サスペクツ
川谷パルテノン
第1話 土砂降り
土砂降りの夜だった。バイソンの頭骨は生身の上半身を守る、謂わば盾や鎧のような役割だった。右手に携えた刃渡り四〇センチ程の鉈は刀身がくすんでいた。腰から足の爪先にかけて機械化が施され、これまでに五階建ビルの屋上まで飛び跳ねたとの報告もある。サガン・キリハルの前に立つ怪人は殺人容疑で指名手配されていた。サガンが銃口を向けても相手に動揺はなかった。どちらかと言えば配属早々に凶悪な殺人鬼と出会した不運な刑事の方が獲物のようである。上司はまだ現場に到着していない。
「キミは僕と同じだ」
粗暴な出立ちに反して殺人鬼の声は落ち着いた少年のような声色をしていた。
「内なる声を抑えられない本能の獣」
「黙れクソッタレ。俺は刑事でお前は異常な犯罪者だ」
「今すぐにでも撃ち殺してやりたい。そう考えてる。そのオモチャも的確に僕の急所を心得ている。なぜ撃たない。キミは僕を殺したいんだろ」
「ああ、今すぐにぶっ殺してやりたいね。だが先約がある。すぐにもう一人刑事が来る。そいつはダチとその娘をテメェに殺された。テメェを殺すのはそいつだ」
「妙に律儀なんだな。その刑事はデル・ファマスだろ。いい刑事だ。だが有能じゃない。土壇場で誰も守れやしない老兵」
「それ以上俺の相棒を侮辱するなら望みどおり脳髄ぶち撒けさせてやる。元より温情なんてないんだ。俺もデルも免職になろうがお前をここで殺す」
「ならそうするといい。しっかり狙え。そして撃て。時間はない。僕はもうその気だ。キミの死が見える」
額を汗が伝う。ようやく辿り着いた。この日を待ち望んでいたのはデルだけではない。サガンも同様だ。ただ、デルのひと言がよぎる。「お前さんに頼みがある。私が奴を殺すのを手伝ってほしい」デルは誠実な男だった。街がどれほど腐敗しても規律を重んじるような愚直とも言える刑事だ。そんな彼が刑事であることを捨ててでも復讐を果たそうとしている。どんな相手であろうとデルのような人間が手を汚すべきではないとサガンは諭した。けれど彼の決意は固く「頼む」と繰り返した。だから撃てなかった。これ以上間延びすれば取り逃す。或いは最悪殺されるかもしれない。ジレンマから手先が震えた。殺人鬼はその一瞬を見逃さなかった。人並みを遥かに凌駕した脚力で一気に間合いを詰める。刀身は確実にサガンの首筋を捉えていた。
「なるほど」
「人体改造はお前の特許だとでも」
冗談でやり過ごせる場面ではない。すぐさま追撃が来る。サガンは一瞬だけ目を瞑った。すまない。小さく呟くと突進してくる相手の頭上を飛び越えた。地面に対して逆さまの体勢で相手の頸に目掛けて二発撃った。サガンは地面に叩きつけられる。敵はもう動かなかった。
「大丈夫か」
「あんたは少し遅かった。やらなきゃやられてた。すまない」
「ああ、私の事でお前さんを危機に晒した。謝るのはコッチだよ。それにサガン。悪いがまだ私の仕事は終わりじゃない」
鎧代わりの頭骨を剥がすと死体の口は縫合されていた。
「やあ、デル刑事。キミの部下は優秀だ。キミと違って、やる時はやる。いい収穫だった。じゃあ、また」
口元を塞ぐついでに一緒に縫い付けられたスピーカーはそこで沈黙した。
「どういうわけだ。コイツじゃないってのか」
「そのようだな」
夜の路地裏でサガンは寝そべったまま地面を強く殴った。それぞれの感情は雨音にかき消されていく。
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