勘違いヒロインは状況が飲み込めない

 男爵令嬢シャルロッテ・ツー・ナウマンは、ブランデンブルク王国学園の門を初めてくぐった瞬間、既視感を覚えて──ふっと湧いてくるように前世の記憶が甦って──気付いた。

 自分がかつてハマった乙女ゲーム『追憶のシャルロッテ』の世界に転生しているだけでなく、ヒロインのシャルロッテになっている、という事に。

 その幸運に狂喜し、心の中でガッツポーズを取った直後に早速、オープニングのイベントが発生してシャルロッテは攻略対象の一人である王太子ヨハン・フォン・ブランデンブルクと出会った。


(さすが攻略対象のロイヤル。顔がいい! 一番の推しのフリードリヒ様は途中編入する主の護衛だから、オープニングの時はまだいないのよね。ああっ、早くお会いしたい……!)


 シャルロッテは数ヶ月後に起こる最推しとの出会いを夢想しながら、その後に出会う魔術師長と騎士団長の子息と出会うイベントの発生を待ったものの、行く場所を間違えたのかタイミングが合わなかったのかそれは起こらず──シャルロッテはその時『ここがゲームの世界でも多少の誤差の発生くらいはあるよね』と楽観的に片付けてしまった。 

 その二人が好みのタイプではない、というのが頓着しなかった大きな要因だったが──残念な事にシャルロッテは深く考える質ではなかった。

 イベントが不発だった事に違和感を覚えて原作との差異を注意深く照らし合わせていれば、現魔術師長と現騎士団長には令息ではなく令嬢がいる事を把握でき、自分がとんでもない勘違いをしていると早い段階で気付けた筈だったし、最推しであるフリードリヒと出会えるのが悪役令嬢アグネスを断罪する場面である事など、当時のシャルロッテには知る由もない。


 人は見たい物だけを見て、都合の良い方へ勝手に解釈してしまうものである。

 しかもシャルロッテはその傾向が強く──思い込みも強かった。

 ヒロイン補正でなんでもうまく行く、という根拠のない自信から、婚約者のいる王太子に平気で近付きその距離を狭めたし、それを良しと思わぬ貴族子女から注意されても『私がヒロインだから、みんな当たりが強いんだわ』と開き直った。

 シャルロッテに対して善意の指摘や忠告をした者たちからすれば、王太子と懇意にするのなら王太子の顔に泥を塗らぬよう、マナーや立居振る舞い等をきっちり学んで身に付けろと口出ししたくなるのは無理もない。

 シャルロッテの言動が、未来の国王である王太子の評判に影響を及ぼすこともあり得るのだから、物言いが厳しいものになってしまうのも当然といえたが──受け手であるシャルロッテがそれらを全て曲解してとして処理してしまった事で悪循環。

 そこに冷静なツッコミがいれば、「そうじゃねーよ!」とフルスイングでハリセンをぶちかましてシャルロッテの目を覚ましてくれただろうが、残念な事にそのような逸材ツッコミは居なかった。

 それゆえに、断罪の場面でヨハンに読み上げられた、アスカニア公爵令嬢アグネスがシャルロッテに対して行ったとされる行動は、学園に在籍している生徒の善意からの指摘や忠告だった事に気付いていないシャルロッテによって誇張された挙句、『全部悪役令嬢アグネスの仕業にしてしまえばwin-winだし』と、全てアグネスの仕業にしてしまったので、濡れ衣が酷いとアグネスに心底同情してしまう程の内容だった。

 盛りに盛った張本人であるシャルロッテは『悪役令嬢の断罪はテンプレだし』という思い込みもあって、アグネスに対して良心の呵責を一切覚えなかったし、『断罪イベント』が失敗に終わることなど、夢にも思っていなかったのである。

 思い込みというのは、にも恐ろしい──。



  ◇◆◇◆◇



(あんな子、居たっけ……?)


 悪役令嬢アグネスへの断罪開始時に舞台袖にいたシャルロッテは、ある意味特等席である場所へ──ヨハンの隣へと静かに移動して事の成り行きを見守っていたのだが、その流れを変えたのがルイーゼ・フォン・カッセルと名乗ったモブの女生徒だった。

 この国の王太子が主導する断罪場面に物申してくるというイレギュラーな存在であり、かつ強心臓なモブの女生徒は、焦げ茶色の髪と瞳をした妙に存在感がある少女だった。彼女に全く見覚えがなかったシャルロッテは内心首を傾げたものの、モブだから存在に気付かなかったのかもしれないと思い直す。


「王太子殿下。単刀直入ですが、今されている茶番はブランデンブルク王のお許しを得た上でのパフォーマンスなのでしょうか」

「そっ、それは……」


 ヨハンはこの断罪を茶番と言われて一瞬顔を赤くしたものの、国王の承認を得ていない事を持ち出されたせいか答えに窮していた。


「このような事は通常、内々に片付けるものではありませんか? 処理した後に婚約解消と新たな婚約を公表するなら兎も角──。折角の卒業パーティーですのに、晴れやかな場をぶち壊してまで行う価値のある事でしょうか?」


 悪戯をした子供を叱る大人のような、やや呆れたような声音で語るルイーゼの言葉に、シャルロッテも公衆の面前でいきなりドーンと派手に婚約破棄を突き付けるのは体裁が悪いと納得してしまったものの、いやいやいやとかぶりを振る。


(確かにそうなんだけど、ヨハンルートのシナリオだと悪役令嬢への婚約破棄と断罪のコンボの後エンディングなんだもの。必要な事だからしょうがないよね! それに、ヨハン様を攻略するには婚約破棄は避けて通れない道だし、これ以上邪魔しないで欲しいんだけど)


 シャルロッテがそう思っている間、説教じみた事を語るルイーゼの言葉にヨハンが耳を傾け始めたのを感じたので、アグネスに虐められて辛かったという思いを──実際は虐められてなどいなかったが──表明する様に、シャルロッテは目に涙を溜めて訴える。


「でもっ、アグネス様が私にしてきた事は酷かったんですっ」


 声を上げた直後、ルイーゼの後ろに控えている銀髪の騎士の姿が目に入った。


(あれ? モブの人の側にいる騎士の人、フリードリヒ様!? 見当たらないなーって思ってたけど、何でモブの人の護衛をしてるの?)


 前世で最推しだった攻略対象の一人、フリードリヒ・フォン・リヒトホーフェンの姿をようやく視認できたシャルロッテは内心驚愕し、何故か彼に睨まれているという状況に困惑する。


(フリードリヒ様、滅茶苦茶怒ってるみたいだけど何で? 立ち位置からして、もしかしなくてもモブの人がフリードリヒ様が仕える主様?)


 シャルロッテの頭の中にはクエスチョンマークが飛びまくった。原作で彼が仕える主は、とある国の皇子だったからだ。

 もしかしたらモブの人ことルイーゼはその皇子の関係者かもしれなかったが、今は悪役令嬢アグネスの断罪の真っ最中である。最推しのフリードリヒを優先したい気持ちもあったが、シャルロッテは同時に幾つもの事を進められる器用なタイプではなかったので、フリードリヒのことは一旦脇に置いておくことにして、目の前の事に意識を切り替えた。


「あなた、わたくしの話を聞いていなかったのかしら。わたくしは先程、個人個人の話は内々で片付けるべきだと王太子殿下に申し上げたのですよ?」


「でもっ、アグネス様が……!」


 滅茶苦茶正論だわぁと自分でも思いながらも、シャルロッテはぐすぐすと泣き始めた。すると、ヨハンが慰めるように抱き寄せてくれたのでホッとする。さすが正統派王子ポジ。

 講堂にいる皆の同情を誘えたかと思ったのも束の間、ルイーゼはアグネスの援護を始めた。

 国外の情報に疎いシャルロッテにはピンと来なかったが、アグネスの取り巻きは留学生だから他国の王太子と男爵令嬢が仲良くしていたとしても、利害関係がないから男爵令嬢に対してちょっかいをかける理由がないと告げられ──それを聞いたルイーゼは確かに、と思わず納得してしまったのだが、その言葉に便乗するかのようにアグネスの取り巻きの二人がシャルロッテとは面識がないと完全否定してきた。


(アンドレアさんとカレンさん、顔は知ってるけど、護衛の騎士さんが両方とも怖かったしガードも固くて接触した事はなかったからなー。でも、流れを今変えられるわけにはいかないし)


 ほんの少しだけ罪悪感を覚えながらも、シャルロッテは泣き叫んだ。


「でもっ、アグネスさん達が私を虐めたのは事実ですっ」

「我がダルムシュタット王国の未来の王妃殿下を侮辱されるおつもりか!」


 シャルロッテの言葉に我慢できず怒りを露わにした女騎士の抗議の声は、雷が落ちたように講堂を震わせ──シャルロッテはその剣幕に気圧されてしまい、涙も引っ込んだ。


(ダルムシュタットの王妃???)


 女騎士は怒りが収まらないのか、正式に抗議すると宣告してアンドレアの手を引いて講堂を出て行こうとしたが、主であるアンドレアにやんわりと止められていた。そのアンドレアはルイーゼの前へ移動すると、先にこの場を去ることを謝って彼女へ向けてカーテシーをし、女騎士も主であるアンドレアに倣うようにルイーゼにカーテシーをして二人揃って去って行った。

 その後、カレンの方もアンドレアと同様にルイーゼに挨拶をしてからカーテシーをし、その後ろに控えていたダンディなオジサマ騎士は静かに右足を引き、右手を体に添えて左手を横方向へ水平に差し出すようにしてボウ・アンド・スクレープをすると、カレンをエスコートして退場していく。


(モブの人、実は偉い?)


 何となく皆がルイーゼに対して丁重に接していているのをどことなく感じたシャルロッテは──勘違いで無ければ、この国の王太子であるヨハンよりも格上なのではないかと思う程──さすがにこれ以上何かするとマズイという空気を感じたので、ヨハンの腕の中でルイーゼの挙動をただ見ることしかできなかった。


「皆様お先に失礼致します。ご機嫌よう」


 ルイーゼはそう言うと、皆に向けて軽く礼をしてからアグネスの手を取って出て行く。ルイーゼの騎士であると思われるフリードリヒが、出て行くルイーゼの後ろ姿に向けてフッと甘く微笑むのが見えた。


(ぎゃあぁぁっ! 顔がいい!)


 フリードリヒの微笑に目を奪われたシャルロッテは、興奮のあまり膝から崩れ落ちそうになったがなんとか持ちこたえた。しかし、そのフリードリヒがこちらを一瞥した瞬間──ブリザードが吹き荒ぶ極寒の中へと放り込まれる。


(ひえぇぇぇっ)


 視線だけで殺せるのではないかと思えるような凶悪な眼差しでこちらを睨んだフリードリヒと目があってしまい、シャルロッテは怯える。それは、人によってはもっとして下さい──と新たな性癖に目覚めかねない凄絶な笑みだったが、残念ながらシャルロッテにはそんな性癖はなかった。


(フリードリヒ様、めっちゃ怒ってる……)


 その後フリードリヒは、講堂内の人間へ向けてにこやかに笑うと軽やかにボウ・アンド・スクレープをして、颯爽と出て行った。

 それをきっかけに、フリードリヒの後に続くように卒業パーティーへ出席していた生徒や来賓が申し訳程度にヨハンへ向けて一礼してから出て行き──やがて、講堂にはシャルロッテとヨハン、彼の側近の侯爵家令息ハロルドの三人のみが残された。


「どうして……?」


 どうして失敗した? と後半が音にならなかったその呟きは、婚約破棄と断罪が上手くいくと疑うことのなかったヨハンが発したもの。ハロルドは逆転劇に茫然としている。


「…………」


 人が捌けて静まり返っていた講堂だったが、出入り口付近が急に騒がしくなったのでシャルロッテは目線を向けた。


「衛兵? 何故……?」


 シャルロッテと同じタイミングで出入り口を見たらしいヨハンの呟きの通り、出入り口からブランデンブルク王国の衛兵が数名入ってきた。

 完全武装ではなかったが、帯刀している彼らは統率された動きでまっすぐ王太子の元へ来るなり、先頭にいた隊長格の衛兵がサッと片膝をついたので、後続の衛兵もそれに倣い片膝をついた。


「王太子殿下、国王陛下がお呼びです。『今回の顛末を聞かせよ』と仰せでございます」

「父う──陛下が?」


 隊長格の衛兵が告げると、父上と口にしそうになって言い直したヨハンは聞き返す。衛兵は「はっ。至急、通信の間へお越し下さい」と答えた。


「わかった」


 ヨハンが応じると衛兵は、「ロートリンゲン卿とこちらの令嬢には『事情聴取せよ』との仰せですので、別室へお連れする事になっております」と告げ、背後の部下に目線を向けた。あらかじめ指示していたのだろう、部下の衛兵四人が二手に分かれてハロルドとシャルロッテを左右から捕らえた。


(事情聴取!? え? 何でそんな事に⁈)


 問答無用で拘束されて何処かへ連行される事になったシャルロッテは状況の変化に追いつけず混乱する。


「乱暴にはしないでくれ。彼女は私の大事な女性ひとなんだ」


 背後からヨハンがそう言うのが聞こえて扱いが少しマシにはなったものの、同時に拘束されたハロルドの方は心ここに在らずという風で抵抗はせず、なすがままに連れられて行く。




「事情聴取は我々ではなく学園長が行う事になっている。それまでここで頭を冷やすといい」


 衛兵に連行された場所は、学園内にある反省室だった。

 問題を起こした生徒を一時収容する為の部屋なので学園の端の方にあり、閑散としている。

 反省室は通路を挟んで三部屋ずつの合計六室あったので、ハロルドは手前の部屋へ、シャルロッテは奥の対角線上の端にある部屋へ入れられて、外から鍵を閉められた。

 必要最低限の調度しか置かれていない部屋に、ぽつんと一人になったシャルロッテは呟く。


「どうしてこうなった……?」


 発生しないイベントもあったけれど、王太子ヨハンルートは順調に進んでいて、悪役令嬢の断罪と婚約破棄もシナリオ通りに上手くいくと思っていただけに、シャルロッテはこうして拘束される未来は予測できなかった──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王太子と男爵令嬢が頭お花畑だったので頭痛い 和泉 沙環(いずみ さわ) @akira_izumi_kayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ