4 ストーレ・パラオ
ピアレンの中心からは少し外れた繁華街にある小さなストーレ・パラオ″
空中楽園といっても、その店は高層建築物の最上階にあるわけではない。窓もほとんど無いいわば穴蔵のような店だったが、壁にも天井にも硝子玉をはめこんだ明るい夜空が描かれ、客席の正面には、飛行船を型取った小さな舞台が設えてある。その舞台の上では、成功を夢見る若者達が、生の歌や演奏、踊りなどを見せるのだ。運と才能があれば次の機会を獲得できるし、評判次第で大舞台に立つ機会も掴めるかもしれない。
店が閉まるのはストーレが止んで世間の人々が目を覚ます夕方で、その時間まで、若者達は元気に歌ったり踊ったり、あるいは気の合う仲間達と語り明かす。
入口が開き、三人の若者が何か喋りながら入ってきた。
途端に周囲の若者達の目が集まり、客席のあちこちから声が上がる。
「
「マリグ、歌ってよ。演奏聞きたいわ」
彼らは、この界隈で若者達に人気があるようだった。
「今日はただの客さ」
三人の中のマリグと呼ばれた若者が、娘達の歓呼に笑顔で答えながら言った。
天蓋の外の空は黒い雨雲に覆われ、滝のようなストーレが都市を覆う丸天井に激しく打ち付けていたが、道路という道路には街灯が灯り、そこを、竜車は勿論、照明灯を点けた電動車も走っていく。道路に面した広告塔が少しでも目立とうと色鮮やかな光を放ち、電飾に飾られたにぎやかな街を、多くの人間達が仕事に遊びにと行き交っている。
アスタリアの五大都市の一つ、ここピアレンは、商業の中心地イオラス程ではないにしろ、もう以前のように闇の中に眠ってはいなかった。
技術が発達し、天蓋によって町や村が直接ストーレに打たれることが無くなっても、人々は、昔からの習慣通りにストーレの止む夕方に起き、明るい夜に活動し、ストーレの降る暗闇の昼に眠ったが、いつの時代にも、多くの人々とは逆の時間に生活する人間達は居た。水上船や飛行船の船乗り達は、港に着いた夜明けからが自由を謳歌できる時間帯であり、そんな彼らを客とするストーレの間にだけ営業する酒場は昔から在った。
近頃では昼遅くまで家に帰らずに繁華街で歌ったり踊ったりして過ごす若者達が増え、そうした若者相手の昼の店も増えて、そうした店は、いつの頃からかストーレ・パラオと呼ばれているのだ。
アバル・エランシは、ストーレ・パラオ″
「噂を聞いたのよ。ゲイグが辞めちゃったってホントなの?」
「一人だけ引き抜かれてウルクストリアに行っちゃったって?」
若い娘達は、彼らに声を掛けるのをやめない。
マリグとギリムとドルクの三人は顔を見合せ、首を竦めて口を開いた。
「どうやらホントらしいね。だから、今は
娘達がまた声を上げる。
「ゲイグだけなんて、酷ーい」
「ゲイグがいないのはのは残念だけど、三人でもいいじゃない。マリグが歌えばいいわ」
「僕って音痴でさ。いつも音を外してゲイグに怒られてたんだよね。楽器なら一応何でも出来るんだけどね」
椅子に掛けながらマリグが笑って答える。
「大丈夫よ、多少音が外れたって。そんなの全然分かんないって、ねえ」
「そうそう、マリグが歌うなら何でも許しちゃう!」
若い娘達は、はしゃぎながら言い合っている。
「マリグ、ギリム、ドルク。どうだい、久しぶりにやってみないかね」
店の奥から顔を出した支配人が、三人のそばに来て言った。
「予定していた奴らが都合悪くなって、舞台が空いていてね。余興程度でいいんだよ。お客も君達の演奏を聞きたがっていることだし」
「最近気分が乗らなくて、あんまり練習してないんだけど……」
大柄なドルクが、頭を掻きながら困ったように言った。
「ゲイグが居なくちゃ、やっぱり駄目かね?」と、支配人の押しの一言。
「そんなことないですよ!」と、マリグが思いっきり否定した。
歌を担当していたゲイグとマリグは人気を二分し、仲間でありながらライバルでもあり、ゲイグだけが引き抜かれて相談も無しにゲイグがあっさり応じたらしいのは、他の三人にとって面白くはない話だった。
「気分なんか、お客の前で演奏始めりゃ、自然に乗ってくるさ」とギリムとドルクも応じた。
歓声と拍手が沸き起こる。
照明が落ち、正面の目まぐるしく移り変わる眩しい光の中に楽器を手にした三人の姿が浮かび上がると、客席からは歓声と口笛が飛んだ。三人は演奏を始め、身体を捩りながら舞台中を動き回り、歌った。
君を知らないで
僕はどうして今まで生きてこられたんだろう
君に出会うため、
きっと僕はこの星に生まれてきたのさ
詩の内容とはちぐはぐに、それは凄まじい音の洪水だった。おまけに声は時々裏返り、音程も外れた。それでも歓声と口笛は止まなかった。客達も一緒になって歌い、踊り、心から楽しんでいるようだった。
君が寒い時には
ソルディナに照る
君が願うなら
十二の
たとえ別の星に生まれても
きっと僕は君の居るこの星に引き寄せられたよ
僕はこの世界を愛してる
君の呼吸する風も
君の眠るストーレの闇も
君の歩く月の真昼も
君の触れるもの全て
穴蔵のようなハルディ・エアルは、人いきれと歓声に満ち、舞台上を七色の照明がぐるぐると乱れ飛び、店そのものを揺るがしていた。
そんな中に一人だけ、舞台のすぐ近くに居ながら不愛想に黙ったまま、青い蘇摩酒を飲んでいる娘が居た。やや派手めな化粧と衣服のためか、大勢の中にいても目立つ。
娘はガタンと音をたてて席を立ち、それは図らずも、ちょうど音の途切れた瞬間だった。踊っていた若者達が迷惑そうに娘を見やるが、その視線を気にもせず、娘は舞台に背を向けて出口に歩み寄り、扉の把手に手を掛けた。
アバル・エランシの三人はいつの間にか歌と演奏を止め、その場の視線が娘に注がれていた。
「帰っちゃ悪いとでも言うの?」
挑むような黒い瞳とよく通るアルトの声に、辺りは一層静まる。まるで周囲にびりびりと電気を発しているかのようだ。
「……いや、帰るのは自由だけど」と、マリグがマイクを下ろして言った。「やっぱり途中で出て行かれるのはちょっと傷付くと言うか、歌がヘタなせいかな、とか……」
「そうね、あたし耳は良いのよ。悪いけど、聞くに堪えない。こんなこと言うつもりじゃなかったけれど、訊いた貴方が悪いのよ。失礼するわ」
強烈な印象を残して、娘は出て行った。
あれほど盛り上がっていた客達の感情は、すっかり冷めてしまっていた。興ざめして店を出ていく者が続くかもしれない。支配人は困惑の表情を浮かべ、客席を見まわし、舞台の上の三人を見た。
アバル・エランシの三人は、ふと我に返ったようだった。
このままではアバル・エランシの名が廃る。ゲイグが抜けたのは痛いが、自分達の実力は、こんなものじゃない。ギリムとドルクは顔を見合わせた。ここはマリグに頑張ってもらうしかない。
マリグは、そんなギリムとドルクの気持ちを察したのか、ふーーと息をつくと、マイクを持ち直し、笑顔になった。ただ単に根っから明るいだけなのかもしれない。
「だけどさぁ、はっきり言ってくれるよね。下手くそなのは分かってたけど、僕、完全に傷ついちゃった。でも、まあ、僕達にはみんなが付いてるし」
客席を覆っていた陰湿な空気が破れ、あちこちで乾いた笑いが弾け、声援が飛び、口笛が鳴る。マリグという若者には、場を和ませ、明るく楽しい雰囲気を作り出せる何かがあるようだった。
「そうよ、マリグ、みんなが付いてるわ。さあ歌ってよ」
「みんな味方よ。ギリムもドルクも続けてよ」
「みんな、ありがとぉ! 僕、元気でたよぉ! もう一曲行くねぇ」
声援に答え、アバル・エランシは歌を再開した。
宇宙で一番君達を愛してる
君達が寂しい時には
何時でもアバル・エランシが駆けつけて
君達のそばで歌ってやるぜ
君達が望むなら
弦が切れ、革が破れ、声が涸れるまで
一緒に歌い踊ろうぜ……
それは即興の替え歌だった。
客席からは割れるような歓声が上がり、冷たいストーレの打ち付ける天蓋の外とは裏腹に、ハルディ・エアルはますます熱気を帯びていった。
やがて黒いストーレが止み、空に明るい月光が満ち始め、アバル・エランシの三人が店の外に出ると、彼らの肩を叩いて声を掛ける者があった。
振り返ると、黒っぽい外套に身を包んだ背の高い男が立っていた。
「誰だい、あんた」
怪訝そうにドルクが訊くと、男は懐に手を入れ、何かを取り出して差し出した。
「別に怪しい者じゃない。俺の名はギイレス・カダムだ」
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