギンは、椅子に腰掛けながら懐からウルクストリア人愛用の水
「あくまで噂だが、あんたとトルキル大連は、共謀してテムルル丞相を殺した上に、クリュス島の火山を爆発させて逃げたっていうことになっているようだ。噂の真偽はともかくとして、トルキル大公を取り逃がした第五憲兵隊長のジグドル・ダザルって奴が、血眼になってトルキルと部下のダムセルって男を探しているらしい。あんた、トルキル大公の居所、知っているのかい?」
タルギンは、探るような目で言った。
「知っていても教えられない、と答えたいところだが、実は知らない。さっき君が言ったように、私は地割れに落ちたからね。地割れが海に繋がっていたので助かったのだが、トルキル大公の事は私も心配している」
ロウギ・セトは、少しも表情を変えずに答えた。
「まあいいさ。知っていたとしても言うわけが無いのは承知しているよ。だが、実を言うと、俺も前々からあんたに会ってみたいと思っていたのさ。あんた本当に星の海を渡ってきたのかい? あんたの乗ってきたって言う宇宙船とやら、どう見ても、空どころか水にも浮かびそうにないって話しじゃないか」
タルギン・シゼルは、訝るような態度から一変し、気さくに話し掛けた。
「ご想像にお任せするよ」と、ロウギは答えた。
「そう言うと思った」とタルギンは笑った。
「あんたが交易を開く為に宇宙から来たって話がもし本当なら、俺としては大いに関心があるんだがね。これはあくまで『もしも』の話しだが、あんたがもし本当に異世界からの使者で、俺の手助けで交渉が成功し、交易が開始されたとする。そしたら、当然それなりの期待はしてもいいってもんだろ?」
「そういうことなら残念だったな。私にはそんな便宜を図れる権限は無いし、トルキル大公がああいうことになった以上、当分は交易は開かれそうもない」
「そこなんだよ。頼みの綱はトルキル大公だった。そこで本題なんだがね」
タルギンがそこまで言った時、白い前掛けを掛けた気の良さそうな男の給仕が、まだジュウジュウと音をたてている焼きたての料理と、水大麦から作る黒い麦酒を運んできた。黒麦酒は把手付きの沼竹製大盃になみなみと注がれ、今にも泡が溢れそうになる。給仕の男は、運んできたそれらの物を卓上に並べると、仕切台の中に戻っていった。
「まずは食おうぜ。俺の奢りだ。話はそれから。水竜肉の焼き物はこの店の自慢料理さ。野生じゃなくて養殖だからね、柔らかくて臭みも無いし味は保証するよ。黒麦酒も程良く冷えている」
タルギンは早速泡立った黒麦酒を一気に飲み干し、こってりとした料理を美味そうに食べ始めた。店の壁には、料理の品書きが張り出されていた。浮豆の羹、潜り鳥の酒蒸し、つるな水流菜と海牛の白子あえ、深海鮫真子の塩漬け、水瓜の砕氷菓子……寂れた外観に似合わず、この居酒屋は、実は通好みの店なのかも知れなかった。
「遠慮するわけではないが、私なら空腹ではない」と、ロウギは言った。
「あいにく俺はハラペコでね」
ロウギが付き合いに黒麦酒の大盃を半分ほど空ける間に、タルギン・シゼルは旺盛な食欲を見せて大いに飲み食いした。そして、目の前の皿がからになると、水煙管を火にあぶって一服し、満足げに息を吐いて、漸く話の続きを切り出した。
「ソルディナ観光は、しばらく待ってもらうことにして、アスタリアに行く気はないかね」
「アスタリア観光には、今のところ興味はない」
ロウギ・セトは無表情のまま答えた。
「今はそうでも、これから興味が沸くかもな」
タルギンは、再び火を付けた水煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら言った。
「エラーラには、ウルクストリア以外に四ヶ国ある。それなのに何故アスタリアなのか、あんた気になるか? 教えてやってもいいが、俺も商売でね。ただで、というわけにはいかない」
タルギンは人の良さそうな笑顔のままで言った。
「いいだろう。もしそれが聞くに値する情報なら」
そう言って、ロウギは、小さな革袋を懐から取り出し、タルギンに中の物を見せた。それは、やや小振りの光晶石で、店の薄暗い明かりの中で七色の光芒を放った。その光を横目に見ながら、タルギンは新しい水煙草に火を付けた。
「貴重品を手放すのは、最後の手段にするんだな。あんたの知っていることを全部話してくれるなら、こっちもネタを全部明かすよ。それでどうだ?」
タルギンは、ロウギの顔色を伺うように見た。
「君が興味を持つような面白い話は何も無い。私の方も、余所の星の揉めごとに鼻を突っ込む気は無い。残念だが、君の期待には添えそうもないようだ」
ロウギは、光晶石を懐に仕舞い、席を立ちかけた。
「まあ、座って俺の話を聞きなよ。あんたからの情報は諦めよう。あんたが容易に口を割らないってことは十分に分かった」
ロウギが再び椅子に腰を下ろすと、タルギンは安心したように元の笑顔を浮かべた。
「で、さっきの続きの話だが、俺もトルキル大公は濡れ衣なんじゃないかと思う。もし本当にテムルル・テイグを殺るつもりなら、わざわざ円形闘技場=COROSIAWなんて場所は選ばんだろうし、憲兵隊に見つかるなんてへまはしないだろうしな」
タルギンは言葉を切ると、探るようにロウギの顔を見た。
「あんた、トルキル大公はどこに消えたと思う?」
「それは、大公がアスタリアに居るという意味か」
ロウギもまたタルギンを見返した。
「まあ、断定は出来ないが、あんたが嘘をついているのでないなら、そうじゃないかと思う」と、タルギンは答えた。
「トルキル大公が自力で逃げたのだとしたら、ウルクストリアには隠れる場所は無い。アスタリア国サウサル地方の城主がトルキル大公の古い知り合いでね、揉めごとには関わりたがらない男だが、トルキルが身を潜めるのには力を貸すだろう。そして、もし誰かがトルキルが逃げたと見せ掛けようと企んだのだとしても、多分、トルキル大公が自力で向かうに違いないアスタリアに連れていくだろう。その方が自然だからな」
「それでアスタリアでトルキル大公を捜そうというわけなのか。だが、逃げたと見せ掛ける理由が分からないが」
ロウギは、聞き返した。
「俺も知らんよ。例えばの話さ。トルキルもあんたも捕まっていないことで、いろいろな噂が乱れ飛んでる。トルキル大公はロウギ・セトを使って更なる陰謀を企てているのだとか、反ウルクストリア勢力がトルキルとあんたを匿っているとか。どっちにしろ、あんたはこの国に居ては危険だ。ウルクストリアから一番遠いアスタリアに逃れるのが一番いい。テムルル丞相が死に、トルキル大連は行方不明となり、政府の二大勢力がいっぺんに消えた。一番得をしたのは今度大臣に決まったシルニン・イクルだが、奴にテムルル丞相を殺してトルキル大連を罠に掛けるほどの度胸があるとは思えんしな」
「シルニン・イクルが大臣? そんなニュースは聞いていないが」
「タルギン・シゼルの耳には、ニュースになる前の情報だってちゃんと聞こえてくるのさ。議定所でも大いに揉めたらしいが、どういうわけか、影の薄い大夫の一人に過ぎなかったシルニンが突如浮上してきた。丞相と大連はさすがにまだ空席のままらしいがね。ところで、あんた、テムルル・テイグの経歴を知っているかい?」
「商人上がりだとか」と、ロウギは答えた。
「そう、元は西インシュバルの商人さ。行商で富と情報を蓄え、それによって先代の宗主に取り入り、更に傾きかけた貴族の娘と結婚し、つまり金で貴族の身分を買ったわけだな。そして、大臣となり、生まれた娘を皇太子に嫁がせて皇子を産ませ、丞相の位にまで上り詰め、ゆくゆくは宗主の外祖父として揺るぎない権力を手に入れようとしたわけさ。あくどいやり方に″蛇大臣″とも呼ばれたが、本人は、蛇は海に千年山に千年棲んで龍になるって言うんで、自分が龍の紋章の元に君臨する日も近い証だとか言って喜んでいたらしい。だけで、死んじまった。テムルル・テイグとトルキル大公の二大巨頭が倒れたら、他は似たり寄ったりな横一線。利害が絡んで意見はまとまらない。シルニンが大臣に祭り上げられたのには、その辺の事情もあったのかもな。シルニンは日和見主義の中立で影は薄かったが、家柄は悪くない。奴が真犯人でないとすると、真犯人は一体誰で、目的は一体何なのかね。あんたが協力してくれれば、それも分かるんじゃないかと思うんだがね」
「君は正義漢か愛国者なのか?」
依然として無表情のままロウギが訊いた。
「まさか。俺の信条は、与え、そして、取る。情報を掴めば、それなりの商売が出来るってもんだろ。信用はしてくれていいぜ。この商売、信用無しじゃあ成り立たないんでね」
タルギンは真面目な顔で断言した。
「さっきも言ったが、余所の星の揉めごとには関われない」
「もう関わっているだろ。トルキルは、この国で唯一のあんたの理解者だった。仮にあんたがこの件に積極的には関与していないのだとしても、今更関係無いとは言えんはずだ」
「それはそうだが、右も左も分からないに等しい余所の星で、私に一体何ほどのことができると思うのか?」
「右も左も分からないとは思えんが、まあいいさ」
タルギンはまだ諦めてはいないようだった。
「アスタリア行きを勧める理由はもう一つあるんだ。アスタリアじゃあ、最近流行の激しい調子の音楽に若者達が夢中でね、昼の街の様子も随分変わったようだよ。あんたにも原因の一端はあるらしい」
タルギンはそう言いながら、吸い終わった水煙管を懐に仕舞った。
「私に?」
「そう。あんたが来るまで、誰も本気でエラーラの外の世界のことなど考えなかったのさ。若者は新しいことに敏感だが、アスタリアもそうさ。歴史の浅い国だからね。あんたも、確実に目的を果たすつもりなら、国力の小さい衛星国家とはいえ、伝統と歴史を誇る頑固頭のウルクストリアより、最初からアスタリアに行くべきだったね。今じゃあアスタリアの方が技術も経済も発達しているし、住人の考え方も柔軟だ」
「だが、宗主国ウルクストリアの許可無しには大儀は行えない。それをすればウルクストリアは黙っていない。武力の差は歴然だ。それに、今しばらくは、たとえアスタリアに於いても、名を明かすのは危険だと思う。宗主国ウルクストリアが全く監視していないとは思えない。だがトルキル大公に手厚いもてなしを受けたことは確かだ。私もその恩義を忘れたわけではない。ソルディナの次には必ずアスタリアに行き、トルキル大公を捜してみよう。」
ロウギの意志が変わらないと知り、タルギン・シゼルはため息をついた。
「そうかい。あくまでソルディナに行くって言うなら、気は乗らないが、早速手はずを整えなくてはな」
タルギン・シゼルは、先に立って店を出ようとして、急に足を止めた。
蓄音箱から流れる歌が替わったのだ。
「今頃になってやっとか」とタルギンが言った。
「俺が注文していた曲だ。シェリンっていうアスタリアの歌手が歌っていてね。聞いてから帰ろう」
ロウギも足を止め、その歌に耳を澄ませた。
小鳥は空で何を歌うの?
あたしは地上で歌うけど
月の真昼を飛んでいく
風の翼にゆだねよう
あなたに届く言葉綴って
あたしを眠らす子守唄
深い眠りの夢の果て
あなたにきっと会えるから
魚は海でどんな夢見る?
あたしは陸地で眠るけど
海の向こうへ流れ着く
銀の細波探してる
あなたの夢に寄せる波
あたしを眠らす子守唄
遠い夢のこちら側
あたしはずっと待っている
そのアルトの歌声は、どこか切なく懐かしい響きを持っていた。
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