06.無色透明

 倒れた大樹の下、男は薄っすらと意識を取り戻す。

 生き残っている事が不思議であった。


 右足が折れて動かない。辛うじて動く両手と左足を使って、男は大樹の葉から顔を這いずり出す。

 地響きはまだ比較的近いどこからか聞こえていた。


 化け物は次の標的、少女を排除するため森を練り歩いているのだろう。

 少女はまだ無事だろうか。自分の犠牲で生き延びたならそれでいい。


 消え行く意識の中、男は自分よりも先に少女の心配をしていた。

 そんな感情に、男は忘れ去りし過去を見出していた。


(ああ。私はきっと、同じ道を辿っているのだろうな)


 記憶が無いからといって、人の持つ本質は変わらないのだろう。

 だから男は過去を失い、次は命さえも失ってしまうのだ。


 悔しいと思う気持ちは確かにあった。だが不思議と、後悔はなかった。

 あのまま逃げ道ばかりを探していては、少女が逃げ延びる可能性すら生まれなかったのだから。


 だったら、自分の取った行動は無駄ではなかった。

 だったら、今ここで命を失うのも無駄ではないはずだ。


 男は深呼吸し、僅かに残った希望を胸に抱く。

 最後の願いはただ一つ、少女の無事だけなのだから。


 だがそんな男の存在を、この世界は否定する。



「…………」



(何故戻って来た……!!)


 男の目の前に、少女は姿を現す。

 声を荒げたいが、上手く呼吸が出来ない。


 灰色の葉の中から右手を伸ばし、どうにか逃げろと伝えようとする。

 そんな男の思惑など微塵も気にも留めず、少女は己の役目を全うしようとする。


「…………」


 少女は裾の中から何かを取り出し、伸ばされた男の手の前へと差し出した。


 男には、少女の取り出した物が分からなかった。

 それは男が消耗し、意識が薄れているためではない。少女の手の上には、何も無いはずのだ。


 形は無く、色も無い。なのに男の意識の中に、はっきりと伝わって来る。


 無色透明の、未知なる結晶。

 触れるだけで指が焦がれてしまいそうな力の塊に、男の意識は無理やり引き戻される。


「それに触れろとでも、言っているのか……?」


 少女は何も答えない。ただひたすらに男の目を見つめ返し、少女は未知なる結晶を差し続ける。


「…………」


 与えられるのではなく、掴み取れと。己の意志で受け取るのだと。

 喋らないはずの彼女の言葉が、胸の中で溢れ出す。


 危険を顧みず、彼女が戻って来た意味とは何だ。私が今、出来る事といえば何だ。

 選択肢なんてものは、浮かぶ余地すら与えない。ここで死ぬなと言うのなら、あるべき道は一つしかないのだ。


 男は無心で、未知の力を受け入れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る